禮儀章 四十六人既に口舌あるときは音聲あり ── 言語あるときは終に文字の象あり
原文
或疑、言語文字爲之、愚謂、人既有口舌則有音聲、故情之所發、自有言辭、有言語則終有文字之象、其直出曰聲、有曲節曰音、其形象可通曰字、其條理有節曰文、共是天地人物、自然之勢也、豈唯中國外朝乎、四夷之條理、禽獸之鳴喙、亦然、直不得其正而已、往古神聖既有唱和噴讓誓約之義、太玉命之稱讚、天兒屋命之太諄辭、況天神之聖勅乎、至素戔嗚尊之於稻田姬也、彦火火出尊之於豐玉姬也、神武帝之御謠、道臣命之諷歌、乃有章有句有文有藻乎、
訓読
或は疑ふ、言語文字をこれ爲ると。愚謂へらく、人既に口舌あるときは則ち音聲あり。故に情の發するところ、自ら言辭あり。言語あるときは則ち終に文字の象あり。その直ちに出づるを聲と曰ひ、曲節あるを音と曰ふ。その形象通ずべきを字と曰ひ、その條理節あるを文と曰ふ。共に是れ天地人物、自然の勢なり。豈に唯だ中國外朝のみならんや。四夷の條理、禽獸の鳴喙も亦然り。直だその正を得ざるのみ。往古の神聖既に唱和噴讓誓約の義あり。太玉命の稱讚、天兒屋命の太諄辭、況んや天神の聖勅をや。素戔嗚尊の稻田姬におけるや、彦火火出尊の豐玉姬におけるや、神武帝の御謠、道臣命の諷歌に至りては、乃ち章あり句あり文あり藻あらんや。
現代語訳
ある人は疑って言う。「言語や文字は人の作ったものではないか」。私はこう考える。人にすでに口と舌とがあれば、そこに音と声とがある。だから感情の発するところ、おのずと言葉がある。言葉があれば、ついには文字のかたちが生まれる。まっすぐに出るものを「聲」といい、抑揚の節があるものを「音」という。その形が互いに通じ合えるものを「字」といい、その筋道に節目があるものを「文」という。いずれも天地と人と物との、自然のなりゆきである。どうして中国や外国だけのことであろうか。四方の異民族にもそれなりの筋道があり、鳥や獣の鳴き声もまた同じである。ただその正しさを得ていないだけだ。遠い昔の神聖なる方々には、すでに唱和し、憤りゆずり、誓約するという営みがあった。太玉命の称賛のことば、天兒屋命の太諄辭、まして天つ神の勅においてはなおさらである。素戔嗚尊の稲田姫に対して、彦火火出見尊の豊玉姫に対して、また神武天皇の御謡、道臣命の諷歌に至っては、そこには章があり句があり文があり彩りがあったではないか。
解説
文字論の出発点。素行は聲 → 音 → 字 → 文という段階を立てる。まっすぐ出るのが聲、節があるのが音、形が通じるのが字、筋目があるのが文。
そのうえで、これは「天地人物、自然の勢なり」――中国の発明ではない、と言う。「四夷の條理、禽獸の鳴喙も亦た然り」とまで広げるのが素行らしい。文字は誰かが作ったのではなく、声があれば生じるものだ、という立場である。
この構えは、次節以下の「では日本にも古くから文字があった」という議論の土台になる。
禮儀章 四十七往古に假名の字あり ── 文字の父母、言語の音象なり
原文
夫文字之作也、因其言語音聲、象其事物之形義、造端於其始、修飾相模、備完於其後、蓋往古有假名字、是乃文字之父母、言語之音象也、以通其事、以表其情、後世因循增益、爲千變萬化之文字、混天下之用、音聲之委曲婉轉也、人情之精微幽玄也、莫不繕焉而盡之、及應神帝、外朝之文字相通、字書規楷、殆類中華之文字、五音之平上去入、亦不異於此、和漢之字相通用、譯外國以漢字、詳言語以倭訓、然乃中華之文字、其實在倭字、以倭漢字互相用、以爲天下之利也、
訓読
夫れ文字の作らるるや、その言語音聲に因りて、その事物の形義を象り、端をその始に造り、修飾相模して、その後に備へ完くす。蓋し往古に假名の字あり。是れ乃ち文字の父母、言語の音象なり。以てその事を通じ、以てその情を表はす。後世因循增益して、千變萬化の文字と爲り、天下の用に混ふ。音聲の委曲婉轉なるや、人情の精微幽玄なるや、繕ひてこれを盡さずといふことなし。應神帝に及びて、外朝の文字相通じ、字書規楷、殆ど中華の文字に類す。五音の平上去入も亦これに異ならず。和漢の字相通用し、外國を譯するに漢字を以てし、言語を詳かにするに倭訓を以てす。然らば乃ち中華の文字、その實は倭字に在り。倭漢の字を以て互に相用ゐ、以て天下の利と爲すなり。
現代語訳
そもそも文字が作られるのは、その言語と音声とに基づいて、事物の形と意味とをかたどり、はじめに端緒を作り、修飾し模しあって、後になって備わり完成するのである。思うに遠い昔に假名の字があった。これこそが文字の父母であり、言語の音をかたどったものである。それによって事を通じ、それによって心を表した。後の世はそれを受け継ぎ増やして、千に変じ万に化する文字となり、天下の用にまじり合った。音声の細やかで移ろいやすいこと、人情の微妙で奥深いこと――それをつくろい尽くさないということがない。応神天皇の御代になって、外国の文字が通じるようになり、字書や書体は、ほとんど中華の文字に似た。五音の平・上・去・入もこれと異ならない。和漢の字は互いに通用し、外国のものを訳すには漢字を用い、言語を詳しくするには倭訓を用いる。そうであれば、中華の文字も、その実は倭字にあるということだ。倭の字と漢の字とを互いに用いて、天下の利としているのである。
解説
本節の主張は二つ。第一に「往古に假名の字あり。是れ乃ち文字の父母、言語の音象なり」――漢字より先に假名があった、とする。これはいわゆる神代文字説に立つもので、実証されていない。假名は九世紀ごろ漢字から派生したというのが今日の理解である。
第二に「中華の文字、その實は倭字に在り」。漢字はこの国の言葉を書きあらわす道具として使われているのだから、中身は倭語だ、という。前提は疑わしいが、結論そのもの――借りた文字で自国語を書いている、という認識は的確である。
「外國を譯するに漢字を以てし、言語を詳らかにするに倭訓を以てす」という役割分担の整理も鋭い。
禮儀章 四十八或は疑ふ、今用ふる文字は皆外國の文字なりと ── 年魚を鮎と爲す
原文
或疑、今所用之文字、皆外國之文字、不知上古之文字、何有形象乎、愚謂、凡文字之制、必與時變化、往古之文書、鞍作之亂悉爲灰、其時既不可知之、況後世乎、且外朝之文字相通爾來、文學之史生留國學之博士、專好外書、所其記所其言、悉用漢語、是倭漢之事義筆意、互相因也、制年魚爲鮎魚、鰆鰈鮴鯏爲魚也、根椎梶槙楓、爲木也、或不同外朝之字義、以外書無其字之類、其亦多、皆國俗之制也、
訓読
或は疑ふ、今用ふるところの文字は皆外國の文字なり。上古の文字、何の形象ありしかを知らずと。愚謂へらく、凡そ文字の制は、必ず時と與に變化す。往古の文書、鞍作の亂に悉く灰と爲る。その時既にこれを知るべからず。況んや後世をや。且つ外朝の文字相通じて爾來、文學の史生、國學の博士、專ら外書を好み、その記すところ、その言ふところ、悉く漢語を用ふ。是れ倭漢の事義筆意、互に相因るなり。年魚を制して鮎魚と爲し、鰆鰈鮴鯏を魚と爲す。根椎梶槙楓を木と爲す。或は外朝の字義に同じからず、外書にその字なきの類を以てす。それ亦多し。皆國俗の制なり。
現代語訳
ある人は疑って言う。「いま用いている文字はみな外国の文字である。上古の文字がどんな形をしていたか、知りようがないではないか」。私はこう考える。そもそも文字の仕組みは、必ず時とともに変化する。遠い昔の文書は、鞍作の乱でことごとく灰になった。その当時のことはもはや知ることができない。まして後の世においてはなおさらである。そのうえ外国の文字が通じるようになって以来、文学の書記や国学の博士たちは、もっぱら外国の書を好み、記すところも言うところも、ことごとく漢語を用いてきた。こうして倭と漢との意味づけや筆づかいが、互いに影響し合っている。年魚を定めて「鮎」とし、鰆・鰈・鮴・鯏といった字を魚の名とする。椎・梶・槙・楓を木の名とする。あるいは外国での字義と同じでなかったり、外国の書にはその字がなかったりする類も多い。みなこの国の習俗が定めたものである。
