賞罰章 一二神、善を賞し惡を懲らして私したまはず
原文
二神共生日神、此子光華明彩、照徹於六合之內、故二神喜曰、吾息雖多、未有若此靈異之兒、不宜久留此國、自當早送于天、而授以天上之事、故以天柱擧於天上、次生月神、其光彩亞日、可以配日而治、故亦送之于天、次生蛭兒、雖已三歲、脚猶不立、故載之於天磐櫲樟船、而順風放棄、次生素戔嗚尊、此神有勇悍以安忍、且常以哭泣爲行、故令國內人民、多以夭折、復使靑山變枯、故其父母二神、勅素戔嗚尊、汝甚無道、不可以君臨宇宙、固當遠遁之於根國矣、遂逐之、
謹按、是二神賞善懲惡、不私之義也、
訓読
二神共に日神を生みます。この子光華明彩ありて、六合の內に照り徹る。故に二神喜びて曰はく、吾が息多しと雖も、未だかくの若き靈異の兒あらず。宜しく久しくこの國に留むべからず。自ら當に早く天に送りて、授くるに天上の事を以てすべしと。故に天柱を以て天上に擧げたまふ。次に月神を生みます。その光彩日に亞げり。以て日に配べて治めしむべし。故に亦これを天に送りたまふ。次に蛭兒を生みます。已に三歲なると雖も、脚猶ほ立たず。故にこれを天磐櫲樟船に載せて、風の順に放ち棄てたまふ。次に素戔嗚尊を生みます。この神勇悍にして安忍あり、且つ常に哭泣を以て行と爲す。故に國內の人民をして、多く夭折せしむ。復た靑山をして枯れ變らしむ。故にその父母の二神、素戔嗚尊に勅したまはく、汝甚だ無道なり、以て宇宙に君臨すべからず。固に當に遠く根國に遁るべしと。遂にこれを逐ひたまふ。
謹みて按ずるに、是れ二神善を賞し惡を懲して、私したまはざるの義なり。
現代語訳
二神はともに日神をお生みになった。この御子は輝く光と明るい彩りとをそなえ、天地四方の内を照らし徹した。そこで二神は喜んで言われた。「わが子は多いけれども、まだこのように霊妙な子はいない。長くこの国にとどめておくべきではない。すぐに天に送って、天上の事をお授けするのがよい」。そこで天の御柱によって天上へお上げになった。次に月神をお生みになった。その光は日に次ぐものであった。日と並べて治めさせるのがよい。そこでこれも天にお送りになった。次に蛭兒をお生みになった。すでに三歳になっても、脚がまだ立たなかった。そこでこれを天磐櫲樟船に乗せ、風のまにまに放ち棄てられた。次に素戔嗚尊をお生みになった。この神は勇ましく荒々しく、しかも残忍なところがあり、常に泣きわめくことを行いとしていた。そのため国内の人民の多くが若死にした。また青い山を枯れさせた。そこでその父母である二神は素戔嗚尊に勅された。「お前ははなはだ道に外れている。宇宙に君臨させるわけにはいかない。遠く根の国へ去るべきである」。ついにこれを逐われた。
つつしんで考えてみるに、これは二神が善を賞し悪を懲らして、私されなかったということである。
解説
賞罰章の起点。四柱の子に対する四通りの扱い――日神は天へ、月神も天へ、蛭兒は流し、素戔嗚尊は逐う――を、素行は「善を賞し惡を懲らして、私したまはざる」と読む。
眼目は「私したまはず」の一語である。賞罰はまず親が我が子に対して行うところから始まる。もっとも私情の働きやすい場所で私情を退けたことに、素行は範を見ている。禮儀章 上十八節で雄略天皇が星川王の悪を遺詔に書き残したのを称えたのと、同じ基準である。
