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中朝事實 十三(武德章 下)

山鹿素行 著 ── 征は其の不正を正すなり/乃武乃文、堯の德を賛く 原文・訓読・現代語訳・解説の四層

この読本について

『中朝事實』第十一章武德章の後半、第十四節から章末までです。前半が天瓊矛・武備・將帥論という原理の部分だったのに対し、この後半は征伐の実例と、それを承けた兵論の総括から成ります。

実例は二つ。日本武尊による東征と、神功皇后による新羅征討です。素行はいずれも『日本書紀』の記事を長く引き、そこから将帥の条件、軍令のあり方、降伏した者の扱いを読み取っていきます。

とくに景行天皇が日本武尊に斧鉞を授ける詔は圧巻で、「形は則ち我が子、實は則ち神人なり」という一句のあと、「姦を探り虛を伺ひ、永くこれを威にし、これを德に懷けよ。兵甲を煩はさずして自ら臣隷たらしめよ」と命じます。戦わずに従わせよ――これが素行の理想とする用兵です。

神功皇后の条では、出征前に群臣を集めて「若し事就らば群臣共に功あり、事就らずんば吾れ獨り罪あらん」と言う場面が引かれます。そして軍令――「敵少なきとも輕んずるなかれ、敵強くとも屈するなかれ」。降伏した新羅王を殺そうという声には「自ら服する者を殺すなかれ」と応じます。

章の総括にあたる第二十八節以降が、兵学者・山鹿素行の到達点です。「征は其の不正を正すなり」「士卒罪なくして死地に入る、故に征伐は人君の大權なり」。そして「兵は覇者の業であって聖人の道ではない」という反論に、「天は五材を生じ、民並びにこれを用ふ。一を廢すべからず、誰か能く兵を去らん」と答え、「乃武乃文、堯の德を賛く」と結びます。

読みどころと注意。この分冊は、本読本のなかでもっとも慎重に読む必要のある巻です。蝦夷を「衣毛飲血」と描く景行紀の記述、そして神功皇后の三韓征討――いずれも史実として成り立たない、あるいは著しく偏った叙述であり、しかも近代の対外膨張論に直接つながっていった箇所でもあります。解説でその都度ことわりを入れました。素行の兵論そのもの(戦わずに従わせよ、征伐は大權である、勝ったあとこそ慎め)は今日も読む値打ちがありますが、それが何の上に乗って語られているかを見ないまま受け取ることはできません。

翻刻について。原文・訓読文は廣瀬豊編『山鹿素行全集 思想篇 第十三巻』の影印からの文字起こしに目視校正を加えたものです。旧字体・異体字を含む古い活字のため、なお誤りが残っている可能性があります。現代語訳と解説はこの読本のために新たに書き起こしたものです。

色分けの凡例

『日本書紀』(本文・一書)本朝の古典(古語拾遺・舊事本紀・元々集ほか)漢籍(易・書・詩・論語・孟子ほか)制度・地理・故事

主要語彙集

斧鉞(ふえつ)
出征の将に天子が授ける鉞。刑戮を専断する権限の委任を示す。景行天皇が日本武尊に、神功皇后がみずから執って三軍に令した。
日高見國(ひたかみのくに)
『日本書紀』景行紀に見える東方の国。武内宿禰の復命に「土地沃壤にして曠し」とある。
面縛(めんばく)
両手を後ろ手に縛り、顔を前に向けた降伏の姿。
不庭(ふてい)
朝廷に従わないこと。「不庭の罪あれば、將帥を遣はしてこれを討つ」。
柔懷(じゅうかい)
遠い者をやわらげ、なつけること。武力ではなく徳によって従わせる方針。
倭寇(わこう)
本章第二十七節に登場。素行は「西州の遊民、掠を役するなり。官兵の寇にあらず」とする。
征は正なり(せいはせいなり)
第三十一節。「征とは其の不正を正すなり」。『孟子』の「征は上、下を伐つなり」を承けた語義解釈。
人の天險(ひとのてんけん)
第三十節。耳目が視聴し、手足が防護し、筋骨が働き、爪歯が噛むのは、人がもともと備えている自然の守りである、の意。
天五材を生ず(てんございをしょうず)
『春秋左氏傳』襄公二十七年。金木水火土の五材はみな民が用いるもので、一つも廃せない。兵もその一つだとする。
乃武乃文(だいぶだいぶん)
『書經』大禹謨に堯を「乃武乃文」と称える語がある。武と文とを並べて徳を讃える。
神武にして殺さず(しんぶにしてころさず)
『易經』繫辭上。武の徳がありながら殺伐に至らないこと。素行の理想とする用兵。

登場する神・人物

日本武尊(やまとたけるのみこと)
景行天皇から斧鉞を授けられて東征した。素行は「東夷征伐の始」とし、その雄武を称える。
武内宿禰(たけうちのすくね)
景行二十五年、北陸および東方諸国の地形と民情とを視察して復命した。素行はその「知機」を評価する。
景行天皇(けいこうてんのう)
日本武尊に斧鉞を授け、「兵甲を煩はさずして自ら臣隷たらしめよ」と命じた。
神功皇后(じんぐうこうごう)
出征に先立って群臣に諮り、みずから斧鉞を執って三軍に令した。素行は「西戎征伐の始」とする。
仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)
住吉大神の託宣を信じず、早く崩じたとされる。
應神天皇(おうじんてんのう)
八幡と諡され、天下の武神として祀られた。素行は「武家殊にこれを崇敬す」と記す。
田道間守(たじまもり)
垂仁天皇の命で常世国に香菓を求めた。素行はこれを海外への関心の先例として引く。
崇神天皇(すじんてんのう)
一千の兵器を作った。
持統天皇(じとうてんのう)
陣法の博士を置き、天下の民に練習させた。素行は「安しと雖も更に職を忘れず」と評する。

武德章 十四功を定め賞を行ふの一句、萬世行賞の權衡なり
原文
更不可忽之、金帛器物爵位土地之與奪、不精其撰、則不得其實、定功行賞之一句、萬世行賞之權衡也、

訓読
さらにこれをゆるがせにすべからず。金帛きんぱく器物きぶつ爵位しやくゐ土地とち與奪よだつ、そのせんくはしくせざれば、すなはちそのじつず。こうさだしやうおこなふの一句いつく萬世ばんせい行賞かうしやう權衡けんかうなり。

現代語訳
さらにこれをおろそかにしてはならない。金や絹、器物、爵位、土地を与えたり奪ったりすることは、その選定を詳しくしなければ、その実を得られない。「功を定め賞を行う」というこの一句こそ、万世にわたる論功行賞のはかりである。

解説
前分冊の武德章十三節から続く按語の末尾。「功を定め賞を行ふの一句、萬世行賞の權衡なり」――たった六字の原則が、以後すべての論功行賞の基準になる、と言い切る。
權衡(はかり)の比喩は、聖政章十六節、禮儀章 上十六節・下六十九節にも現れた素行の常用語である。ごまかせない基準を据えること――それが制度の役割だ、という一貫した理解がここにも見える。
金帛・器物・爵位・土地と、賞の中身を四つ数え上げているのも実務的で、兵学者らしい。

武德章 十五武内宿禰、東方諸國を察す ── 日高見國
原文
景行帝二十五年、秋七月庚辰朔、壬午遣武内宿禰、令察北陸及東方諸國之地形、且百姓之消息也、二十七年、春二月辛丑朔、壬子武内宿禰自東國還之奏言、東夷之中、有日高見國、其國人男女並椎結文身、爲人勇悍、是總曰蝦夷、亦土地沃壤而曠之、擊可取也、

訓読
景行帝けいかうてい二十五年にじふごねんあき七月しちぐわつ庚辰かのえたつついたち壬午みづのえうま武内宿禰たけうちのすくねつかはして、北陸ほくろくおよ東方とうはう諸國しよこく地形ちけい百姓ひやくせい消息せうそくさつせしむ二十七年にじふしちねんはる二月にぐわつ辛丑かのとうしついたち壬子みづのえね武内宿禰たけうちのすくね東國とうごくよりかへりてこれを奏言そうげんすらく、東夷とういうちに、日高見國ひたかみのくにあり。その國人くにびと男女なんによならびに椎結つゐけつけり。ひと勇悍ゆうかんなり。これべて蝦夷えみしふ。また土地とち沃壤よくじやうにしてひろし。ちてるべしと。