解説
「上古の文字はどんな形だったか分からないではないか」という反論に、素行はまず正直に認める。「鞍作の亂に悉く灰と爲る。その時既にこれを知るべからず」――中巻の結びで嘆いた焼失が、ここで論拠として使われている。
そのうえで話を転じ、いま現に行われている国字・国訓を挙げる。「鮎」は中国ではナマズを指す字で、これをアユにあてたのは日本の用法。鰆・鰈・鯏や、椙・榊のような国字も同様である。「皆國俗の制なり」――借り物のようでいて、実際には作り替えて使っている、という指摘である。
禮儀章 四十九或は問ふ、何ぞ中國の字編なきや ── 短を措きて長に就くの道
原文
或問、然乃何無中國之字編乎、愚謂、外朝與中國、一天地之氣候、同神聖之揆、而人物事義、殆不異、漢語之相襲、猶水流濕火就燥、少頃天下之人人、皆倭字漢字相用、不異、外朝治平之遼遠、人物之敏其事、文書史編字畫、悉致之、故中州乃因之以補益來、是措其短就其長之道也、
訓読
或は問ふ、然らば乃ち何ぞ中國の字編なきやと。愚謂へらく、外朝と中國とは、一なる天地の氣候、同じき神聖の揆にして、人物事義、殆ど異ならず。漢語の相襲るは、猶ほ水は濕へるに流れ火は燥けるに就くがごとし。少頃くして天下の人人、皆倭字漢字を相用ゐて、異ならず。外朝は治平遼遠にして、人物その事に敏なり。文書史編字畫、悉くこれを致す。故に中州乃ちこれに因りて以て補ひ益し來る。是れその短を措きてその長に就くの道なり。
現代語訳
ある人は問う。「そうであれば、どうしてこの国独自の字書がないのか」。私はこう考える。外国とこの国とは、一つの天地の気候のもとにあり、同じ神聖なる筋道の上にあって、人も物も道理も、ほとんど異ならない。漢語がそのまま受け継がれてきたのは、ちょうど水が湿ったところへ流れ、火が乾いたところへ向かうようなものである。しばらくして天下の人々はみな倭の字も漢の字も互いに用いて、区別しなくなった。外国は治まってきた歴史が遠く長く、人がその事にすぐれている。文書も史書の編纂も字の形も、ことごとく行き届いている。だからこの国はそれに拠って補い増やしてきた。これは、短いところを措いて長いところに就くという道である。
解説
「短を措きて長に就くの道」――この一句が、素行の外来文化観をもっとも簡潔に表している。
独自の字書がないのは劣っているからではなく、すぐれたものがあればそれを使うのが合理だからだ、と言う。根拠に引くのは中巻三十五節と同じ『易』の「水は濕へるに流れ、火は燥けるに就く」――自然に類を求めるのだ、と。
上巻十五節「敎諭の道、多く外朝の書籍を以て事と爲すは後世の訛なり」と読み合わせると、素行の立場がはっきりする。排斥ではなく順序。自国の古を先に置いたうえでなら、外のものはいくらでも採ってよいのである。
禮儀章 五十竊按、往古 人を「ひと」と訓ず ── 倭訓の例
原文
竊按、往古以人訓ヒト、以民訓タミ、以日訓ヒ、以月訓ツキ、以星訓ホシ、以深訓不可測于淵、訓不知以聖、訓非塵以佛、訓浮屠家以椙、訓穀樹以榊、訓持風、及神木者、皆國俗之制也、或用字義、或用其音、而與外朝之文字相通之類、不可枚擧也、
訓読
竊かに按ずるに、往古は人を以て「ひと」と訓じ、民を以て「たみ」と訓じ、日を以て「ひ」と訓じ、月を以て「つき」と訓じ、星を以て「ほし」と訓ず。深を以て淵を「はかるべからず」と訓じ、聖を以て「しる」と訓じ、佛を以て「ちりにあらず」と訓ず。椙榊の類は、浮屠家穀樹持風、及び神木を訓ずるものにして、皆國俗の制なり。或は字義を用ゐ、或はその音を用ゐて、外朝の文字と相通ずるの類、枚擧すべからざるなり。
現代語訳
ひそかに考えてみるに、遠い昔は「人」を「ひと」と訓じ、「民」を「たみ」と訓じ、「日」を「ひ」と訓じ、「月」を「つき」と訓じ、「星」を「ほし」と訓じた。「深」の字で淵を「はかるべからず」と訓じ、「聖」を「しる」と訓じ、「佛」を「ちりにあらず」と訓じた。「椙」「榊」の類は、寺のものや穀の木、風を持つもの、また神の木を表すために作られたもので、みなこの国の習俗が定めたものである。あるいは字の意味を用い、あるいはその音を用いて、外国の文字と通じ合わせている類は、数え上げきれない。
解説
倭訓の具体例が並ぶ、資料としても面白い一節。訓読みとは翻訳であるという認識がここにある。「深」の字を「はかるべからず」と読み、「佛」を「ちりにあらず」と読む――これは字を音で写すのでも意味で置き換えるのでもなく、説明そのものを読みにしてしまうやり方である。
「椙」「榊」のような国字にも触れる。前節の「短を措きて長に就く」と合わせると、素行の見取り図は明快だ――足りない字は作り、通じる字は借り、読みは自国語で与える。
禮儀章 五十一外朝の古 ── 鳥迹より草書飛白まで
原文
夫外朝之古、鳥迹以代結繩、科斗以代鳥形、篆籀以代科斗、隷書以代篆籀、而後草書飛白之類、相續起、漢時去周未遠、而科斗之文字、人不得解之、然乃上古近代、字畫之不同、外朝猶爾、況武后作閣字、昌黎作捉字、援訣庵陪唐作奄、有字無音無義、如此之類、尤多、故經史有不可出之字、音義有不可知之字、或有奇字近作、或有釋梵俗字、或有叶韻假借、
訓読
夫れ外朝の古、鳥迹以て結繩に代へ、科斗以て鳥形に代へ、篆籀以て科斗に代へ、隷書以て篆籀に代ふ。而して後草書飛白の類、相續いで起こる。漢の時、周を去ること未だ遠からずして、科斗の文字、人これを解することを得ず。然らば乃ち上古と近代と、字畫の同じからざること、外朝猶ほ爾り。況んや武后の閣の字を作り、昌黎の捉の字を作り、援訣庵陪唐の奄を作るをや。字ありて音なく義なし。かくの如きの類、尤も多し。故に經史に出づべからざるの字あり、音義に知るべからざるの字あり。或は奇字近作あり、或は釋梵の俗字あり、或は叶韻假借あり。
現代語訳
そもそも外国の昔は、鳥の足あとの形が縄の結び目に代わり、おたまじゃくし文字が鳥形に代わり、篆と籀とがおたまじゃくし文字に代わり、隷書が篆籀に代わった。その後、草書や飛白の類が次々と起こった。漢の時代は周からさほど遠くないのに、科斗の文字は誰にも解けなくなっていた。とすれば上古と近代とで字の形が異なるのは、外国でも同じことである。まして則天武后が「閣」の字を作り、昌黎(韓愈)が「捉」の字を作り、援訣・庵陪・唐が「奄」を作った類はなおさらだ。字はあっても音がなく意味もない。こういう類がもっとも多い。だから経書や史書には出しようのない字があり、音も意味も分からない字がある。あるいは珍しい字や新しく作られた字があり、あるいは仏典・梵語からの俗字があり、あるいは韻を合わせるための当て字や借り字がある。
解説
中国の書体史を、「上古と近代と、字畫の同じからざること、外朝猶ほ爾り」という一点のために引く。
論法が巧みである。前節までで「日本の上古の文字は分からない」と認めたうえで、それは中国でも同じだと示す。漢代にはもう科斗文字が読めなくなっていた、と。文字が変わるのは普遍の現象であって、日本だけの欠落ではないという反論になっている。
則天文字などの例まで挙げるのは、素行の博識というより、文字は人が恣意的に作りもすることを示すためだろう。次節の批判につながる。
禮儀章 五十二事物の修飾、その道を以てせざれば ── その實浪漫にしてその古を失ふ
原文
然外朝文字之祖、以易爲本、以偶爲章、以形事意聲爲値、只日趨便簡、字遂失古意、豈字畫之爾乎、事物之修飾、不以其道、則其實浪漫、而失其古、可幷案也、
訓読
然れども外朝文字の祖は、易を以て本と爲し、偶を以て章と爲し、形事意聲を以て値と爲す。只だ日に便簡に趨き、字遂に古意を失ふ。豈に字畫のみ爾らんや。事物の修飾、その道を以てせざれば、則ちその實浪漫にして、その古を失ふ。幷せ案ずべきなり。
現代語訳