なお蛭兒を「脚が立たない」ゆえに流したという記述は、今日の目には障害をもつ子を棄てる話として読める。素行はこれを「懲惡」の側に数えているが、そこは古代の記述をそのまま受け取ったものと見るべきで、賞罰の範として肯定できる内容ではない。
賞罰章 二逆命の者は斬り、歸順の者は褒む ── 賞罰の始
原文
天神遣經津主神武甕槌神、使卒定葦原中國、於是大己貴神薦岐神於二神、故經津主神以岐神爲鄕導、周流削平、有逆命者則加斬戮、歸順者仇加褒美、
謹按、是賞罰之始也、
訓読
天神經津主神武甕槌神を遣はして、葦原中國を卒に定めしむ。ここに大己貴神岐神を二神に薦む。故に經津主神岐神を以て鄕導と爲し、周く流て削平す。逆命の者あるときは則ち斬戮を加へ、歸順する者には仇いて褒美を加ふ。
謹みて按ずるに、是れ賞罰の始なり。
現代語訳
天つ神は經津主神と武甕槌神とを遣わして、葦原中國をついに平定させられた。そこで大己貴神は岐神を二神に推薦した。そこで經津主神は岐神を道案内として、あまねく巡って平らげた。命に逆らう者には斬り殺すことを加え、帰順する者には報いて褒美を与えた。
つつしんで考えてみるに、これが賞罰のはじめである。
解説
按語がわずか一行の節。国譲りの平定行に「逆命の者は斬り、歸順の者は褒む」という一句があることに着目し、そこを賞罰の起点とする。
素行のやり方が典型的に出ている。制度の起源を、記録の中の一句に定位する――禮儀章 上二十節の「是れ功臣を封じ官職を立つるの初なり」と同じ書きぶりである。次節でその内容が展開される。
賞罰章 三刑以て威し、罰以て懲らすは、君子これを愛すればなり
原文
凡賞刑者、齊其過不及之輩、而勸導人於善、懲示惡於人之事也、人之氣質不同、俗之風敎不正、則或習惡而爲性、或以暴逆爲業、故刑以威之、罰以懲之者、君子伊誰愛之、而非惡辭以害之、不則賞以御之、則善惡不明、君子之誼消、小人之讒長、可不愼乎、
訓読
凡そ賞刑は、その過不及の輩を齊しくして、人を善に勸め導き、惡を人に懲し示すの事なり。人の氣質同じからず、俗の風敎正しからざれば、則ち或は惡に習ひて性と爲り、或は暴逆を以て業と爲す。故に刑以てこれを威し、罰以てこれを懲すは、君子伊れ誰かこれを愛せざらん。而して惡辭を以てこれを害するにあらず。然らずして賞以てこれを御せざれば、則ち善惡明らかならず、君子の誼消え、小人の讒長ず。愼まざるべけんや。
現代語訳
そもそも賞と刑とは、行きすぎた者と足りない者とを等しく整えて、人を善へと勧め導き、悪を人に懲らして示す事である。人の気質は同じでなく、世の風俗と教えとが正しくなければ、あるいは悪に慣れてそれが性となり、あるいは乱暴と反逆とを生業とする。だから刑によって威し、罰によって懲らすのは、君子として誰がこれを慈しまないだろうか。憎しみのことばによって害するのではない。そうでなくて賞によって導くこともしなければ、善悪が明らかにならず、君子の道理は消え、小人の讒言が伸びる。慎まずにいられようか。
解説
刑罰の目的を「その過不及の輩を齊しくして、人を善に勸め導き、惡を人に懲し示す」と定義する。報復ではなく調整と教示である、という位置づけ。
もっとも印象的なのは「君子伊れ誰かこれを愛せざらん。而して惡辭を以てこれを害するにあらず」――刑を加えるのは憎しみからではなく、むしろ慈しみからだ、という一句である。