現代語訳
景行天皇の二十五年、秋七月庚辰の朔、壬午の日、武内宿禰を遣わして、北陸および東方諸国の地形と、民の様子とを視察させられた。二十七年、春二月辛丑の朔、壬子の日、武内宿禰が東国から帰ってこれを奏上した。「東夷のなかに日高見國があります。その国の人は男も女も髪を椎の実の形に結い、身に入れ墨をしています。人となりは勇ましく荒々しい。これらを総称して蝦夷といいます。また土地は肥えていて広い。撃って取るべきです」。

解説
東征の前段。素行がこの記事を引くのは、用兵に先立って偵察があることを示すためだろう。第二十節の按語で「武内宿禰の知機」と評されるのがそれである。
この記事の内容は、批判的に読む必要がある。「椎結文身」「勇悍」といった描写は、東国の人々を異質なものとして外から名指したものであり、そのうえで「土地沃壤にして曠し。擊ちて取るべし」――土地が良いから奪え、と続く。視察の目的が領土獲得の可否の判定にあったことを、本文自身が率直に記している。
素行はここに論評を加えていないが、次節以降の詔とあわせて、征討がどういう論理で正当化されたかを読む資料として扱うべき箇所である。

武德章 十六斧鉞を日本武尊に授く ── 東夷の狀
原文
四十年夏六月、東夷多叛、邊境騷動、秋七月癸未朔、戊戌天皇持斧鉞、以授日本武尊曰、朕聞其東夷也、識性暴强、凌犯爲宗、村之無長、邑之勿首、各貪封堺、並相盜略、亦山有邪神、郊有姦鬼、遮衢塞徑、多令苦人、其東夷之中、蝦夷是尤强焉、男女交居、父子無別、冬則宿穴、夏則住樔、衣毛飲血、昆弟相疑、登山如飛禽、行草如走獸、承恩則忘、見怨必報、是以箭藏頭髻、刀佩衣中、或聚黨類、而犯邊界、或伺農桑、以略人民、擊則隱草、追則入山、故往古以來、未染王化、

訓読
四十年しじふねんなつ六月ろくぐわつ東夷とういおほそむきて、邊境へんきやう騷動さうどうあき七月しちぐわつ癸未みづのとひつじついたち戊戌つちのえいぬ天皇てんわう斧鉞ふゑつりて、もつ日本武尊やまとたけるのみことさづけてのたまはく、ちんく、それ東夷とうい識性しきせい暴强ばうきやうにして、凌犯りようぼんむねす。むらにこれをさなく、むらにこれかしらなし。おのおの封堺ほうかいむさぼり、ならびにあひ盜略たうりやくす。またやま邪神じやしんあり、かう姦鬼かんきあり、ちまたさへぎみちふさぎ、おほひとくるしめしむ。その東夷とういうちに、蝦夷えみしもつとつよし。男女なんによまじはりり、父子ふしわかちなし。ふゆすなはあな宿やどり、なつすなはむ。み、昆弟こんていあひうたがふ。やまのぼること飛禽ひきんごとく、くさくこと走獸そうじうごとし。おんくればすなはわすれ、うらみをればかならむくゆ。ここをもつ頭髻かみかくし、かたなころもうちく。あるひ黨類たうるゐあつめて、邊界へんかいをかし、あるひ農桑のうさううかがひて、もつ人民じんみんかすむ。てばすなはくさかくれ、へばすなはやまる。ゆゑ往古わうこ以來このかたいま王化わうくわまず。

現代語訳
四十年の夏六月、東夷が多く叛いて、辺境が騒がしくなった。秋七月癸未の朔、戊戌の日、天皇は斧鉞を手に取って日本武尊にお授けになって言われた。「朕が聞くに、あの東夷は、その性質が乱暴で強く、他を侵すことをむねとしている。村に長がなく、邑に首がない。それぞれ境を貪って、互いに盗み奪い合っている。また山には邪しき神があり、郊野には姦しい鬼があって、道をさえぎり径をふさぎ、多くの人を苦しめている。その東夷のなかで、蝦夷がもっとも強い。男女が入りまじって住み、父と子との別がない。冬は穴に宿り、夏は樹上の巣に住む。毛を着て血を飲み、兄弟が互いに疑い合う。山に登ることは飛ぶ鳥のようで、草の中を行くことは走る獣のようだ。恩を受けても忘れ、怨みを見れば必ず報いる。だから矢を髻の中に隠し、刀を衣の中に帯びている。あるいは仲間を集めて辺境を侵し、あるいは農耕や養蚕の時期をうかがって人民を掠める。撃てば草に隠れ、追えば山に入る。だから昔から、いまだ王の教化に染まっていない」。

解説
この節はとくに批判的に読む必要がある。
景行紀の詔に見えるこの蝦夷像――「男女交はり居り、父子別ちなし」「毛を衣て血を飲む」「山に登ること飛禽の如く」――は、東国の人々を人と獣との中間のようなものとして描く定型的な叙述である。中国の史書が周辺民族を記す際の常套句をなぞったもので、実態の記録ではない。
この描写が果たしている機能は明らかで、「往古以來、未だ王化に染まず」――だから征討してよい、という結論を用意することにある。前節の「土地沃壤にして曠し、擊ちて取るべし」という現実的な動機は、ここで「教化されていないから」という名分に置き換えられている。
素行はこの詔を、次節の「威を以てし德に懷けよ」という理想の前置きとして引いている。だが理想の側だけを読んで、その理想が誰を相手に語られたかを見ないわけにはいかない。禮儀章 中四十一節の諸蕃論と同じ構造である。

武德章 十七形は則ち我が子、實は則ち神人なり ── 兵甲を煩はさずして自ら臣隷たらしめよ
原文
今朕察汝爲人也、身體長大、容姿端正、力能扛鼎、猛如雷電、所向無前、所攻必勝、卽知之、形則我子、實則神人、是天憐朕不叡、且國不平、令繼綴天業、不絕宗廟乎、亦是天下、則汝天下也、是位則汝位也、願深謀遠慮、探姦伺虛、永威之以德懷之、不煩兵甲、自令臣隷、卽巧言調暴神、振武以攘姦鬼、

訓読
いまちんなんぢ爲人ひととなりさつするに、身體しんたい長大ちやうだい容姿ようし端正たんせいちからかなへたけきこと雷電らいでんごとし。かふところまへなく、むるところかならつ。すなはちこれをる、かたちすなはなるも、じつすなは神人しんじんなりと。てんちん不叡ふえいにして、くにたひらかならざるをあはれみ、天業てんげふつづけて、宗廟そうべうたざらしめんとするか。また天下てんかは、すなはなんぢ天下てんかなり。くらゐすなはなんぢくらゐなり。ねがはくはふかはかとほおもんぱかり、かんさぐきようかがひ、ながくこれをにしてとくもつてこれをなつけよ。兵甲へいかふわづらはさずして、おのづか臣隷しんれいたらしめよ。すなはげんたくみにして暴神ばうしん調しらべ、ふるひてもつ姦鬼かんきはらへ。

現代語訳
「いま朕がお前の人となりを見るに、身体は大きく、姿は端正で、力は鼎を持ち上げるほど、猛々しさは雷電のようだ。向かうところ前をさえぎるものなく、攻めればかならず勝つ。それで分かる、姿は我が子でも、実は神人であると。これは天が、朕が聡明でなく、しかも国が平らかでないことを憐れんで、天の業を継ぎ続けさせ、宗廟を絶やさないようにされるのであろうか。またこの天下は、すなわちお前の天下である。この位はすなわちお前の位である。願わくは深く謀り遠く慮り、悪だくみを探り虚をうかがって、永くこれに威をもって臨み、徳によってこれをなつけよ。武具を煩わせることなく、おのずと臣下たらしめよ。すなわち言葉を巧みにして荒ぶる神を調べ、武を振るって姦しい鬼を払え」。