しかし外国の文字のもとは、『易』を本とし、対をなす形を章とし、形・事・意・声をその値としていた。それがただ日ごとに便利で簡単なほうへ流れて、字はついに古い意味を失ってしまった。どうして字の形だけのことであろうか。事物を飾り整えるのに、その道によらなければ、その実はしまりを失って、その古いすがたを失う。あわせて考えるべきである。
解説
前節を承けた批評。「只だ日々に便簡に趨き、字遂に古意を失ふ」――便利なほうへ流れるうちに、字は本来の意味を失った、と。
そして「豈に字畫のみ爾らんや」と一般化する。事物の修飾、その道を以てせざれば、その實浪漫にしてその古を失ふ。省力化それ自体が悪いのではなく、道理を欠いた省略が中身を空洞にする、という指摘で、上巻二十三節の「桃梗土偶」や中巻二十九節の「盟して信なくんば」と同じ警戒である。
禮儀章を貫く主題――形式は中身を担保するが、中身を欠いた形式は何も担保しない――が、文字論の側からもう一度述べられている。
禮儀章 五十三或は疑ふ、文學は外朝を以て長ぜりと爲すや
原文
或疑、因此則文學必以外朝爲長乎、愚謂、漢語之文學者、不侍外朝而可知之、故推古帝修好善隣之後、外國通信不已、置留學生、以令講尋漢詩、外朝之典籍無不衆、至其如吉備眞備阿倍仲麻呂、與盛唐文人詩仙、相並不愧、其事風禮塵相與者、世世不乏人、詩賦文章之集以爲冊、亦何異乎彼矣、
訓読
或は疑ふ、これに因れば則ち文學は必ず外朝を以て長ぜりと爲すやと。愚謂へらく、漢語の文學は、外朝に侍らずしてこれを知るべし。故に推古帝好を修め隣を善くするの後、外國通信已まず、留學生を置きて、以て漢詩を講尋せしむ。外朝の典籍衆からずといふことなし。その吉備眞備阿倍仲麻呂のごときに至りては、盛唐の文人詩仙と、相並びて愧ぢず。その風に事へ塵を禮して相與する者、世世人に乏しからず。詩賦文章の集以て冊と爲すこと、亦何ぞ彼に異ならんや。
現代語訳
ある人は疑って言う。「これによれば、文学は必ず外国のほうが優れているということになるのではないか」。私はこう考える。漢語の文学は、外国に頼らなくても知ることができる。だから推古天皇が好誼を修め隣国と善くされた後、外国との通信はやまず、留学生を置いて漢詩を学び究めさせた。外国の典籍で多く伝わらなかったものはない。吉備眞備や阿倍仲麻呂のような人に至っては、盛唐の文人や詩仙と肩を並べて恥じることがない。その風に従い、そのあとを慕って交わった者は、代々人に事欠かなかった。詩賦や文章の集を編んで冊とすることも、どうしてあちらと異なろうか。
解説
文學論に入る。反論は「文学では中国が上ではないか」。素行の答えは「漢語の文學は、外朝に侍らずしてこれを知るべし」――漢文の文学は、中国に頼らなくてもこの国で身につけられる、というもの。
根拠は留学生の制度と、その成果としての吉備眞備・阿倍仲麻呂である。「盛唐の文人詩仙と相並びて愧ぢず」。中巻三十五節で「外朝の經典、廣く世に布き…大いに中國の治平を補ふ」と評価した、その果実がここに挙がっている。
この二人は第六十七節でふたたび、しかも対照的な評価とともに登場する。
禮儀章 五十四抑〻文學は我が文學にして、必ずしも彼れならず
原文
抑文學者我文學而不必彼、大底朝廷之紀錄史書勅集、皆以借漢字訓倭語也、其間有以漢語、有倭漢相模、有以倭字、如日本書記萬葉集古今集、及六條宮以異字模擬、伊勢物語專以音爲長訓倭語、譯說貞觀政要、是也、不知中朝之文學、而基漢文、猶未能事人焉、事鬼神矣、
訓読
抑も文學は我が文學にして、必ずしも彼ならず。大底朝廷の紀錄史書勅集は、皆漢字を借りて倭語を訓ずるを以てなり。その間漢語を以てするあり、倭漢相模するあり、倭字を以てするあり。日本書記萬葉集古今集のごとき、及び六條宮の異字を以て模擬するもの、伊勢物語の專ら音を以て長と爲して倭語を訓ずるもの、貞觀政要を譯說するもの、是なり。中朝の文學を知らずして、漢文に基くは、猶ほ未だ人に事ふること能はずして、鬼神に事へんとするがごとし。
現代語訳
そもそも文学とは我が国の文学であって、必ずしもあちらのものではない。おおよそ朝廷の記録や史書、勅撰の集は、みな漢字を借りて倭語を書きあらわしているからである。そのあいだに、漢語で書くものもあり、倭と漢とを模し合わせるものもあり、倭字で書くものもある。『日本書紀』『萬葉集』『古今集』のようなもの、また六條宮が異なる字を用いて模したもの、『伊勢物語』がもっぱら音を重んじて倭語を書きあらわしたもの、『貞觀政要』を訳して説いたもの――これらがそれである。この国の文学を知らないままに漢文を基とするのは、まるで「まだ人に仕えることもできないのに、鬼神に仕えようとする」ようなものだ。
解説
「抑〻文學は我が文學にして、必ずしも彼れならず」――この宣言が本節の核である。
根拠は表記の実態だ。「皆漢字を借りて倭語を訓ずるを以てなり」。『日本書紀』『萬葉集』『古今集』『伊勢物語』を並べ、漢語で書くもの、和漢混じり、倭字(假名)で書くもの、と表記の三つの型を示す。第四十七節の「中華の文字、その實は倭字に在り」が、ここで文学史として具体化されている。
結びは『論語』の「未だ人に事ふること能はず、焉んぞ能く鬼に事へん」の転用。自国の文学を知らずに漢文から入るのは順序が逆だ、という上巻十五節・中巻四十二節と同じ主張が、ここでもっとも痛烈な形で出ている。
禮儀章 五十五或は問ふ、書畫も亦た中朝の法ありやと
原文
或問、書畫亦有中朝之法乎、愚謂、既有文字則未嘗無模樣、上古之事迹今不可知之、中古以來、異行州之精秀、或入于神、或入于聖、鬼神亦感之、木石亦動之、其勢飛於龍鳳、其機過於未然之輩、相續連綿、各興一家之風、又相並於外朝、故藤道長藤佐理、及野人若愚之善書之稱、見彼國之書、況畫手之妙、更不愧于彼也、
訓読
或は問ふ、書畫も亦中朝の法ありやと。愚謂へらく、既に文字あるときは則ち未だ嘗て模樣なくんばあらず。上古の事迹は今これを知るべからず。中古以來、異行州の精秀、或は神に入り、或は聖に入る。鬼神も亦これに感じ、木石も亦これに動く。その勢龍鳳に飛び、その機未然に過ぐるの輩、相續ぎ連綿として、各一家の風を興す。又外朝に相並ぶ。故に藤道長藤佐理、及び野人若愚の書を善くするの稱、彼の國の書に見ゆ。況んや畫手の妙、更に彼に愧ぢざるをや。
現代語訳
ある人は問う。「書や画にも、この国の法はあるのか」。私はこう考える。すでに文字があれば、そこに様式がなかったことはない。上古の事跡は、いまとなっては知ることができない。中古から後は、際立った行いや地方のすぐれた人が、あるいは神の域に入り、あるいは聖の域に入った。鬼神もそれに感じ、木や石もそれに動いた。その勢いは龍や鳳のように飛び、その機は起こる前を越えていく――そういう人々が相い続き連綿として、それぞれ一家の風を興した。また外国と肩を並べもした。だから藤原道長・藤原佐理、また野に在る人や若く愚かな者まで、書をよくするという評判が、あちらの国の書物にも見える。まして絵の妙は、さらにあちらに恥じるところがない。
解説
文字論から書畫論へ。「既に文字あるときは則ち未だ嘗て模樣なくんばあらず」――文字があれば必ず様式がある、という第四十六節と同型の議論である。
藤原道長・佐理といった名を挙げ、しかも「野人若愚の書を善くするの稱」――名もない人まで書がうまい、という広がりを言うのが面白い。文化の水準を頂点ではなく裾野で測る見方である。
「彼の國の書に見ゆ」――中国側の記録に載っている、という外部証拠を挙げるのも素行らしい実証への志向である。
禮儀章 五十六修飾の禮は、君子にあらざればその貴を得べからず
原文
凡文字之形象、擇其世于觀者、殆失古意、筆勢之縱意、鋒鋩之任手、凌雲垂露之程、可畏可歡、字盡所由參差、俗字所由興起也、外朝善書者亦然、字變爲楷、大背古體、而鍾繇王羲之以善楷名家者、嗚呼修飾之禮、非君子不可得其貴也矣、