そして賞と刑とを一組で扱う。片方だけでは「善惡明らかならず」。禮儀章以来の二本立ての論法が、ここでも働いている。
賞罰章 四三穗津姫を配す ── 天神賞を行ふの始
原文
大物主神及事代主神、乃合八十萬神於天高市、帥以昇天、陳其誠款之至、時高皇産靈尊勅大物主神、汝若以國神爲妻、吾猶謂汝有疏心、故今以吾女三穗津姬、配汝爲妻、宜領八十萬神、永爲皇孫奉護、乃使還降之、
謹按、是天神行賞之始也、
訓読
大物主神及び事代主神、乃ち八十萬神を天高市に合め、帥ゐて以て天に昇り、その誠款の至りを陳ぶ。時に高皇産靈尊大物主神に勅したまはく、汝若し國神を以て妻と爲さば、吾猶ほ汝に疏心ありと謂はん。故に今吾が女三穗津姬を以て、汝に配りて妻と爲す。宜しく八十萬神を領べて、永く皇孫の爲に奉護すべしと。乃ち還り降らしめたまふ。
謹みて按ずるに、是れ天神賞を行ふの始なり。
現代語訳
大物主神と事代主神とは、八十万の神々を天高市に集め、率いて天に昇り、その真心のかぎりを申し述べた。そのとき高皇産靈尊は大物主神に勅された。「お前がもし国つ神を妻とするなら、私はなおお前に隔ての心があると思うだろう。だからいま、わが娘の三穗津姫をお前に配して妻とする。八十万の神々を統べて、永く皇孫のために守り護るがよい」。そこで還り降らせられた。
つつしんで考えてみるに、これが天つ神が賞を行うことのはじめである。
解説
国譲りに応じた大物主神への処遇を、賞の始まりとする。婚姻による結びつけである。
「汝若し國神を以て妻と爲さば、吾猶ほ汝に疏心ありと謂はん」――疑いを残さないための措置だ、と本文は言う。素行はそれ以上の按語を加えず、賞とは相手を体制の内側に組み入れることでもあるという理解を、記事そのものに語らせている。
賞罰章 五功を定めて而して後に賞を行ふ ── 人皇賞を行ふの始
原文
神武帝卽位二年春二月甲辰朔、乙巳天皇定功行賞、賜道臣命宅地、居于築坂邑、以寵異之、亦使大來目居于畝傍山以西川邊之地、今號來目邑、此其緣也、以珍彥爲倭國造、又給弟猾猛田邑、因爲猛田縣主、是菟田主水部遠祖也、弟磯城名黑速爲磯城縣主、復以劒根者爲葛城國造、又頭八咫烏亦入賞例、其苗裔卽葛野主殿縣主部是也、
謹按、是人皇行賞之始也、有功則有賞祿、君臣之禮也、然不定其功、則大小輕重不正、而有賞失其道、故定功而後行賞、是明世之事也、帝初東征之間、奉策荷戈、自當難之功臣勇士、不可勝數、今行賞之始、在道臣命、而及頭八咫烏、其定功之道、大哉公哉、
訓読
神武帝卽位二年春二月甲辰の朔、乙巳、天皇功を定め賞を行ひたまふ。道臣命に宅地を賜ひ、築坂邑に居らしめ、以て異に寵したまふ。亦大來目をして畝傍山以西の川邊の地に居らしむ。今來目邑と號くるは、此れその緣なり。珍彥を以て倭國造と爲す。又弟猾に猛田邑を給ひ、因りて猛田縣主と爲す。是れ菟田の主水部の遠祖なり。弟磯城、名は黑速を磯城縣主と爲す。復た劒根といふ者を以て葛城國造と爲す。又頭八咫烏も亦賞例に入る。その苗裔は卽ち葛野の主殿縣主部是なり。
謹みて按ずるに、是れ人皇賞を行ふの始なり。功あるときは則ち賞祿あり、君臣の禮なり。然れどもその功を定めざれば、則ち大小輕重正しからずして、賞その道を失ふことあり。故に功を定めて而して後に賞を行ふ、是れ明世の事なり。帝初め東征の間、策を奉じ戈を荷ひ、自ら難に當るの功臣勇士、勝げて數ふべからず。今賞を行ふの始、道臣命に在りて、頭八咫烏に及ぶ。その功を定むるの道、大なる哉公なる哉。