解説
詔の後半。「形は則ち我が子なるも、實は則ち神人なり」――父が子を評した一句として名高い。
そのうえで下される命令が、素行の理想とする用兵である。「永くこれを威にして德を以てこれを懷けよ。兵甲を煩はさずして、自ら臣隷たらしめよ。」――戦わずに従わせよ。武德章 十二節の「將帥の用たる、必ずしも勇敢にあらず」がここに具体化されている。
なお「この天下は則ち汝が天下なり、この位は則ち汝が位なり」という一句は、東征を託すにあたって位までも与えると言ったもの。禮儀章 上の建儲論と重ねると、日本武尊が結局は即位しなかったことの重さも見えてくる。
ただし前節の解説で述べたとおり、「德を以て懷けよ」の相手がどう描かれていたかを切り離して読むことはできない。理想の高さと、その理想が適用される範囲の狭さとは、この章では表裏をなしている。

武德章 十八日本武尊、斧鉞を受けて奏す ── 示すに德敎を以てせん
原文
於是日本武尊以受斧鉞、以再拜奏之曰、嘗西征之年、賴皇靈之威、提三尺劒、擊熊襲國、未經浹辰、賊首伏罪、今亦賴神祇之靈、借天皇之威、往臨其境、示以德敎、猶有不服、卽擧兵擊、何重再拜之、
冬十月壬子朔、癸丑日本武尊發路之、

訓読
ここに日本武尊やまとたけるのみこと斧鉞ふゑつけて、再拜さいはいしてもつてこれをそうしてまうさく、かつ西征せいせいとし皇靈くわうれい三尺さんじやくつるぎひつさげて、熊襲國くまそのくにつに、いま浹辰せふしんずして、賊首ぞくしゆつみふくせり。いままた神祇じんぎれいり、天皇てんわうりて、きてそのさかひのぞみ、しめすに德敎とくけうもつてせん。ふくせざるあらば、すなはへいげてたん。なんかさねて再拜さいはいせんと。
ふゆ十月じふぐわつ壬子みづのえねついたち癸丑みづのとうし日本武尊やまとたけるのみことみちちたまふ。

現代語訳
そこで日本武尊は斧鉞を受け、再拝してこれを奏上して言われた。「かつて西征の年、皇霊の威に頼り、三尺の剣をひっさげて熊襲国を撃ちましたところ、十二日と経たずに賊の首領は罪に服しました。いまもまた神祇の霊に頼り、天皇の威をお借りして、行ってその境に臨み、示すのに徳の教えをもってしましょう。それでもなお服さないのであれば、そのとき兵を挙げて撃ちましょう。どうして重ねて再拝せずにいられましょうか」。
冬十月壬子の朔、癸丑の日、日本武尊は路につかれた。

解説
斧鉞を受けた将の奏上。「往きてその境に臨み、示すに德敎を以てせん。猶ほ服せざるあらば、卽ち兵を擧げて擊たん」――まず徳を示し、それでも従わなければ兵を用いるという順序が、将の口から明言される。
前節の詔(德を以て懷けよ、兵甲を煩はすな)を、将が正確に受けている。命令と応答とが対になっているところに、素行がこの一連の記事を引いた意味がある。武德章 十二節の「將帥一たび閫外の寄を受けなば」――委任が成立する場面が、ここに記録されているわけである。
熊襲征討を「浹辰を經ずして」=十二日足らずで、と自ら言うのは、短期で終えたことを功として語る感覚である。第二十六節「東征六年の間、兵を鳴らすこと僅かに一年」と同じ物差しが働いている。

武德章 十九蝦夷の賊首、面縛して服罪す
原文
爰日本武尊則從上總、轉入陸奧國、時大鏡懸於王船、從海路廻於葦浦、橫渡玉浦、至蝦夷境、蝦夷賊首嶋津神國津神等、屯於竹水門而欲距、然遙視王船、讋怖其威勢、而心裏知之不可勝、悉捨弓矢、望拜之曰、仰見君容、秀於人倫、若神之乎、欲知姓名、王對之曰、吾是現人神之子也、於是蝦夷等、悉懼則褰裳、披浪自扶王船而著岸、伺面縛服罪、故發其罪、因以停其首師、而令從身也、蝦夷師卒、

訓読
ここ日本武尊やまとたけるのみことすなは上總かみつふさより、うつりて陸奧國みちのくのくにりたまふ。とき大鏡おほかがみ王船わうせんけ、海路かいろより葦浦あしうらめぐり、玉浦たまのうら橫渡わうとして、蝦夷えみしさかひいたる。蝦夷えみし賊首ぞくしゆ嶋津神しまつかみ國津神くにつかみ竹水門たかのみなとたむろしてふせがんとほつす。しかれどもはるかに王船わうせんて、その威勢ゐせい讋怖せふふし、心裏しんりにこれつべからざるをる。ことごと弓矢ゆみやて、のぞはいしてまうさく、あふぎてきみかたちるに、人倫じんりんひいでたり。かみのごときか。姓名せいめいらんとほつすと。わうこれにこたへてのたまはく、われ現人神あらひとがみなりと。ここに蝦夷えみしことごとおそれてすなはかかげ、なみひらきてみづか王船わうせんたすけてきしけ、うかがひて面縛めんばくつみふくす。ゆゑにそのつみゆるし、りてもつてその首師しゆしとどめて、したがはしむるなり。蝦夷えみしひきしたがふ。

現代語訳
そこで日本武尊は上総からうつって陸奥国に入られた。そのとき大鏡を王の船に懸け、海路から葦浦をめぐり、玉浦を横切って、蝦夷の境に至った。蝦夷の首領である嶋津神・國津神らは、竹水門に集まって防ごうとした。しかし遙かに王の船を見て、その威勢に震え恐れ、心のうちに勝てないことを知った。ことごとく弓矢を捨て、遠くから拝んで申し上げた。「仰いで君のお姿を見ますに、人としてぬきんでておられます。神でいらっしゃいましょうか。お名前を知りとうございます」。王はこれに答えて言われた。「私は現人神の子である」。そこで蝦夷らはみな恐れて裳をかかげ、波をかき分けてみずから王の船を助けて岸につけ、うかがい見て後ろ手に縛られて罪に服した。そこでその罪を許し、その首領をとどめて身辺に従わせた。蝦夷は率いられて従った。

解説
戦わずに服させたという記事。前節で日本武尊が「示すに德敎を以てせん」と誓ったとおりの結末になっている。素行が長く引くのは、これが理想の実現例として読めるからである。
とはいえ、この記述は征服する側の記録であることを忘れてはならない。相手が船を見ただけで恐れ、みずから船を岸に押し、後ろ手に縛られて服す――という叙述は、抵抗がなかったことを示すために書かれた文章であって、実際に何が起きたかの記録ではない。「賊首」を「嶋津神・國津神」と神名で呼びながら「賊」と規定する語法も、その立場を表している。
読みどころとしては、「その罪を發し、その首師を停めて身に從はしむ」――降伏した首領を殺さず身辺に置いた、という処置がある。第二十四節の「自ら服する者を殺すなかれ」に通じる。

武德章 二十東夷征伐の始 ── 武内宿禰の知機、日本武尊の雄武
原文
謹按、是東夷征伐之始也、自是蝦夷朝貢不怠、敎化大行于東方、綿綿以至今日、武内宿禰之知機也、日本武尊之雄武也、神祇之護威也、靈鏡之明光也、殆武德之盛、故帝格至錄其功名、以定武部、示諸後世也、凡少碓王之用兵也、于西于東、所向無窓、勤王而無息、此時邊部之反人悉平、夷賊從服、四海大安、皆是王之功也、惜哉遘之害而夭其命乎、

訓読
つつしみてあんずるに、東夷とうい征伐せいばつはじめなり。これより蝦夷えみし朝貢てうこうおこたらず、敎化けうくわおほいに東方とうはうおこなはれ、綿綿めんめんとしてもつ今日こんにちいたる。武内宿禰たけうちのすくねるなり、日本武尊やまとたけるのみこと雄武ゆうぶなり、神祇じんぎ護威ごゐなり、靈鏡れいきやう明光めいくわうなり。ほとん武德ぶとくさかんなるなり。ゆゑていいたりてその功名こうめいしるし、もつ武部たけるべさだめ、これ後世こうせいしめすにいたるなり。およ少碓王をうすのみこへいもちふるや、西にしひがしき、かふところふさがるるなく、わうつとめてやすむことなし。このとき邊部へんぶ反人はんじんことごとたひらぎ、夷賊いぞく從服じゆうふくし、四海しかいおほいにやすし。みなわうこうなり。しいかながいひてそのいのちえうせしことを。