訓読
凡そ文字の形象、その世を擇びて觀る者、殆ど古意を失ふ。筆勢の意を縱にし、鋒鋩の手に任せ、凌雲垂露の程、畏るべく歡ぶべし。字の盡く參差するに由るところ、俗字の興り起つに由るところなり。外朝の書を善くする者も亦然り。字變じて楷と爲り、大いに古體に背く。而して鍾繇王羲之は楷を善くするを以て家に名あり。嗚呼修飾の禮は、君子にあらざればその貴きを得べからざるなり。
現代語訳
そもそも文字の形は、時代を選んで見れば、ほとんど古い意味を失っている。筆の勢いは思うままに走り、筆先は手の動くに任せ、雲を凌ぐようなはね、露の垂れるような点の程合いは、畏れるべくもあり喜ぶべくもある。字がことごとく不揃いになるのも、俗字が起こってくるのも、そこに由来する。外国で書をよくする者も同じである。字は変じて楷書となり、大いに古い書体に背いた。それでいて鍾繇や王羲之は、楷書をよくすることで一家をなしたと称される。ああ、飾り整えるという禮は、君子でなければその貴さを得ることができないのだ。
解説
書論から一般論へ戻る節。字は書き手の手癖に流れて古意を失う――それは日本も中国も同じで、王羲之ですら「大いに古體に背く」楷書の完成者だった、と。
結びの「修飾の禮は、君子にあらざればその貴を得べからず」が要点である。第五十二節の「事物の修飾、その道を以てせざればその實浪漫にしてその古を失ふ」と対になる。形を整えるという行為は、整える人の質にかかっている。技術の問題ではない、というのが素行の結論である。
禮儀章 五十七天石窟 ── 八十萬神、天安河邊に會合す
原文
素戔嗚尊之爲行也、甚無狀、天照大神由此、發慍乃入于天石窟、閉磐戸而幽居焉、故六合之內、常闇而不知晝夜之相代、于時八十萬神、會合於天安河邊、計其可禱之方、故思兼神深謀遠慮、遂集常世之長鳴鳥、使互長鳴、亦以手力雄神、立磐戸之側、而中臣連遠祖天兒屋命、忌部遠祖太玉命、掘天香山之五百箇眞坂樹、而上枝懸八坂瓊之五百箇御統、中枝懸八咫鏡、下枝懸靑和幣白和幣、相與致其祈禱焉、又猿女君遠祖天鈿女命、則手持茅纏之槊、立於天石窟戸之前、巧作俳優、
訓読
素戔嗚尊の爲行甚だ無狀なり。天照大神これに由り、慍りを發して乃ち天石窟に入りまして、磐戸を閉ぢて幽居したまふ。故に六合の內、常闇にして晝夜の相代るを知らず。時に八十萬神、天安河邊に會合し、その禱るべきの方を計る。故に思兼神深謀遠慮して、遂に常世の長鳴鳥を集め、互に長鳴せしむ。亦手力雄神を以て、磐戸の側に立つ。而して中臣連の遠祖天兒屋命、忌部の遠祖太玉命、天香山の五百箇眞坂樹を掘りて、上枝には八坂瓊の五百箇御統を懸け、中枝には八咫鏡を懸け、下枝には靑和幣白和幣を懸け、相與にその祈禱を致す。又猿女君の遠祖天鈿女命は、則ち手に茅纏の槊を持ち、天石窟戸の前に立ちて、巧みに俳優を作す。
現代語訳
素戔嗚尊のふるまいは、はなはだ無狀であった。天照大神はこれによって怒りを発し、天石窟にお入りになり、磐戸を閉じて籠られた。そのため天地四方のうちは常闇となって、昼と夜との交替がわからなくなった。そのとき八十万の神々が天安河の河原に集まり、祈るべき方法を相談した。そこで思兼神が深く謀り遠く慮って、ついに常世の長鳴鳥を集め、互いに長く鳴かせた。また手力雄神を磐戸のかたわらに立たせた。そして中臣連の遠祖である天兒屋命、忌部の遠祖である太玉命が、天香山の五百箇の眞坂樹を掘り、上の枝には八坂瓊の五百箇の御統を懸け、中の枝には八咫鏡を懸け、下の枝には青和幣・白和幣を懸けて、ともにその祈りを捧げた。また猿女君の遠祖である天鈿女命は、手に茅を巻いた矛を持ち、天石窟の戸の前に立って、巧みに舞い演じた。
解説
ここから章は樂(音楽)に移る。素行が引くのは、上巻三節と同じ天石窟の記事である。
ただし切り取り方が違う。上巻では「無狀=無禮」の一語を取って禮の欠如を論じたが、ここでは長鳴鳥・眞坂樹・祈禱・俳優という所作の側を丁寧に写す。同じ場面から、こんどは音と舞の起源を読み出そうとしているのである。
神教章七節(思學)、神知章一節(人才)、禮儀章上三節(無禮)、そしてここ――同じ史料の四度目の読み分けである。
禮儀章 五十八一書に曰く ── 阿波禮、阿那於茂志呂
原文
一書曰、其物既備、掘天香山之五百箇眞賢木、上枝懸鏡、中枝懸靑和幣白和幣、令太玉命捧持稱讚、亦令天兒屋命相副祈禱、令天鈿女命以眞辟葛爲鬘、次蘿葛爲手繦、以竹葉飯篋木葉爲手草、手持著鐸之矛、而於石窟戸前、覆誓槽、庭燎巧作俳優、相與歌舞、於是天照大神中心竊謂、此吾幽居、天下悉闇、群神何由如此之歌樂、乃開戸而窺之、當于此時、上天初晴、衆倶相見、面皆明白、伸手歌舞、相與稱曰、阿波禮、阿那於茂志呂、阿那多能志、阿那佐夜憩、於毛志呂、乃二神倶請曰、勿復還幸、
訓読
一書に曰く、その物既に備はりて、天香山の五百箇眞賢木を掘り、上枝には鏡を懸け、中枝には靑和幣白和幣を懸く。太玉命をして捧持して稱讚せしめ、亦天兒屋命をして相副ひて祈禱せしむ。天鈿女命をして眞辟葛を以て鬘と爲し、次に蘿葛を手繦と爲し、竹葉飯篋木の葉を以て手草と爲し、手に鐸を著けたる矛を持ちて、石窟戸の前に槽を覆せて誓ひ、庭燎して巧みに俳優を作し、相與に歌舞せしむ。ここに天照大神中心に竊かに謂ほさく、此吾幽居して、天下悉く闇し。群神何に由りてかくの如きの歌樂あると。乃ち戸を開きてこれを窺ひたまふ。この時に當り、上天初めて晴れ、衆倶に相見る。面皆明白なり。手を伸べて歌舞し、相與に稱して曰く、阿波禮、阿那於茂志呂、阿那多能志、阿那佐夜憩、於毛志呂と。乃ち二神倶に請ひて曰さく、復た還幸したまふことなかれと。
現代語訳
ある書にいう。その品々がすでに備わって、天香山の五百箇の眞賢木を掘り、上の枝には鏡を懸け、中の枝には青和幣・白和幣を懸けた。太玉命に捧げ持たせて称賛のことばを唱えさせ、また天兒屋命をそれに添えて祈らせた。天鈿女命には眞辟葛を鬘とし、次に蘿葛を襷とし、笹の葉やゆずり葉を手草として、手には鐸をつけた矛を持たせて、石窟の戸の前に槽を伏せて誓い、庭に火を焚いて巧みに舞い演じ、ともに歌い舞わせた。そこで天照大神は心のうちにひそかに思われた。「私が籠って、天下はことごとく闇である。神々はどうしてこのような歌や楽をしているのか」。そこで戸を開けてこれをおのぞきになった。このとき、天がはじめて晴れて、みなが互いに顔を見合わせた。顔はみな明るく白かった。手を伸べて歌い舞い、ともに口々に称して言った。「あはれ、あなおもしろ、あなたのし、あなさやけ、おもしろ」。そして二神がともに請うて申し上げた。「もう二度とお隠れになりませんように」。
解説
「一書に曰く」として引かれる異伝。ここに日本最古の歓声が記録されている――あはれ、あなおもしろ、あなたのし、あなさやけ、おもしろ。
「おもしろ」は面(おもて)が白い、つまり闇が晴れて互いの顔が見えたことに由来する、という語源説が本文そのものに書き込まれているのが目を引く。「面皆明白なり」の一句がそれである。
素行がこの異伝をわざわざ引いたのは、歌と舞とが人を集め、闇を開いたという筋がここに揃っているからだろう。次節の按語がそれを受ける。
禮儀章 五十九是れ聲樂歌舞の禮なり ── 情文の禮
原文
謹按、是聲樂歌舞之禮也、此後火闌降命爲俳優、道臣命奉承密策、能以諷歌、皆繫之一事、而後定音律、制樂器、立曲調、習舞節、各制作一代之樂也、蓋樂者、人心之和悅也、中有和樂踊之實、則外有飾文之事、是爲情文之稱、既有飾文之官事、則音聲以擧、手舞足蹈、於此考五聲、合八音、分六律六呂、節其七情、以正其聲容、皆聖人發其端、待其人以令成其道也、
訓読