現代語訳
神武天皇の即位二年、春二月甲辰の朔、乙巳の日、天皇は功を定め賞を行われた。道臣命に宅地を賜い、築坂邑に住まわせて、とくに寵愛された。また大來目を畝傍山より西の川辺の地に住まわせた。いま來目邑と呼ぶのは、これがその由来である。珍彥を倭国造とされた。また弟猾に猛田邑を与え、そこで猛田縣主とされた。これが菟田の主水部の遠い祖である。弟磯城、名は黑速を磯城縣主とされた。また劒根という者を葛城国造とされた。また頭八咫烏も賞の例に入った。その子孫は葛野の主殿縣主部がそれである。
つつしんで考えてみるに、これが人皇が賞を行うことのはじめである。功があれば賞と禄とがある、これが君臣の禮である。しかしその功を定めなければ、大小や軽重が正しくならず、賞がその道を失うことがある。だから功を定めてから賞を行う。これが明らかな世のやり方である。天皇がはじめ東征のあいだ、策を奉じ戈を担い、みずから困難に当たった功臣や勇士は、数え上げきれない。いま賞を行うそのはじめが道臣命にあり、八咫烏にまで及んだ。その功を定めるやり方は、大きくもあり公平でもある。
解説
禮儀章 上二十節で「功臣を封じ官職を立つるの初」として引かれたのと同じ記事を、ここでは賞の側から読む。同じ史料の読み分けが、章をまたいでまた現れている。
要点は「功を定めて而して後に賞を行ふ」という順序である。功の査定を先に済ませておかなければ「大小輕重正しからず」。
結びの「その功を定むるの道、大なる哉公なる哉」――賞が八咫烏(鳥)にまで及んだことを、素行は公平さの証として挙げる。
賞罰章 六その風聲を樹てて人の耳目を異にす ── その臣に賞するの始
原文
天神欲令撥平葦原中國之邪鬼、賜天國玉之子天稚彦天鹿兒弓及天羽羽矢、以遣之、
謹按、是賞其臣之始也、蓋樹其風聲、以異人之耳目、鼓舞其勸勤之意、興動其善忠之實者、人君治平之要道也、故賞以厚之、待以深之、而後所其任甚重、其責亦峻、天神賞此神如此、而此神不忠誠、忽中還投之矢、以隕命、其責速通可見也、後世立將、賜鈇鉞、異其器服、賞賢賢所以崇獎有德、興起人心、造端於是、乃外朝之佐證也、
訓読
天神葦原中國の邪鬼を撥平せしめんと欲し、天國玉の子天稚彦に天鹿兒弓及び天羽羽矢を賜うて、以てこれを遣はす。
謹みて按ずるに、是れその臣に賞するの始なり。蓋しその風聲を樹て、以て人の耳目を異にし、その勸勤の意を鼓舞し、その善忠の實を興し動かすは、人君治平の要道なり。故に賞以てこれを厚くし、待以てこれを深くす。而して後にその任ずるところ甚だ重く、その責も亦峻し。天神この神を賞することかくの如し。而もこの神忠誠ならず、忽ち還し投ぐるの矢に中りて、以て命を隕す。その責の速かに通ずること見るべきなり。後世將を立つるに、鈇鉞を賜ひ、その器服を異にす。賢を賢とするを賞するは、有德を崇獎し、人心を興起する所以なり。端をここに造る。乃ち外朝の佐證なり。
現代語訳
天つ神は葦原中國の邪しき鬼を打ち平らげさせようとして、天國玉の子である天稚彦に天鹿兒弓と天羽羽矢とを賜わって遣わされた。