現代語訳
つつしんで考えてみるに、これが東夷征伐のはじめである。これより蝦夷は朝貢を怠らず、教化は大いに東方に行きわたり、連綿として今日に至っている。武内宿禰が機を知ったことであり、日本武尊の雄々しい武であり、神祇の守護の威であり、霊なる鏡の明るい光である。ほとんど武の徳の盛んなさまである。だから天皇はその功と名とを記し、武部を定めて、これを後の世にお示しになるまでになった。そもそも少碓王が兵を用いるときは、西に行き東に行き、向かうところ塞がるものなく、王に勤めて休むことがなかった。このとき辺境の叛いた者たちはことごとく平らぎ、夷賊は従い服し、天下は大いに安らかであった。みなこれは王の功である。惜しいことだ、害に遭ってその命を若くして終えられたことよ。

解説
東征の総括。素行は成功の要因を四つ挙げる――武内宿禰の知機(偵察)、日本武尊の雄武(将の資質)、神祇の護威、靈鏡の明光。前二つが人事、後二つが神威である。
興味深いのは「帝格りてその功名を錄し、以て武部を定め、諸を後世に示す」――功を記録して部民の名として残した、という点。賞罰章七・八節の「姓名の號は芳しきを百世に流す」と同じ理解で、賞とは記録であるという素行の一貫した見方がここにも出ている。
結びの「惜しい哉、害に遘ひてその命を夭せしことを」――日本武尊の早世を悼む一句。この章で素行が感情を見せる数少ない箇所である。

武德章 二十一事就らずんば吾れ獨り罪あらん ── 群臣に謀る
原文
神功帝因住吉大神之敎、便結分髮、而向爲髻、因以謂群臣曰、夫興師動衆國之大事、安危成敗必在於斯、有所征伐、以事付群臣、若事不成者罪詬於群臣、是甚傷情、吾婦女加以不肖、然暫假男貌、强起雄略、上蒙神祇之靈、下藉群臣之助、振兵甲而度峻浪、整艦船以求財土、若事就者、群臣共有功、事不就者、吾獨有罪、既有此意、其共議之、群臣皆曰、皇后爲天下計、所以安宗廟社稷、且罪不及于臣下、頓首奉詔、

訓読
神功帝じんぐうてい住吉大神すみのえのおほかみをしへり、便すなはかみけて、かひてみづらりてもつ群臣ぐんしんかたりてのたまはく、おこしゆううごかすはくに大事だいじなり。安危あんき成敗せいはいかならずここにり。征伐せいばつするところあるに、こともつ群臣ぐんしんす。ことらざればつみ群臣ぐんしんめん。はなはじやういたましむ。われ婦女ふぢよにしてくはふるに不肖ふせうもつてす。しかれどもしばらをとこかたちり、ひて雄略ゆうりやくこす。かみ神祇じんぎれいかうむり、しも群臣ぐんしんたすけり、兵甲へいかふふるひて峻浪しゆんらうわたり、艦船かんせんととのへてもつ財土ざいどもとめん。ことらば、群臣ぐんしんともこうあり、ことらずんば、われひとつみあらん。すでにこのあり、それともにこれをせよと。群臣ぐんしんみなまうさく、皇后くわうごう天下てんかためはかりたまふ。宗廟そうべう社稷しやしよくやすんずる所以ゆゑんなり。つみ臣下しんかおよばず。頓首とんしゆしてみことのりけたまはると。

現代語訳
神功皇后は住吉大神の教えによって、髪を結い分けて男子の髻とされた。そして群臣に語って言われた。「そもそも軍を興し人々を動かすのは国の大事である。安危と成敗とは必ずここにかかっている。征伐すべきことがあって、その事を群臣に任せる。もし事が成らなければ罪を群臣に責めることになる。これはひどく心を痛ませる。私は女であり、そのうえ愚かでもある。しかししばらく男の姿を借りて、しいて雄々しい計略を起こす。上は神祇の霊威をこうむり、下は群臣の助けを借りて、武具を振るって高い波を渡り、艦船をととのえて財と土地とを求めよう。もし事が成れば、群臣がともに功をもつ。事が成らなければ、私ひとりが罪を負う。すでにこの考えがある、ともにこれを議せよ」。群臣はみな申し上げた。「皇后は天下のために計られました。宗廟社稷を安んずるためです。しかも罪は臣下に及ばないと仰せです。頓首して詔を承ります」。

解説
「若し事就らば、群臣共に功あり、事就らずんば、吾れ獨り罪あらん」――責任の所在を出征前に明示した、という一句。素行がこの長い記事を引いたのは、ここに指揮者の責任のとり方が記録されているからだろう。
賞罰章十三節の「極をその初に建て」がここに対応する。基準を先に示すという原則が、軍事の場面で実行されている。
「吾れ婦女にして加ふるに不肖を以てす」と自ら言いつつ「暫く男の貌を假り、强ひて雄略を起こす」――この自己規定は当時の女性観を映したものだが、それでも責任は自分ひとりが負うと宣言する構えは変わらない。
なお、この征討そのものについては第二十五節の解説でまとめて述べる。

武德章 二十二皇后親ら斧鉞を執りて三軍に令す
原文
秋九月庚午朔、己卯令諸國、集船舶、練兵甲、時軍卒自集、爰卜吉日、而臨發有日、時皇后親執斧鉞、令三軍曰、金鼓無節、旌旗錯亂、則士卒不整、貪財多欲懷私內顧、必爲敵所虜、其敵少而勿輕、敵强而無屈、則姧暴勿聽、自服勿殺、逆戰勝者必有賞、背走者自有罪、

訓読
あき九月くぐわつ庚午かのえうまついたち己卯つちのとう諸國しよこくれいして、船舶せんぱくあつめ、兵甲へいかふらはしむ。とき軍卒ぐんそつおのづかあつまる。ここ吉日きちにちぼくして、はつするにのぞみてあり。とき皇后くわうごうみづか斧鉞ふゑつりて、三軍さんぐんれいしてのたまはく、金鼓きんこせつなく、旌旗せいき錯亂さくらんすれば、すなは士卒しそつととのはず。ざいむさぼよくおほくし、わたくしいだきてうちかへりみれば、かならてきとりことするところとる。それてきすくなくともかろんずるなかれ、てきつよくともくつすることなかれ。すなは姧暴かんばうゆるすなかれ、みづかふくするはころすなかれ。むかたたかひてものかならしやうあり、そむぐるものおのづかつみあらんと。

現代語訳
秋九月庚午の朔、己卯の日、諸国に命じて船を集め、武具を整えさせられた。そのとき兵はおのずと集まった。そこで吉日を占って、出発の日を定めた。そのとき皇后はみずから斧鉞を手に取り、三軍に令して言われた。「鉦と太鼓に節がなく、旗指物が乱れていれば、兵はととのわない。財を貪り欲を多くし、私心を抱いて内を顧みれば、必ず敵の虜となる。敵が少なくとも軽んじてはならない、敵が強くとも屈してはならない。よこしまで乱暴なふるまいは許してはならない、みずから服する者は殺してはならない。迎え戦って勝つ者には必ず賞がある。背いて逃げる者にはおのずと罪がある」。

解説
軍令の全文。短いが、内容が四つに整理できる。①指揮系統の統一(金鼓・旌旗)②私心の禁止(財を貪れば虜になる)③交戦の心得(少なきも輕んぜず、强きも屈せず)④占領地での禁令(姧暴を許すな、自ら服する者を殺すな)⑤賞罰の予告
とくに「自ら服するは殺すなかれ」が重い。第二十四節でこの令が実際に守られる場面が引かれる。武德章 上五節の「且つ長ぜしむべからざるなり」――武威を増長させるな、という釘が、ここでは具体的な軍令になっている。
「敵少なくとも輕んずるなかれ、敵强くとも屈することなかれ」の一対も、兵学の要諦としてそのまま通用する。