謹みて按ずるに、是れ聲樂歌舞の禮なり。この後火闌降命俳優と爲り、道臣命密策を奉承して、能く諷歌を以てす。皆これを一事に繫る。而して後に音律を定め、樂器を制し、曲調を立て、舞節を習ひ、各一代の樂を制作するなり。蓋し樂は、人心の和悅なり。中に和樂踊躍の實あるときは、則ち外に飾文の事あり。是れ情文の稱と爲す。既に飾文の官事あるときは、則ち音聲以て擧がり、手舞ひ足蹈む。ここに於いて五聲を考へ、八音を合はせ、六律六呂を分ち、その七情を節して、以てその聲容を正す。皆聖人その端を發し、その人を待ちて以てその道を成さしむるなり。
現代語訳
つつしんで考えてみるに、これが声楽と歌舞との禮である。この後、火闌降命が舞い演ずる者となり、道臣命は秘めた策を承って諷刺の歌をよく用いた。みなこの一事につながっている。そして後に音律を定め、楽器を作り、曲調を立て、舞の節を習って、それぞれの時代の楽を作り上げたのである。思うに楽とは、人の心の和らぎ喜ぶことである。内に和み楽しみ踊る実があれば、外に飾り整える事があらわれる。これを「情と文」と呼ぶ。すでに飾り整える職掌があれば、音声が挙がり、手が舞い足が踏む。そこで五声を考え、八音を合わせ、六律六呂を分けて、七つの感情を節し、その声と姿とを正す。みな聖人がその端緒を発し、それにふさわしい人を待ってその道を完成させるのである。
解説
「樂は人心の和悅なり」――音楽の定義である。そして「中に和樂踊躍の實あるときは、則ち外に飾文の事あり」。内に喜びがあるから外に形が現れる、その内外を合わせて「情文」と呼ぶ。
禮儀章 上一節で、禮を「天地の形を人が写し取ったもの」と定義したのと同じ構えである。形は内側の何かの写しであって、形だけが先に立つことはない。
結びの「聖人その端を發し、その人を待ちて以てその道を成さしむ」も本書に繰り返し現れる形で、上巻十七節の「建儲+論敎」と同じく、始めた者と完成させる者とは別という時間感覚が入っている。
禮儀章 六十禮は正しくして嚴なり、樂は和して安かなり
原文
凡禮者、正而嚴也、樂者、和而安也、禮者、所以節於人情也、樂者、所以事於神人也、故事神祇、和上下、育人才、養性情、莫大於樂、樂、非一調喜、衆相會以成其樂、樂制不備、則不得、是重其本而未嘗遺其末、章其實而未嘗舍其文也、徒有其物而無其誼、則非成敎化之實、徒言其德而無其制、則非感神人之全、
訓読
凡そ禮は、正しくして嚴なり。樂は、和して安かなり。禮は、人情を節する所以なり。樂は、神人に事ふる所以なり。故に神祇に事へ、上下を和し、人才を育て、性情を養ふこと、樂より大なるはなし。樂は、一つの調の喜びにあらず。衆相會して以てその樂を成す。樂の制備はらざれば、則ち得ず。是れその本を重んじて未だ嘗てその末を遺れず、その實を章らかにして未だ嘗てその文を舍てざるなり。徒らにその物ありてその誼なきときは、則ち敎化の實を成すにあらず。徒らにその德を言ひてその制なきときは、則ち神人を感ぜしむるの全にあらず。
現代語訳
そもそも禮は、正しくして厳しいものである。楽は、和らいで安らかなものである。禮は人の情に節目をつけるためのものであり、楽は神と人とに仕えるためのものである。だから神祇に仕え、上下を和らげ、人材を育て、性情を養うことにおいて、楽より大きなものはない。楽は、一つの調べの喜びではない。多くの人が集まって、はじめてその楽を成す。楽の制度が備わらなければ、それは得られない。これは根本を重んじながら、末を忘れたことがなく、実を明らかにしながら、その形を捨てたことがない、ということである。いたずらにその物があって道理がなければ、教化の実を成すものではない。いたずらにその徳を語ってその制度がなければ、神と人とを感動させるのに十分ではない。
解説
禮儀章の理論的な締めくくり。「禮は正しくして嚴なり、樂は和して安かなり」――中巻二十六節の「朝賀は尊卑の禮を嚴にし、燕會は上下の情を和す」と同じ一対が、こんどは禮と樂という最も大きな枠で立て直される。
役割分担も明快で、「禮は人情を節する所以なり、樂は神人に事ふる所以なり」。禮は区切るもの、樂はつなぐもの、というわけである。
そして本章全体の結論というべき二句が置かれる。「徒らにその物ありてその誼なきときは、敎化の實を成すにあらず。徒らにその德を言ひてその制なきときは、神人を感ぜしむるの全にあらず。」――中身のない形式も、形式のない徳も、どちらも足りない。聖政章十六〜十八節で「制度は德の末にあらず」と言い直した素行の到達点が、ここにある。
禮儀章 六十一聖人樂を制し、又た四海これを共にす
原文
聖人制樂、又思與四海共之、百世傳之、豈本末偏廢乎、神代因素戔嗚神之慮、樂所制之道大備、故神亦感之、其功數廣大深切、可以見之也、此後樂之制日備、風雅頗以正之、有神樂以事神祇、有樂舞以和上下、有催馬樂風俗、以知天下之俗、或有四夷之樂、或有雜藝今樣、以示敎化之德、以褒和樂之實、況呂律樂府之詳、樂器之名物珍奇、伶人之通音律、舞曲之感鬼神、更不乏其人也、
訓読
聖人樂を制し、又四海とこれを共にし、百世これを傳へんことを思ふ。豈に本末偏り廢せんや。神代は素戔嗚神の慮りに因りて、樂の制するところの道大いに備はる。故に神も亦これに感ず。その功數廣大深切なること、以てこれを見るべきなり。この後樂の制日に備はり、風雅頗る以てこれを正す。神樂ありて以て神祇に事へ、樂舞ありて以て上下を和し、催馬樂風俗ありて以て天下の俗を知る。或は四夷の樂あり、或は雜藝今樣あり、以て敎化の德を示し、以て和樂の實を褒む。況んや呂律樂府の詳、樂器の名物珍奇、伶人の音律に通じ、舞曲の鬼神を感ぜしむる、更にその人に乏しからざるをや。
現代語訳
聖人は楽を制定し、また四海の人々とそれをともにし、百世にわたって伝えようと願う。どうして根本と末端とのどちらかに偏って捨てることがあろうか。神代においては素戔嗚神の慮りによって、楽を制定する道が大いに備わった。だから神もこれに感じた。その功のたびたび広く大きく、深く切実であったことは、それによって見てとれる。この後、楽の制度は日ごとに備わり、風雅がこれを大いに正した。神楽があって神祇に仕え、楽舞があって上下を和らげ、催馬楽や風俗があって天下の習俗を知る。あるいは四方の異国の楽があり、あるいは雑芸や今様があって、教化の徳を示し、和み楽しむ実を褒める。まして呂と律、楽府の詳しさ、楽器の名物や珍しいもの、楽人が音律に通じていること、舞曲が鬼神を感動させることにおいて、それにふさわしい人が欠けたことはない。
解説
「豈に本末偏り廢せんや」――前節の結論を一句で繰り返す。
後半は日本の音楽の一覧である。神樂(神事)・樂舞(上下を和す)・催馬樂と風俗(天下の俗を知る)・四夷の樂・雜藝今樣。注目すべきは「催馬樂・風俗ありて以て天下の俗を知る」――民間の歌謡を、統治者が習俗を知るための手がかりとして位置づけている点で、聖政章二節「政の要は民心と習俗とを察するに在り」に直結する。
「四夷の樂」まで並べているのは、中巻の華夷論に比べるとずいぶん開かれた態度である。
禮儀章 六十二八雲立つ ── 詠歌の始
原文
素戔嗚尊遂到出雲之淸地焉、乃言曰、吾心淸淸之、於彼處建宮、時素戔嗚尊歌之曰、夜句茂多菟、伊豆毛夜覇餓岐、菟磨語昧爾、夜覇餓岐都倶盧、贈廼夜覇餓岐廻、
謹按、是詠歌之始也、初二神既有唱和、爲喜哉之辭、是乃雖歌曲之父母、未及章句、至此三十一字相備、爲萬世詠歌之基、此後下照姬之夷曲、彦火火出尊之擧歌、及人皇此道隆、而以至動天地感鬼神和上下正人倫通事物之情、是乃樂律之共也、
訓読
素戔嗚尊遂に出雲の淸地に到りたまふ。乃ち言たまはく、吾が心淸淸しと。彼の處に宮を建つ。時に素戔嗚尊これを歌ひて曰はく、夜句茂多菟、伊豆毛夜覇餓岐、菟磨語昧爾、夜覇餓岐都倶盧、贈廼夜覇餓岐廻と。
謹みて按ずるに、是れ詠歌の始なり。初め二神既に唱和ありて、喜ばしきかなの辭を爲す。是れ乃ち歌曲の父母なりと雖も、未だ章句に及ばず。ここに至りて三十一字相備はり、萬世詠歌の基と爲る。この後下照姬の夷曲、彦火火出尊の擧歌あり、人皇に及びてこの道隆んなり。而して天地を動かし鬼神を感ぜしめ、上下を和し、人倫を正し、事物の情に通ずるに至る。是れ乃ち樂律の共にするところなり。