つつしんで考えてみるに、これが臣に賞することのはじめである。思うにその評判を立てて人の耳目を引き、勤め励もうとする心を鼓舞し、善と忠との実を興し動かすのは、君主が世を治め平らかにする要の道である。だから賞によって手厚くし、待遇によって深く遇する。そのうえでその任は甚だ重くなり、責めもまた厳しくなる。天つ神がこの神を賞したのはこのようであった。それなのにこの神は忠誠でなく、たちまち投げ返された矢に当たって命を落とした。その責めが速やかに及ぶことが見てとれる。後の世に将を立てるとき、鉞を賜い、その器と服とを他と異にする。賢い者を賢いとして賞するのは、徳ある者を尊び奨励し、人心を奮い立たせるためである。その端緒はここにある。これは外国の例からも裏づけられる。
解説
賞の機能を「その風聲を樹てて、以て人の耳目を異にす」と説く。賞は受け取る本人のためだけではなく、見ている周囲のためだ、という理解である。
そして重要な一対を立てる。「賞以てこれを厚くし、待以てこれを深くす。而して後にその任ずるところ甚だ重く、その責も亦た峻し。」――厚遇と重責とは同じことの表裏である。
天稚彦の例がその証明になっている。手厚く賞されながら任を果たさず、還矢に当たって死んだ。「その責の速やかに通ずること見るべきなり」――賞を受けた者には、それに見合う速さで責めが及ぶ。
賞罰章 七猿女君の號 ── その功に因りて姓號を賜ふの始
原文
皇孫勅天鈿女命、汝宜以所顯神名爲姓氏焉、因賜猿女君之號、故猿女君等男女皆呼爲君、此其緣也、
謹按、是因其功賜姓號之始也、神武帝東征之日、日臣命忠而且勇、加能有導之功、以賜道臣之名、蓋姓名之號者、所以流芳於百世、而鼓動其善心也、故賜姓命氏、必有道、人臣不果諸時君、則不得爲其姓氏、其分嚴哉、
訓読
皇孫天鈿女命に勅したまはく、汝宜しく顯はすところの神名を以て姓氏と爲すべしと。因りて猿女君の號を賜ふ。故に猿女君等は男女皆呼びて君と爲す。此れその緣なり。
謹みて按ずるに、是れその功に因りて姓號を賜ふの始なり。神武帝東征の日、日臣命忠にして且つ勇なり。加ふるに能く導くの功あるを以て、道臣の名を賜ふ。蓋し姓名の號は、芳しきを百世に流して、その善心を鼓動する所以なり。故に姓を賜ひ氏を命ずるには、必ず道あり。人臣諸を時君に果たさざれば、則ちその姓氏と爲すことを得ず。その分嚴なる哉。
現代語訳
皇孫は天鈿女命に勅された。「お前は、その名を明らかにさせた神の名を姓氏とするがよい」。そこで猿女君の号を賜わった。だから猿女君たちは男も女もみな「君」と呼ぶ。これがその由来である。
つつしんで考えてみるに、これが功によって姓と号とを賜わることのはじめである。神武天皇の東征の日、日臣命は忠であり、かつ勇であった。そのうえよく道を導いた功があったので、「道臣」の名を賜わった。思うに姓や名の号とは、よい香りを百世に流して、その善き心を奮い立たせるためのものである。だから姓を賜い氏を命ずるには、必ず道理がある。臣下がその務めを時の君主に果たさなければ、その姓氏とすることはできない。その分限の厳しいことよ。
解説
名前が賞になるという節。天鈿女命は猿田彦の名を明らかにした功で「猿女君」を、日臣命は道を導いた功で「道臣」の名を賜わる。
「姓名の號は、芳しきを百世に流して、その善心を鼓動する所以なり」――禮儀章 上四節「姓氏は善を章らかにし惡を癉むの道」と、まったく同じ理解である。姓氏とは功業の記録であり、公示である。