武德章 二十三和珥津より發つ ── 新羅王、面縛して降る
原文
冬十月己亥朔、辛丑從和珥津發之、時飛廉起風、陽侯擧浪、海中大魚、悉浮扶舶、則大風順吹、帆舶隨波、不勞艪楫、便到新羅、時隨舶潮浪、遠逮國中、卽知、天神地祇悉助歟、新羅王、於是戰戰栗栗、厝身無所、則集諸人曰、新羅之建國以來、未嘗聞海水凌國、若天運盡、國爲海乎、是言未訖之間、舸師滿海、旌旗耀日、鼓吹起聲、山川悉振、新羅王遙望、以爲、非常之兵、將滅己國、聾意失志、乃今醒之曰、吾聞東有神國、謂日本、亦有聖王、謂天皇、必是國之神兵也、豈可擧兵以距乎、卽素旆而白服、素組以面縛、封圖籍、降於王舶之前、因以叩頭之曰、從今以後、長與乾坤、伏爲飼部、

訓読
ふゆ十月じふぐわつ己亥つちのとゐついたち辛丑かのとうし和珥津わにのつよりつ。とき飛廉ひれんかぜこし、陽侯やうこうなみ海中かいちゆう大魚たいぎよことごとかびてふねたすく。すなは大風たいふうしたがひてき、帆舶はんぱくなみしたがふ。艪楫ろしふらうせずして、便すなは新羅しらぎいたる。ときふねしたが潮浪てうらうとほ國中こくちゆうおよぶ。すなはる、天神てんしん地祇ちぎことごとたすけたまふかと。新羅王しらぎわう、ここにいて戰戰せんせん栗栗りつりつとして、くところなし。すなは諸人しよにんあつめてはく、新羅しらぎくにてて以來このかたいまかつ海水かいすゐくにしのぐをかず。しくは天運てんうんきて、くにうみるかと。このげんいまをはらざるのかん舸師かしうみ滿ち、旌旗せいき耀かがやき、鼓吹こすゐこゑこし、山川さんせんことごとふるふ。新羅王しらぎわうはるかにのぞみて、おもへらく、非常ひじやうへいまさおのくにほろぼさんとすと。聾意ろういこころざしうしなふ。すなはいまめてこれをはく、われく、ひがし神國しんこくあり、日本につぽんふ。また聖王せいわうあり、天皇てんわうふと。かならくに神兵しんぺいなり。へいげてもつふせぐべけんやと。すなは素旆そはいにして白服はくふくし、素組そそもつ面縛めんばくし、圖籍としやくふうじて、王舶わうはくまへくだる。りてもつ叩頭こうとうしてこれをはく、いまより以後いごなが乾坤けんこんともに、ふくして飼部うまかひべらんと。

現代語訳
冬十月己亥の朔、辛丑の日、和珥津から出発された。そのとき風の神が風を起こし、波の神が波を上げた。海中の大魚がことごとく浮かんで船を支えた。大風は順風となって吹き、帆船は波に従った。櫓や楫を労することなく、たちまち新羅に着いた。そのとき船に従う潮の波が、遠く国の中まで及んだ。すなわち分かった、天つ神も地の神もことごとくお助けになったのだと。新羅王はここにおいて震えおののき、身の置きどころがなかった。そこで人々を集めて言った。「新羅が国を建てて以来、海水が国を越えたと聞いたことがない。もしや天運が尽きて、国が海となるのか」。この言葉がまだ終わらないうちに、船の群れが海に満ち、旗指物が日に輝き、鼓と笛とが声を起こし、山も川もことごとく震えた。新羅王は遙かにこれを望んで思った。「並々ならぬ軍勢が、いままさに我が国を滅ぼそうとしている」。気が抜けて志を失った。そして今にして醒めて言った。「私は聞いている、東に神の国があって日本という。また聖なる王があって天皇という。きっとこの国の神なる兵であろう。どうして兵を挙げて防げようか」。そこで白い旗を掲げ白い服を着て、白い組緒で後ろ手に縛り、地図と戸籍とを封じて、王の船の前に降った。そして頭を地につけて言った。「今より後、永く天地とともに、伏して馬飼いの部となりましょう」。

解説
この記事は史実として成り立たない。神功皇后の新羅征討は、考古学的にも文献学的にも裏づけを欠き、記紀編纂当時(七・八世紀)の対朝鮮外交上の立場を過去に投影したものと考えられている。禮儀章 中四十一節と同じ問題である。
叙述の型を見ておきたい。風神・波神が味方し、大魚が船を支え、櫓を漕がずに到着する――戦闘が一度も描かれない。相手は船影を見ただけで戦意を失い、みずから「東に神國あり」と認めて降る。これは戦って勝った記録ではなく、勝つべくして勝ったという物語である。
「素旆・白服・面縛・封圖籍」という降伏の作法も、中国の史書の定型をなぞったもので、実際の光景の記録ではない。「伏して飼部と爲らん」という屈従の表現に至っては、相手を貶めるための文飾と見るほかない。
この記事が近代の朝鮮観・対外膨張論の典拠として繰り返し用いられたことも、あわせて押さえておく必要がある。

武德章 二十四自ら服する者を殺すなかれ ── その縛を解きて飼部と爲す
原文
時或曰、欲誅新羅王、於是皇后曰、初承神敎、將授金銀之國、又號令三軍曰、勿殺自服、今旣獲財國、亦人自降服、殺之不祥、乃解其縛、爲飼部、遂入其國中、封重寶府庫、收圖籍文書、卽以皇后所杖矛、樹於新羅王門、爲後葉之印、故其矛今猶樹于新羅王之門也、

訓読
ときるひとはく、新羅王しらぎわうちゆうせんとほつすと。ここに皇后くわうごうのたまはく、はじ神敎しんけうけしとき、まさ金銀きんぎんくにさづけんとす。また三軍さんぐん號令がうれいしてはく、みづかふくするをころすなかれと。いますで財國ざいこくたり。またひとみづか降服かうふくす。これをころすは不祥ふしやうなりと。すなはちそのいましめきて、飼部うまかひべす。つひにその國中こくちゆうり、重寶ぢゆうはう府庫ふこふうじ、圖籍としやく文書ぶんしよをさむ。すなは皇后くわうごうつゑつきたまふところのほこもつて、新羅王しらぎわうかどて、後葉こうえふしるしす。ゆゑにそのほこいま新羅王しらぎわうかどつなり。

現代語訳
そのときある者が言った。「新羅王を誅殺すべきです」。そこで皇后は言われた。「はじめ神の教えを承けたとき、金銀の国を授けようとされた。また三軍に号令して、みずから服する者は殺すな、と言った。いますでに財の国を得た。しかも人がみずから降服している。これを殺すのは不吉である」。そこでその縛めを解いて、馬飼いの部とされた。そしてその国の中に入り、重宝の倉庫を封じ、地図と戸籍と文書とを収めた。そして皇后が杖とされた矛を新羅王の門に立て、後の世への印とされた。だからその矛はいまなお新羅王の門に立っている。

解説
第二十二節の軍令「自ら服するは殺すなかれ」が、実際に守られる場面である。素行がこの一連の記事を引いた眼目は、おそらくここにある。令を出した者が、自分の令に縛られる――軍令が指揮官自身にも及ぶことの実例だからである。
だが、その理想を成り立たせている枠組みのほうは、そのまま受け取れない。助命された王が「飼部(馬飼い)」とされる、宝物庫を封じ図籍を収める、門に矛を立てて印とする――殺さないことが恩恵として語られる構図そのものが、征服の記述である。
「その矛は今なほ新羅王の門に樹つ」という一句は、記紀編纂当時の政治的主張を過去に投影したもので、事実ではない。前節と合わせ、史料としてではなく、当時の主張の記録として読むべき箇所である。

武德章 二十五西戎征伐の始 ── 應神帝、八幡と謚す
原文
謹按、是西戎征伐之始也、仲哀帝朝、住吉大神以西戎之外夷賜之、帝不信而早崩、皇后繼志述事、不血刃而高麗新羅百濟皆從服、三韓爲官家之藩屛、應神帝生備聖武之形、後世謚奉八幡、爲天下之武神、以其祭祀事之猶伊勢御神、武家殊崇敬之、靈德盛哉、自是三韓每年來朝奉貢、受正朔於朝廷、問政事於我國、