現代語訳
素戔嗚尊はついに出雲の清らかな地に至られた。そして言われた。「わが心はすがすがしい」。その地に宮を建てられた。そのとき素戔嗚尊はこれを歌って言われた。「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を」。
つつしんで考えてみるに、これが詠歌のはじめである。はじめ二神にすでに唱和があって、「喜ばしいかな」ということばを交わされた。それは歌曲の父母ではあるけれども、まだ章句には及ばない。ここに至って三十一字が備わり、万世にわたる詠歌の基となった。この後、下照姫の夷曲、彦火火出見尊の挙歌があり、人皇の御代になってこの道は盛んになった。そして天地を動かし鬼神を感動させ、上下を和らげ、人倫を正し、事物の情に通ずるまでになった。これこそ楽と律とが共にするところである。
解説
「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣作るその八重垣を」――和歌の始祖とされる一首を、素行は「三十一字相備はり、萬世詠歌の基と爲る」と位置づける。
丁寧なのは、それ以前との区別である。二神の唱和(第四十七節の「阿那邇夜志愛袁登古袁」)は「歌曲の父母」ではあるが「未だ章句に及ばず」。形が定まったところを起点とする、という基準である。
結びの「天地を動かし鬼神を感ぜしめ」は『古今和歌集』仮名序を踏まえた語。素行が和歌の伝統をきちんと踏まえていることが分かる一句である。
禮儀章 六十三六義 ── 内は七情の趣に因り、外はその言辭を發す
原文
蓋內因七情之趣、外發其言辭、以述其懷者、人情之道也、既有言辭有章有句、有章句以可詠之、則有調而託之、有陳而直之、有譬而比之、乃有起而引之、有正而言之、乃有覩而諷之、詞林言葉之繁、文海筆藻之廣、千變萬態、亦不出此六義、
訓読
蓋し內は七情の趣に因り、外はその言辭を發して、以てその懷ひを述ぶるは、人情の道なり。既に言辭あれば章あり句あり。章句ありて以てこれを詠ずべきときは、則ち調べてこれに託するあり、陳べてこれを直ちにするあり、譬へてこれに比するあり、乃ち起こしてこれを引くあり、正してこれを言ふあり、乃ち覩てこれを諷するあり。詞林言葉の繁き、文海筆藻の廣き、千變萬態なるも、亦この六義に出でず。
現代語訳
思うに、内は七つの情の趣に基づき、外はそのことばを発して、思いを述べるのは、人情の道である。すでにことばがあれば、章があり句がある。章句があってそれを詠ずることができるとなれば、調べてそこに託すものがあり、述べてまっすぐに言うものがあり、たとえて比べるものがあり、起こして引き出すものがあり、正して言うものがあり、見て風刺するものがある。ことばの林の茂り、文の海と筆の彩りの広さ、その千変万化も、またこの六義から外に出るものではない。
解説
『詩經』大序の六義(風・賦・比・興・雅・頌)を、そのまま和歌の分類にあてはめる。「陳べて直ちにする」=賦、「譬へて比する」=比、「起こして引く」=興、「覩て諷する」=風、という対応である。
ここには素行の一貫した方法が出ている――漢籍の枠組みを捨てず、中身を日本のもので満たす。『中庸』『大學』『論語』で繰り返してきたことを、こんどは詩論で行っているわけである。
出発点を「内は七情の趣に因り、外はその言辭を發す」――内側の感情に置いているのも、第五十九節の「情文」と同じ構えである。
禮儀章 六十四人丸と赤人 ── 長歌・短歌・旋頭・混本
原文
披流分派、而天下皆詠歌、於此、柿本人丸山邊赤人、獨步於古今、神仙于首謚、朝廷、以之佐敎化、以之試其賢愚、人臣、以之薦謀、以之表哀、鬼神以感之、人民以和之、所其繫甚廣、所其基太深、而制長歌短歌旋頭混本之類、雜體又不少、況因二神之唱和、上句下句連歌、洋洋乎盈耳、中國之文物、而猶外國之詩、代代之勅撰、家家之別集、五車亦可折軸、
訓読
披き流れ派を分ちて、天下皆詠歌す。ここに於いて、柿本人丸山邊赤人、古今に獨步し、首めに神仙を謚せらる。朝廷は、これを以て敎化を佐け、これを以てその賢愚を試む。人臣は、これを以て謀を薦め、これを以て哀みを表はす。鬼神以てこれに感じ、人民以てこれに和す。その繫るところ甚だ廣く、その基とするところ太だ深し。而して長歌短歌旋頭混本の類を制し、雜體又少なからず。況んや二神の唱和に因りて、上句下句の連歌、洋洋乎として耳に盈つるをや。中國の文物にして、猶ほ外國の詩のごとし。代代の勅撰、家家の別集、五車も亦軸を折るべし。
現代語訳
流れは分かれ広がって、天下がみな歌を詠むようになった。ここにおいて柿本人麻呂と山部赤人とが古今に抜きん出て、まっさきに歌仙の名を贈られた。朝廷はこれによって教化を助け、これによってその人の賢愚を試みた。臣下はこれによって進言し、これによって哀しみを表した。鬼神はこれに感じ、人民はこれに和した。そのかかわるところはきわめて広く、その基はきわめて深い。そして長歌・短歌・旋頭歌・混本歌の類が作られ、変わった歌体もまた少なくない。まして二神の唱和にならって、上の句と下の句とを継ぐ連歌が、豊かに耳に満ちるまでになった。これはこの国の文物であって、ちょうど外国の詩のようなものである。代々の勅撰集、家々の私家集は、五台の車でも軸が折れるほどである。
解説
和歌の広がりを一気に描く。注目したいのは用途の列挙である。教化を助ける、人の賢愚を試す、進言する、哀しみを表す――和歌が政の道具でもあったことを、素行は正面から書いている。「これを以てその賢愚を試む」は、歌が人物評価の手段だったという指摘で、神知章の人材論とも響き合う。
連歌の起源を伊弉諾・伊弉冉の唱和に求めるのも面白い。上巻二節で「天神禮を正したまふの儀」と読んだ同じ場面が、ここでは句を継ぐ形式の起源になる。
「五車も亦た軸を折るべし」は蔵書の多さの慣用表現。
禮儀章 六十五漢語相通じ ── 阿倍仲麻呂と唐の詩人
原文
且集歌林之良材、拏詞海之浮藻、文人筆之書、女史著之冊、豈三萬軸耳乎、及後世、漢語相通、外國之詩賦文章、亦大行于世、凡李翰林王右丞者、盛唐之詩人、天下稱之、而阿倍仲麻呂相並贈答唱和、陸龜蒙皮日休者、文人也詩人也、有高致有聰悟、而擕圓載交擬金蘭、如仲麻呂者、中國之一書生也、唐肅宗上元中、擢左散騎常侍安南都護、累謚北海郡開國公、食邑三千戸、遂卒於唐、是人才不劣於外朝也、
訓読
且つ歌林の良材を集め、詞海の浮藻を拏り、文人これを書に筆し、女史これを冊に著はす。豈に三萬軸のみならんや。後世に及びて、漢語相通じ、外國の詩賦文章も亦大いに世に行はる。凡そ李翰林王右丞は、盛唐の詩人にして、天下これを稱す。而して阿倍仲麻呂相並びて贈答唱和す。陸龜蒙皮日休は、文人なり詩人なり。高致あり聰悟あり。而して圓載を擕へて交りを金蘭に擬す。仲麻呂のごときは、中國の一書生なり。唐の肅宗上元の中、左散騎常侍安南都護に擢んでられ、累ねて北海郡開國公を謚せられ、食邑三千戸、遂に唐に卒す。是れ人才の外朝に劣らざるなり。
現代語訳
そのうえ歌の林からよい材を集め、ことばの海から浮かぶ藻を採って、文人がこれを書に筆録し、女性の書き手がこれを冊子に著した。どうして三万軸だけであろうか。後の世になって、漢語が通じ合い、外国の詩賦や文章もまた大いに世に行われた。李翰林(李白)や王右丞(王維)は盛唐の詩人で、天下がこれを称える。そして阿倍仲麻呂は彼らと肩を並べて詩を贈り答え、唱和した。陸龜蒙・皮日休は文人であり詩人であって、高い趣きがあり聡明であった。そして圓載を伴って、その交わりを金蘭にたとえた。仲麻呂のような人は、この国の一書生にすぎない。それが唐の粛宗の上元年間に、左散騎常侍・安南都護に抜擢され、重ねて北海郡開国公を贈られ、食邑三千戸を得て、ついに唐で没した。これは人材が外国に劣らないということである。