訓読
つつしみてあんずるに、西戎せいじゆう征伐せいばつはじめなり。仲哀帝ちゆうあいていてう住吉大神すみのえのおほかみ西戎せいじゆう外夷ぐわいいもつてこれをたまふ。ていしんぜずしてはやほうず。皇后くわうごうこころざしことべ、やいばぬらずして高麗こま新羅しらぎ百濟くだらみな從服じゆうふくす。三韓さんかん官家みやけ藩屛はんぺいる。應神帝おうじんていうまれながらに聖武せいぶかたちそなへ、後世こうせいおくりなして八幡はちまんたてまつる。天下てんか武神ぶしんし、その祭祀さいしもつてこれにつかふること伊勢いせ御神おほんかみのごとし。武家ぶけことにこれを崇敬すうけいす。靈德れいとくさかんなるかな。これより三韓さんかん每年まいねん來朝らいてうしてみつぎたてまつり、正朔せいさく朝廷てうていけ、政事せいじくにふ。

現代語訳
つつしんで考えてみるに、これが西戎征伐のはじめである。仲哀天皇の朝に、住吉大神が西方の外夷をお授けになった。天皇は信じないで早く崩じられた。皇后はその志を継いで事を成しとげ、刃に血を塗ることなく高麗・新羅・百済がみな従い服した。三韓は朝廷の守りの垣となった。応神天皇は生まれながらに聖なる武の相を備えられ、後の世に八幡と諡しまつった。天下の武神とし、その祭祀によってお仕えすることは伊勢の御神と同じである。武家はとくにこれを崇敬している。霊なる徳の盛んなことよ。これより三韓は毎年来朝して貢を奉り、正朔を朝廷に受け、政事をわが国に問うた。

解説
ここは本読本のなかで、もっとも明確に線を引いておくべき箇所である。
三韓が「官家の藩屛」となり、毎年朝貢し、正朔を受け、政事を日本に問うた――という記述は史実ではない。四〜五世紀の倭と朝鮮諸国との関係は、外交と交易と軍事同盟とが交錯する複雑なもので、一方的な従属関係ではなかった。倭が高句麗と戦って敗退したことは広開土王碑が示すとおりである。この記述は、記紀編纂期の日本側の主張を過去に投影したものである。
そのうえで、この一段が近代日本の朝鮮観をかたちづくる典拠として繰り返し用いられたことも押さえておきたい。素行がここに与えた「西戎征伐の始」という位置づけは、幕末以降の対外論に直接引き継がれていく。
読み方としては、これを事実の記録としてではなく、江戸前期の対外認識が何を根拠に組み立てられていたかを示す資料として扱うのが適当である。禮儀章 中四十一節の解説とあわせて読まれたい。
なお応神天皇=八幡神を「天下の武神」とし「武家殊にこれを崇敬す」と記すのは、素行自身が生きた武家社会の実感である。

武德章 二十六柔懷して質を取り、不庭の罪あれば將帥を遣はす
原文
其柔懷、質子弟、貢博士、以叩其誠、間有不庭之罪、遣將帥討之、百濟殺王以謝其無曲、鎖辰斯君以獻其虜、狹手彥討高麗、入王宮獲珍寶以奏其捷、或高麗獻鐵盾及的、示盾人之技、或慢表章、奉規表、抗禮索知、而以受責察、故西戎慎其武德、服其雄才、悉宗我屬國也、

訓読
その柔懷じゆうくわいするや、子弟していとし、博士はかせみつがしめて、もつてそのまことたたく。かん不庭ふていつみあれば、將帥しやうすゐつかはしてこれをつ。百濟くだらわうころしてもつてその無曲むきよくしやし、辰斯君しんしくんとざしてもつてそのとりこけんず。狹手彥さでひこ高麗こまち、王宮わうきゆうりて珍寶ちんぱうもつてそのかちそうす。あるひ高麗こま鐵盾てつじゆんおよまとけんじて、盾人じゆんじんわざしめす。あるひ表章へうしやうあなどり、規表きへうたてまつる。れいかうもとむ。しかしてもつ責察せきさつく。ゆゑ西戎せいじゆうその武德ぶとくつつしみ、その雄才ゆうさいふくし、ことごと屬國ぞくこくそうたるなり。

現代語訳
その柔らげなつけるにあたっては、子弟を人質とし、博士を貢がせて、その誠を確かめた。その間に朝廷に従わない罪があれば、将帥を遣わしてこれを討った。百済は王を殺してその過ちを謝し、辰斯君を捕らえてその虜を献じた。狹手彦は高麗を討ち、王宮に入って珍宝を得て、その勝利を奏上した。あるいは高麗が鉄の盾と的とを献じて、盾を用いる者の技を示した。あるいは上表文をなおざりにし、規格外の表を奉った。礼に反し、こちらの出方を探ろうとした。そのため詰問と査察とを受けた。だから西戎はその武の徳を慎み、その雄々しい才に服して、ことごとくわが属国として宗としたのである。

解説
前節に続き、朝鮮諸国との関係を「属国」として一括する一段。前節の解説と同じ留保がそのまま当てはまる。百済王の殺害、辰斯君の捕縛、狹手彦の高麗遠征――いずれも記紀の記述をそのまま受けたもので、史実としての検証を経ていない。
読みどころがあるとすれば、素行が挙げる「柔懷」の手段のほうだろう。子弟を質とし、博士を貢がせる――人質と、学者の派遣である。後者は禮儀章 上十四節の王仁・阿直岐に接続する。従属の証としての人材の移動が、こちらでは支配の道具として語られているわけで、同じ史実が章によって正反対の意味を帯びる例になっている。
「表章を慢り、規表を奉る」=国書の書式が無礼だった、という指摘も、禮儀章 中四十三節(高麗の表を破る)と同じ主題の反復である。

武德章 二十七中朝の文物、更に外朝に愧ぢず ── 倭寇とは何ぞ
原文
蓋垂仁帝旣命田道間守、遣常世國求香菓、然乃此時有幷呑西戎之機、以成其功於若櫻朝也、皇后又遣軍帥、以平比自㶱南加羅㖨國安羅多羅卓淳加羅七國、屠南蠻以賜百濟、鹿底置日本府、以布政令、中國之武德至此大盛矣、嗚呼中朝之文物、更不愧于外朝、如其威武、外朝亦不可比倫、故外朝之海防、唯憂倭寇、倭寇者何、西州之遊民虜掠于役也、非官兵之寇、而其膽已戰慄然、大明太祖三建使於我國、請寇疆之禁、欲修好善隣、慇懃垂訓、以結倭爲其一、是恐其威武之餘風也、

訓読
けだ垂仁帝すゐにんていすで田道間守たぢまもりめいじ、常世國とこよのくにつかはして香菓かぐのこのみもとめしむ。しからばすなはちこのとき西戎せいじゆう幷呑へいどんするのありて、もつてそのこう若櫻わかざくらてうすなり。皇后くわうごうまた軍帥ぐんすゐつかはして、もつ比自㶱ひじほ南加羅ありひしのから㖨國とくのくに安羅あら多羅たら卓淳とくじゆん加羅から七國しちこくたひらぐ。南蠻なんばんほふりてもつ百濟くだらたまふ。鹿底かてい日本府やまとのみこともちき、もつ政令せいれいく。中國ちうごく武德ぶとくここにいたりておほいにさかんなり。嗚呼ああ中朝ちうてう文物ぶんぶつさら外朝ぐわいてうぢず。その威武ゐぶのごときは、外朝ぐわいてうまた比倫ひりんすべからず。ゆゑ外朝ぐわいてう海防かいばう倭寇わこううれふ。倭寇わこうとはなんぞ。西州せいしう遊民いうみん虜掠りよりやくやくとするなり。官兵くわんぺいこうにあらず。しかもそのきもすで戰慄せんりつぜんたり。大明だいみん太祖たいそたび使つかひくにて、寇疆こうきやうきんひ、よしみをさとなりくせんとほつす。慇懃いんぎんくんれ、もつむすぶをそのいつす。れその威武ゐぶ餘風よふうおそるればなり。

現代語訳
思うに垂仁天皇はすでに田道間守に命じて、常世国に遣わして香菓を求めさせられた。とすればこのとき西戎を併呑する機があって、その功を若櫻の朝に成しとげたのである。皇后はまた軍の将帥を遣わして、比自㶱・南加羅・㖨國・安羅・多羅・卓淳・加羅の七国を平らげた。南蛮を討って百済に賜わった。鹿底に日本府を置いて、政令を布いた。この国の武の徳はここに至って大いに盛んになった。ああ、この国の文物は、外国に対して恥じるところがない。その武の威に至っては、外国も比べようがない。だから外国の海防は、ただ倭寇を憂えるばかりである。倭寇とは何か。西国の遊民が略奪を仕事としているものである。官の兵による侵寇ではない。それでもその肝はすでに震え上がっている。大明の太祖は三度使者をわが国に立て、侵寇を禁ずることを請い、好誼を修め隣国と善くしようとした。ねんごろに訓を垂れ、倭と結ぶことをその一つとした。これはその武の威の余波を恐れたからである。

解説
加羅七国の平定と「日本府」の設置を、素行は武德の頂点として記す。ここも前二節と同じ留保が必要である。いわゆる任那日本府については、今日ではその実在と性格が大きく見直されており、朝鮮半島南部を統治する出先機関があったという理解は成り立たない。
興味深いのは倭寇についての一節である。素行は「倭寇とは何ぞ。西州の遊民の虜掠を役とするなり。官兵の寇にあらず」と、国家の軍事行動と海賊とを明確に区別する。この区別自体は正確で、後期倭寇には中国人が多く含まれていたことも今日知られている。
ただしその区別のあとに続くのが「而もその膽已に戰慄然たり」――海賊ですらこれほど恐れられている、という誇りの表明である。明の太祖が三度使者を送ったのも「その威武の餘風を恐るればなり」と読む。事実の区別は正確なのに、そこから引き出す結論が自国の武威の誇示に向かう――素行の対外論の癖がよく出た一段である。

武德章 二十八以上、武義の德を論ず ── 五行に金あり、七情に怒あり
原文
以上論武義之德、謹按、五行有金、七情有怒、陰陽相對、好惡相並、是乃武之用、不亦大乎、然用之不以其誼、則害及人物、而格自害、所以聖人以興、覇人以廢也、豈是兵之罪乎、

訓読
以上いじやう武義ぶぎとくろんず。つつしみてあんずるに、五行ごぎやうきんあり七情しちじやうあり陰陽いんやうあひたいし、好惡かうをあひならぶ。すなはようまただいならずや。しかれどもこれをもちふるにそのもつてせざれば、すなはがい人物じんぶつおよび、しかしていたりてみづかがいす。聖人せいじんもつおこり、覇人はじんもつすたるる所以ゆゑんなり。へいつみならんや。

現代語訳
以上、武の道理の徳を論じた。つつしんで考えてみるに、五行には金があり、七情には怒がある。陰と陽とは相対し、好むと憎むとは並び立つ。これこそ武のはたらきであって、大きなことではないか。しかしこれを用いるのにその道理によらなければ、害が人と物とに及び、ついには自分自身をも害する。聖人はこれによって興り、覇者はこれによって廃れるのはそのためである。どうしてこれが兵の罪であろうか。

解説
武德章の総括が始まる。「五行に金あり、七情に怒あり」――自然の側にも人の情の側にも、すでに断ち切る働きが組み込まれている、という論法である。賞罰章十四節の「天地に春生秋殺あり」とまったく同じ形で、武を人為の必要悪としてではなく、自然の一部として位置づける。
そのうえで条件を付す。「これを用ふるにその誼を以てせざれば、則ち害人物に及び、而して格りて自ら害す」――道理によらなければ、まず他者を害し、最後には自分を害する。「聖人以て興り、覇人以て廢るる所以なり」
結びの「豈に是れ兵の罪ならんや」が本節の要点である。道具に罪はない、使う者に罪がある――第三十二節でこの主張がもう一度、より強い形で繰り返される。

武德章 二十九神代の兵武は惟神惟聖にして、天討なり天兵なり
原文
蓋神代之兵武也、惟神惟聖、而天討也、天兵也、其將帥軍伍、皆靈神也、然猶存其譴、備其禮、而示其大事、可以鑑也、

訓読
けだ神代じんだい兵武へいぶは、惟神かむながら惟聖ゆゐせいにして、天討てんたうなり天兵てんぺいなり。その將帥しやうすゐ軍伍ぐんごみな靈神れいしんなり。しかれどもほそのせめそんし、そのれいそなへて、その大事だいじしめす。もつかんがみるべきなり。

現代語訳
思うに神代の兵と武とは、神のみこころのままであり聖であって、天の討伐であり天の兵である。その将帥も兵の列も、みな霊なる神である。しかしそれでもなお、その責めを明らかにし、その禮をととのえて、それが大事であることを示している。これを鑑とすべきである。

解説
短いが重要な一節。神代の戦いは「天討」「天兵」であって、将も兵も神である――それなら手続きは不要のはずだ。ところが「然れども猶ほその譴を存し、その禮を備へて」――それでも罪を明らかにし、禮をととのえている、と素行は指摘する。
これは武德章 上五節と同じ論法である。あちらは「日神の聖靈なるや、天下誰かこれに敵せん。而も猶ほ大丈夫の備を設けて」だった。必要がないはずの立場の者が、それでも手続きを踏んでいる――だからこそ手続きは重い、という反転である。
「以て鑑みるべきなり」。神代を模範として持ち出しながら、そこから読み取るのは手続きの遵守であって神威ではない。素行の合理性がよく現れている。

武德章 三十人の天險 ── 耳目視聽し、手足防護す
原文
凡內有好惡之情、以外興其紙、耳目視聽之、手足防護之、筋骨劬中之、爪齒把齧之者、人之天險也、君子以內備宮禁之衞、外固國郡之護、密四邊之藩、練士卒、利兵器、撰將帥、制陳營、審戰策、常戒盜賊之機、奮威武之嚴、固所以警不虞、昭文德也、

訓読
おようち好惡かうをじやうありて、もつそとにそのおこす。耳目じもくこれを視聽しちやうし、手足しゆそくこれを防護ばうごし、筋骨きんこつこれを劬中くちゆうし、爪齒さうしこれを把齧はげつするは、ひと天險てんけんなり。君子くんしもつうちには宮禁きゆうきんまもりそなへ、そとには國郡こくぐんまもりかたくし、四邊しへんまがきみつにし、士卒しそつり、兵器へいきくし、將帥しやうすゐえらび、陳營ぢんえいせいし、戰策せんさくつまびらかにし、つね盜賊たうぞくいましめ、威武ゐぶげんふるふ。もとより不虞ふぐいましめ、文德ぶんとくあきらかにする所以ゆゑんなり。

現代語訳
そもそも内に好き嫌いの情があって、それを外にあらわす。耳と目とがこれを見聞きし、手と足とがこれを防ぎ護り、筋と骨とがこれに働き、爪と歯とがこれをつかみ噛むのは、人にもともと備わった天然の守りである。君子はそれによって、内には宮中の守りを備え、外には国郡の護りを固くし、四方の垣を密にし、兵士を鍛え、兵器を鋭くし、将帥を選び、陣営を制し、戦の策を詳らかにし、常に盗賊の機をいましめ、武の威の厳しさをふるう。もとより思いがけない事態を警め、文の徳を明らかにするためである。

解説
武備の必要を身体の比喩で説く。耳目・手足・筋骨・爪齒――人がもともと備えている防御の仕組みを「人の天險」と呼び、国家の武備をその延長に置く。
そこから八つの実務が並ぶ。宮禁の衞・國郡の護・四邊の藩・練士卒・利兵器・撰將帥・制陳營・審戰策。兵学者としての具体性がここに出ている。
結びが重要である。「固より不虞を警め、文德を昭らかにする所以なり」――武備の目的は文德を明らかにすることだ、と言う。禮儀章 上二十三節の「文は以て禮を守り、武は以て違を糾す」、そして第三十三節の「乃武乃文」へつながる。武は文のためにあるというのが素行の最終的な位置づけである。

武德章 三十一征は其の不正を正すなり ── 士卒罪なくして死地に入る
原文
夫征者、正其不正也、彼不正、親興師侵伐之、士卒無罪而入死地、故征伐者、人君之大權也、豈容易之窮驕之乎、而遠之疎之、乃國勢日衰、天下大弱、是所以兵爲大事也、

訓読
せいは、その不正ふせいただすなりかれただしからざれば、みづかおこしてこれを侵伐しんばつす。士卒しそつつみなくして死地しちる。ゆゑ征伐せいばつは、人君じんくん大權たいけんなり。にこれを容易よういにし、これを窮驕きゆうけうにすべけんや。しかもこれをとほざけこれをうとんずれば、すなは國勢こくせいおとろへ、天下てんかおほいによわし。へい大事だいじたる所以ゆゑんなり。