解説
日本の文学の蓄積を挙げたうえで、漢詩文の側でも人が出たことを示す。李白・王維と唱和した阿倍仲麻呂、皮日休・陸龜蒙と交わった圓載――中国側の一級の文人と対等に付き合った例を並べる。
「仲麻呂のごときは、中國の一書生なり」――この国のいち留学生にすぎない者が、唐で三千戸の食邑を得るまでになった。「是れ人才の外朝に劣らざるなり」。
ただし素行の仲麻呂評は、これで終わらない。次節でまったく逆の評価が下される。
禮儀章 六十六吉備眞備は博洽なり ── 詩文の僧に入る
原文
況吉備眞備博洽也、菅江之名其家、文藻詩集、及國史家集之廣布於世、以貴洛紙之價、豈立外國之下風乎、且詩文之入于僧、南禪信義堂、相國絕海、建仁沃江西、東福虎關、如此之等、各橫行而並馳、又不可枚擧也、
訓読
況んや吉備眞備の博洽なるをや。菅江のその家に名あり、文藻詩集、及び國史家集の世に廣く布き、以て洛紙の價を貴からしむ。豈に外國の下風に立たんや。且つ詩文の僧に入るや、南禪の信・義堂、相國の絕海、建仁の沃江西、東福の虎關、かくの如きの等、各橫行して並び馳す。又枚擧すべからざるなり。
現代語訳
まして吉備眞備の学識の広さはなおさらである。菅原・大江の両家がその家名で知られ、その文章や詩集、また国史や私家集が広く世に行きわたって、洛陽の紙の値を高くするほどであった。どうして外国の風下に立つことがあろうか。そのうえ詩文が僧のあいだに入っては、南禅寺の信・義堂、相国寺の絕海、建仁寺の沃江西、東福寺の虎關――このような人々が、それぞれ縦横に並び走った。これもまた数え上げきれない。
解説
文學論の締めくくり。吉備眞備の博識、菅家・江家の学問、五山の詩僧たちを挙げて、「豈に外國の下風に立たんや」と結ぶ。
「洛紙の價を貴からしむ」は、左思の「三都賦」が評判になって洛陽の紙が値上がりしたという『晉書』の故事。漢籍の故事を使って日本の文学を讃える――素行の常套がここでも見える。
五山文学まで視野に入れているのは、この書が江戸前期の学問水準の上に書かれていることを示している。
禮儀章 六十七仲麻呂はその本を忘る ── 豈に是れ才の實ならんや
原文
或疑、先人曰、中朝之文士、播名於外國、粟田阿倍而已、然乃粟田阿倍之才賢於吉備乎、愚謂、粟田入唐、武后賜宴於麟德殿、見外國之史、粟田眞人養老三年卒、無遺行之可稱於今、仲滿雖播名於外國、中朝又無可知其才、吉備眞備入唐而詳唐禮、博涉經史、以輔佐主化、大興儒風、釋典之禮、通武義兵法、以審平賊、其功尤殻也、故自從八位下、轉至正二位右大臣、改下道賜吉備姓、凡入唐之輩、無可立此上、竊按、仲麻呂者、反之、夫雖信美、而非吾土者、人之情也、仲麻呂放其還而不去、卒於唐、終不省父母、不輔主政、家乏葬禮有闕、又賜其贈爵、榮遇如此、而忘其本、豈是才之實乎、唐帝賞之、以美官大祿、外國之衰、亦可幷按也、
訓読
或は疑ふ、先人曰く、中朝の文士、名を外國に播くは、粟田阿倍のみと。然らば乃ち粟田阿倍の才は吉備より賢れるかと。愚謂へらく、粟田唐に入り、武后宴を麟德殿に賜ふこと、外國の史に見ゆ。粟田眞人は養老三年に卒す。遺行の今に稱すべきなし。仲滿は名を外國に播くと雖も、中朝には又その才を知るべきなし。吉備眞備は唐に入りて唐禮に詳かに、經史に博涉し、以て主の化を輔佐し、大いに儒風釋典の禮を興し、武義兵法に通じ、以て賊を審かにし平ぐ。その功尤も殻いなり。故に從八位下より、轉じて正二位右大臣に至り、下道を改めて吉備の姓を賜ふ。凡そ入唐の輩、この上に立つべきなし。竊かに按ずるに、仲麻呂は、これに反す。夫れ信に美なりと雖も、吾が土にあらずとは、人の情なり。仲麻呂はその還るを放ちて去らず、唐に卒す。終に父母を省みず、主の政を輔けず、家乏しくして葬禮闕くるあり。又その贈爵を賜ふ。榮遇かくの如くにして、その本を忘る。豈に是れ才の實ならんや。唐帝これを賞するに、美官大祿を以てす。外國の衰へ、亦幷せ按ずべきなり。
現代語訳
ある人は疑って言う。「先人は、この国の文士で名を外国に広めたのは粟田と阿倍だけだ、と言った。それなら粟田や阿倍の才は吉備より優れているのか」。私はこう考える。粟田が唐に入り、武后が麟徳殿で宴を賜わったことは、外国の史書に見える。粟田真人は養老三年に没した。いまに称すべき事績は残っていない。仲満(仲麻呂)は名を外国に広めたとはいえ、この国には彼の才を知るよすががない。吉備真備は唐に入って唐の礼に詳しく、経書と史書とに広く渉り、君主の教化を助け、大いに儒の風と仏典の礼とを興し、武の道と兵法とに通じて、賊を明らかにし平らげた。その功はもっとも大きい。だから従八位下から転じて正二位右大臣に至り、下道の氏を改めて吉備の姓を賜わった。そもそも入唐した者で、この上に立てる者はない。ひそかに考えてみるに、仲麻呂はこれと反対である。「まことに美しいとはいえ、わが土地ではない」というのが人の情である。仲麻呂は帰る機会を手放して去らず、唐で没した。ついに父母を顧みず、君主の政を助けず、家は貧しくて葬礼に欠けるところがあった。そのうえ唐から贈位を賜わった。栄えある待遇がこのようでありながら、その本を忘れている。これがどうして才の実であろうか。唐の帝がこれを賞するのに、よい官と大きな禄とをもってした。外国の衰えも、あわせて考えるべきである。
解説
素行が個人を名指しで厳しく断ずる、めずらしい一段。前節で「人才外朝に劣らず」の例に挙げた当の仲麻呂が、ここでは否定的な例になる。
基準は明快で、本を忘れたかどうかである。「終に父母を省みず、主の政を輔けず」――才があっても、それを親と国とに返していない。対する吉備眞備は、唐で学んだものを持ち帰って儒風を興し兵法を伝え、右大臣に至った。学びは持ち帰ってはじめて実になる、という評価軸である。
ただしこの評は一面的でもある。仲麻呂は帰国を試みて遭難し、やむなく唐にとどまった――『続日本紀』にも見える経緯を、素行は「その還るを放ちて去らず」と読んでいる。また異国で高位に上ったこと自体の意義も、ここでは考慮されない。
とはいえ、この節は素行の忠孝観がもっとも直截に出た箇所として読む値打ちがある。上巻十五節・中巻四十二節と同じ主題――外に学ぶことは、内に返すためである――の、人物論としての現れである。
禮儀章 六十八來目歌 ── 謠歌の初
原文
神武帝東征於菟田血原、以酒宍班賜軍卒、乃爲御謠之曰、伽牟伽筮能宇伽能多伽機爾、辭藝和奈破羅、和餓末菟夜、辭藝破佐夜羅孺、伊殊倶波辭、勾旤羅佐夜離、固奈瀰餓、那居波佐磨、多智曾麼能未廼、那鶏句塢、居紀辭被惠禰、宇破奈利餓、那居波佐磨、伊智佐介幾、未廼於朋鶏句塢、居紀儀被惠禰、是謂來目歌、今樂府奏此歌者、猶存手量大小、及音聲巨細、此古之遺式也、
謹按、是謠歌之初也、夫謠者、無章曲、而是又詠歌之一體也、凡神樂催馬樂風俗所歌、皆是謠也、
訓読
神武帝菟田の血原に東征し、酒宍を以て軍卒に班ち賜ふ。乃ち御謠を爲してこれを曰はく、伽牟伽筮能宇伽能多伽機爾、辭藝和奈破羅、和餓末菟夜、辭藝破佐夜羅孺、伊殊倶波辭、勾旤羅佐夜離……是を來目歌と謂ふ。今樂府のこの歌を奏するは、猶ほ手量の大小、及び音聲の巨細を存す。此れ古の遺式なり。
謹みて按ずるに、是れ謠歌の初なり。夫れ謠は、章曲なくして、是れ又詠歌の一體なり。凡そ神樂催馬樂風俗の歌ふところ、皆是れ謠なり。
現代語訳
神武天皇が菟田の血原へ東征されたとき、酒と肉とを軍の兵たちに分け与えられた。そして御謡を作って言われた。「神風の 宇陀の高城に 鴫罠張る わが待つや 鴫は障らず いすくはし 鯨障り……」。これを來目歌という。いま楽府がこの歌を奏するときには、なお手の量りの大小や、音声の太い細いを保っている。これは古の遺した形式である。
つつしんで考えてみるに、これが謡歌のはじめである。そもそも謡とは、章や曲の形をもたないもので、これもまた詠歌の一つの体である。そもそも神楽・催馬楽・風俗で歌われるものは、みなこの謡である。
解説
和歌(詠歌)に対して謠歌――節はあるが定まった形をもたない歌――の起源を、神武天皇の來目歌に求める。
興味深いのは「今樂府のこの歌を奏するは、猶ほ手量の大小、及び音聲の巨細を存す」という一句。素行の時代の宮廷楽が、なお古い歌い方の記憶をとどめている、という観察である。「此れ古の遺式なり」――生きて残っている古を、彼は書物と同じ資格の史料として扱う。中巻二十五節「習俗の儀ありて因循し來る」と同じ態度である。
禮儀章 六十九三百篇の詩は中國の謠歌なり ── 以上、禮儀の道を論ず
原文
蓋外朝三百篇之詩者、中國之謠歌也、中州三十一字之歌者、外國之律詩也、五言七言之詩者、起於漢、康哉之歌出于唐虞、中朝之歌謠、共遺端於神代、以隆風於後世、嗚呼和上下通人情事鬼神之道、太備哉、
以上論禮儀之道、謹按、禮者、則天地、順人情、考事物、致其至誠、省其始終之道也、儀者、正威儀以修飾文章之謂也、禮立則儀行、故治平於國家、不以禮、則猶衡無繩墨無規矩、其輕重曲直方圓、終不可知、定禮不以道、則猶衡之不正、繩墨規矩之不明、卻之以奸詐、亦不須得其實、
訓読
蓋し外朝三百篇の詩は、中國の謠歌なり。中州三十一字の歌は、外國の律詩なり。五言七言の詩は、漢に起こり、康哉の歌は唐虞に出づ。中朝の歌謠は、共に端を神代に遺し、以て風を後世に隆んにす。嗚呼上下を和し人情に通じ鬼神に事ふるの道、太だ備はれる哉。
以上、禮儀の道を論ず。謹みて按ずるに、禮は、天地に則り、人情に順ひ、事物を考へ、その至誠を致し、その始終を省みるの道なり。儀は、威儀を正して以て文章を修飾するの謂なり。禮立つときは則ち儀行はる。故に國家に治平するに、禮を以てせざれば、則ち猶ほ衡に繩墨なく規矩なきがごとし。その輕重曲直方圓、終に知るべからず。禮を定むるに道を以てせざれば、則ち猶ほ衡の正しからず、繩墨規矩の明らかならざるがごとし。これを卻くるに奸詐を以てすれば、亦その實を得るを須ゐず。
現代語訳
思うに外国の三百篇の詩は、この国でいう謡歌である。この国の三十一字の歌は、外国でいう律詩である。五言七言の詩は漢の時代に起こり、「康き哉」の歌は唐虞の世に出た。この国の歌謡は、ともに端緒を神代に遺して、その風を後の世に盛んにした。ああ、上下を和らげ人情に通じ鬼神に仕える道は、実に備わっていることよ。
以上、禮儀の道を論じた。つつしんで考えてみるに、禮とは、天地に則り、人情に順い、事物を考え、その誠を尽くし、その始めと終わりとを省みる道である。儀とは、威儀を正して文章を飾り整えることをいう。禮が立てば儀が行われる。だから国家を治め平らかにするのに、禮によらなければ、秤に墨縄も定規もないようなものである。その軽重、曲直、方円が、ついに分からない。禮を定めるのに道によらなければ、秤が正しくなく、墨縄や定規が明らかでないようなものである。それを邪な偽りで退けようとしても、その実を得ることはできない。
解説
禮儀章の総括。前半に置かれた等置が大胆である。「外朝三百篇の詩は、中國の謠歌なり。中州三十一字の歌は、外國の律詩なり。」――『詩經』と和歌とを、同じものの二つのあらわれと見る。中巻三十五節の「同氣相求め、同類相應ず」が、詩歌の次元で言い直されている。
後半が章全体の定義である。禮は「天地に則り、人情に順ひ、事物を考へ、その至誠を致し、その始終を省みる」道。儀は「威儀を正して文章を修飾する」こと。そして「禮立つときは儀行はる」。上巻一節の定義(天地の形を人が写し取ったもの)が、ここで五つの動詞に展開されて戻ってくる。
結びに權衡・繩墨・規矩の比喩が再登場するのも見逃せない。聖政章十六節で「政敎法令は德の末か」への反論に使われたのと同じ道具立てである。禮とは、軽重や曲直をごまかせなくする物差しである――禮儀章 上・中・下を貫く主張が、ここで一本にまとまる。
禮儀章 七十或は疑ふ、樂を以て禮に同じくするは何ぞ ── 樂も亦た儀の禮なり
原文
五倫之大經、事物之周遍、莫善於禮、禮不因儀不行、儀不本禮無誠、禮儀相因而后本立文成矣、儀禮之經緯於天下、其品節甚多、其條目敢繁、故制儀禮、審修飾、非聖人不盡道、非天子不能擧、其用也、人有親疎、有貴賤、有貧富、有男女、有長幼、有官位、有職掌、其事之吉也凶也軍也賓也嘉也、其物之云衣服、云飲食、云家宅、云用器、其威儀文章之隆致、豈容易乎、故天之道、地之義、民之行、無不以禮、神聖重其端以戒萬世、其旨不亦大哉、
或疑、樂與禮相對、而今以樂同於禮、何乎、愚謂、樂亦儀之禮也、禮立則樂行、猶天之在地、云天則地在其中也、
訓読
五倫の大經、事物の周遍、禮より善きはなし。禮は儀に因らざれば行はれず、儀は禮に本づかざれば誠なし。禮儀相因りて而して后に本立ち文成る。儀禮の天下に經緯するや、その品節甚だ多く、その條目敢て繁なり。故に儀禮を制し、修飾を審かにするは、聖人にあらざれば道を盡さず、天子にあらざれば擧ぐること能はず。その用や、人に親疎あり、貴賤あり、貧富あり、男女あり、長幼あり、官位あり、職掌あり。その事の吉なり凶なり軍なり賓なり嘉なり。その物の衣服と云ひ、飲食と云ひ、家宅と云ひ、用器と云ふ。その威儀文章の隆致、豈に容易ならんや。故に天の道、地の義、民の行ひ、禮を以てせざるなし。神聖その端を重んじて以て萬世を戒む。その旨亦大ならずや。
或は疑ふ、樂と禮とは相對す。而るに今樂を以て禮に同じくするは何ぞやと。愚謂へらく、樂も亦儀の禮なり。禮立つときは則ち樂行はる。猶ほ天の地に在るがごとし。天と云ふときは則ち地その中に在るなり。
現代語訳
五倫の大きな筋道、事物の行きわたり――禮より善いものはない。禮は儀によらなければ行われず、儀は禮に基づかなければ誠がない。禮と儀とが互いに拠り合って、はじめて本が立ち形が成る。儀と禮とが天下に縦横に張りめぐらされるとき、その区分はきわめて多く、その条目はきわめて繁雑である。だから儀と禮とを定め、飾り整えることを詳らかにするのは、聖人でなければその道を尽くせず、天子でなければ行うことができない。その用いられ方は、人に親疎があり、貴賤があり、貧富があり、男女があり、長幼があり、官位があり、職掌がある。その事には吉・凶・軍・賓・嘉がある。その物には衣服といい、飲食といい、家宅といい、用器という。その威儀と文章との盛んで行き届いていること、どうして容易であろうか。だから天の道も、地の義も、民の行いも、禮によらないものはない。神聖なる方々はその端緒を重んじて万世を戒められた。その趣旨もまた大きいではないか。
ある人は疑って言う。「楽と禮とは相対するものである。それなのにいま楽を禮と同じものとしているのはなぜか」。私はこう考える。楽もまた儀としての禮である。禮が立てば楽が行われる。ちょうど天が地とともにあるようなものだ。「天」と言えば、地はその中に含まれている。
解説
禮儀章、そして本読本の三分冊にわたる長い章の、最後の一節である。
「禮は儀に因らざれば行はれず、儀は禮に本づかざれば誠なし」――章題の「禮儀」という二字が、ここでようやく分解して示される。禮は中身、儀は形。どちらが欠けても成り立たない。上巻から繰り返されてきた二本立ての論法の、いわば最終形である。
そのうえで禮の適用範囲を列挙する。人の別(親疎・貴賤・貧富・男女・長幼・官位・職掌)、事の別(吉凶軍賓嘉の五禮)、物の別(衣服・飲食・家宅・用器)。「その威儀文章の隆致、豈に容易ならんや」――簡単なことではない、と正直に言う。
結びは「樂と禮とは別ではないのか」という最後の問い。答えは「猶ほ天の地に在るがごとし。天と云ふときは則ち地その中に在るなり」。天と言えば地も含まれる――大きいほうを言えば小さいほうは中にある、という美しい閉じ方である。
これで第九章「禮儀章」は終わり、次章は賞罰章に入ります。