現代語訳
そもそも「征」とは、その正しくないものを正すことである。相手が正しくなければ、みずから軍を興してこれを討つ。兵士は罪もないのに死地に入る。だから征伐は君主の大いなる権である。どうしてこれを安易にし、これをほしいままにしてよいだろうか。かといってこれを遠ざけ疎んじれば、国の勢いは日ごとに衰え、天下は大いに弱くなる。これが兵が大事である理由である。

解説
「征は其の不正を正すなり」――『孟子』の語義解釈を借りて、征伐に条件を課す。相手が不正であるときにかぎる、というわけである。
だが本節の核心は次の一句にある。「士卒罪なくして死地に入る。故に征伐は、人君の大權なり。」――兵士は罪もないのに死地へ送られる。だからこそ征伐の決定は君主の大権であり、軽々しく行ってはならない。大權という語が、権力の大きさではなく責任の重さを指しているのがこの節の眼目である。
そのうえで反対側にも釘を刺す。「而もこれを遠ざけこれを疎んずれば、乃ち國勢日に衰へ、天下大いに弱し」濫用も忌避も、どちらも誤り――ここでも二本立ての論法が働いている。

武德章 三十二誰か能く兵を去らん ── 天は五材を生じ、民並びにこれを用ふ
原文
或問、兵者、覇主之業、而非聖人之道、愚謂、陰萌其根於陽、故火以有烈烈之威、陽交其元於陰、故水以有濶濶之柔、天生五材、民並用之、廢一不可、誰能去兵、乃武乃文、賛堯之德也、以武稱湯、以武功歌文王、以神武不殺賛周易、鞭撲征伐並言者、孔夫子之聖戒也、

訓読
あるひふ、へいは、覇主はしゆげふにして、聖人せいじんみちあらずと。おもへらく、いんはそのやうきざす。ゆゑもつ烈烈れつれつあり。やうはそのもといんまじふ。ゆゑみづもつ濶濶くわつくわつじゆうあり。てん五材ごさいしやうじ、たみならびにこれをもちふ。いつはいすべからずたれへいらん。乃武乃文だいぶだいぶんげうとくたたふるなり。もつたうしようし、武功ぶこうもつ文王ぶんわううたひ、神武しんぶ不殺ふさつもつ周易しうえきたたふ。鞭撲べんぼく征伐せいばつならふは、孔夫子こうふうし聖戒せいかいなり。

現代語訳
ある人は問う。「兵は覇者の業であって、聖人の道ではない」。私はこう考える。陰はその根を陽に萌す。だから火にははげしい威がある。陽はその元を陰に交える。だから水にはゆったりした柔らかさがある。天は五材を生じ、民はみなこれを用いる。一つも廃することはできない。誰が兵を去ることができようか。「乃武乃文」とは、堯の徳を讃えることばである。武によって湯王を称え、武功によって文王を歌い、「神武にして殺さず」によって『周易』を讃える。鞭打つことと征伐することとを並べて言うのは、孔子の聖なる戒めである。

解説
武德章の理論的な結び。反論は「兵は覇者の業であって聖人の道ではない」――孟子以来くり返された論である。
素行の答えは三段。①陰陽は互いに根を含み合う(火に威があり水に柔があるように、柔剛は分けられない)。②『左伝』の「天は五材を生じ、民並びにこれを用ふ。一を廢すべからず、誰か能く兵を去らん」③聖人たち自身が武で讃えられている――堯は「乃武乃文」、湯王も文王も武功で称えられ、『易』は「神武にして殺さず」と言う。
とくに③の論法が効いている。相手が持ち出す聖人の権威を、そのまま自分の側の証拠に転じているからである。聖政章十六節「政敎法令の外、豈にこの德あらんや」、賞罰章十四節「唐虞も十六相を擧げ四凶を錯く」とまったく同じ形で、制度・刑罰・武を「徳の不足」と見る議論を、素行は三度にわたって同じやり方で退けている。

武德章 三十三武の德は惟れ神、文の敎は惟れ聖なり ── 章の結び
原文
國家常以武備與文敎並行、先事而積之備、無事而爲之防、所以遏暴亂乎未萌、護治安乎長久也、外國之聖主、未嘗不左右於文武、況中國者、所其興在瓊矛、而天神以神武賜天孫、況帝之東征、其武威所及、無不服乎、故中華之武、四海之廣、宇內之匿、能不可議之、武之德惟神、而文之敎惟聖也、函陰陽久殺之機妙、致仁義生成之化矣、皇統綿綿之後、大修飾其制、崇神帝作一千之兵器、持統帝置陣法之博士、令天下之民練習之、雖安更不忘職、而神倫戒之、兵器祭神藏、其由來渾厚乎矣、

訓読
國家こくかつね武備ぶびもつ文敎ぶんけうともならおこなふ。ことさきだちてこれがそなへみ、ことなくしてこれがふせぎす。暴亂ばうらんいまきざさざるにとどめ、治安ちあん長久ちやうきうまも所以ゆゑんなり。外國ぐわいこく聖主せいしゆも、いまかつ文武ぶんぶ左右さいうにせずんばあらず。いはんや中國ちうごくは、そのおこるところ瓊矛ぬぼこり、しかして天神てんしん神武しんぶもつ天孫てんそんたまふをや。いはんやてい東征とうせい、その武威ぶゐおよぶところ、ふくせざるなきをや。ゆゑ中華ちうくわは、四海しかいひろき、宇內うだいかくるる、くこれをすべからず。とくしんにして、ぶんをしへせいなり。陰陽いんやう久殺きうさつ機妙きめうれ、仁義じんぎ生成せいせいくわいたす。皇統くわうとう綿綿めんめんのちおほいにそのせい修飾しうしよくす。崇神帝すじんてい一千いつせん兵器へいきつくり、持統帝ぢとうてい陣法ぢんぱふ博士はかせきて、天下てんかたみをしてこれを練習れんしふせしむ。やすしといへどさらしよくわすれず。しかして神倫しんりんこれをいましめ、兵器へいき神藏じんざうまつる。そのりてきたるところ渾厚こんこうなるかな

現代語訳
国家は常に武備を文の教えとともに並び行う。事に先立ってその備えを積み、事のないときにその防ぎをなす。乱暴と混乱とをまだ芽の出ないうちに止め、治安を長く久しく護るためである。外国の聖なる君主も、文と武とを左右に置かなかったことはない。まして、この国はその興りが瓊矛にあり、しかも天つ神が神なる武を天孫にお授けになったのだからなおさらである。まして天皇の東征では、その武の威の及ぶところ、服さないものがなかったのだからなおさらである。だからこの国の武は、四海の広さも、天下の隠れたところも、うかつに論ずることができない。武の徳は神であり、文の教えは聖である。陰陽の生かし殺す働きの妙を内に含み、仁義が生み成す感化を成しとげる。皇統が連綿と続いた後も、大いにその制度を整えた。崇神天皇は一千の兵器を作り、持統天皇は陣法の博士を置いて、天下の民にこれを練習させられた。安らかであっても、なお職を忘れない。そして神の道理がこれを戒め、兵器は神の蔵に祭られる。その由来のなんと渾厚なことよ。

解説
武德章の結び。「國家常に武備を以て文敎と與に並び行ふ」――文と武との併行が、章の最終的な結論として置かれる。
もっとも重要なのは「事に先だちてこれが備を積み、事なくしてこれが防を爲す。暴亂を未だ萌さざるに遏め、治安を長久に護る」という一句。武備の目的は使うことではなく、使わずに済ませることである。武德章 上五節の「備あれば則ち安く」が、ここで到達点に至る。
「武の德は惟れ神にして、文の敎は惟れ聖なり」――武を神、文を聖に配する。禮儀章 下六十節の「禮は嚴、樂は和」と同型の一対である。
結びに崇神帝の兵器製作と持統帝の陣法博士を挙げ、「安しと雖も更に職を忘れず」とするのも印象深い。そして兵器は神藏に祭られる――武器を神前に納めるという処置で章を閉じるのは、素行の兵学が武力そのものの賛美ではないことを、最後にもう一度示している。
これで第十一章「武德章」は終わり、次は祭祀章に入ります。