結びの「人臣諸を時君に果たさざれば、則ちその姓氏と爲すことを得ず。その分嚴なる哉」は、名跡を継ぐことの重さを言ったもの。名は与えられたら終わりではなく、代ごとに果たすべきものだ、という含みがある。
賞罰章 八名は實の著なり ── 實なくして名あれば竟に虛名と爲る
原文
凡物部大伴之爲姓者、以其威武、中臣忌部之爲姓者、因其忠直而主祭祀、況藤橘菅江之分、源平紀淸之汲、未嘗不以其勳業也、夫名者、實之著也、無實而有名、則竟爲虛名、虛名而傳之後世者、遺臭於子孫也、其所賜其所受、不愼乎、
訓読
凡そ物部大伴の姓を爲すは、その威武を以てなり。中臣忌部の姓を爲すは、その忠直にして祭祀を主るに因りてなり。況んや藤橘菅江の分、源平紀淸の汲、未だ嘗てその勳業を以てせずんばあらざるをや。夫れ名は、實の著はれなり。實なくして名あるときは、則ち竟に虛名と爲る。虛名にしてこれを後世に傳ふる者は、臭きを子孫に遺すなり。その賜ふところ、その受くるところ、愼まざらんや。
現代語訳
そもそも物部・大伴が姓となったのは、その武の威によってである。中臣・忌部が姓となったのは、忠実まっすぐで祭祀を司ったことによる。まして藤原・橘・菅原・大江の家筋、源・平・紀・清原の流れも、その功績によらなかったことはない。そもそも名とは、実のあらわれである。実がないのに名があれば、ついには虚名となる。虚名でありながらそれを後の世に伝える者は、悪臭を子孫に遺すことになる。それを賜わる側も、それを受ける側も、慎まずにいられようか。
解説
「名は實の著なり」――賞罰章のなかでもっとも引かれる一句である。
物部・大伴は武、中臣・忌部は祭祀。家名はもともと職能の記録だった。それが実を失えば「虛名」になり、しかも虚名は「臭きを子孫に遺す」――子孫にとっての負債になる。
中國章二十節以来の「名と実の一致」という論法が、ここでは家名の問題として現れている。禮儀章 上二十二節「號ありて職掌を致さず」、同二十三節「桃梗土偶」とも一続きである。
元禄前夜、家格だけが残って職能を失いつつあった武家社会への批評としても読める。
賞罰章 九人臣尊號を奉るの始 ── 善惡の際、終に掩ふべからず
原文
神武帝辛酉年、春正月庚辰朔、天皇卽帝位於橿原宮、是歲爲天皇元年、故古語稱之曰、於畝傍之橿原也、太立宮柱於底磐之根、峻峙搏風於高天之原、而始馭天下之天皇、號曰神日本磐余彦火火出見天皇焉、
謹按、是人臣奉尊號之始也、神代旣有尊命之設也、凡善惡之際、終不可掩、故臣有善惡、則君紀之、君之善惡、天必紀之、天不言、而人代之、所謂尊號之善惡、是也、
訓読
神武帝の辛酉年、春正月庚辰の朔、天皇橿原宮に帝位に卽きたまふ。是の歲を天皇の元年と爲す。故に古語にこれを稱して曰はく、畝傍の橿原においてなり。太しく宮柱を底磐の根に立て、搏風を高天の原に峻峙して、始めて天下を馭す天皇、號けて神日本磐余彦火火出見天皇と曰す。
謹みて按ずるに、是れ人臣尊號を奉るの始なり。神代旣に尊命の設けあるなり。凡そ善惡の際、終に掩ふべからず。故に臣に善惡あるときは、則ち君これを紀す。君の善惡は、天必ずこれを紀す。天は言はずして、人これに代はる。所謂尊號の善惡、是なり。
現代語訳
神武天皇の辛酉の年、春正月庚辰の朔の日、天皇は橿原宮で帝位におつきになった。この年を天皇の元年とする。だから古語にこれを称して、畝傍の橿原において、という。宮柱を大地の底の岩の根に太く立て、千木を高天の原に高くそびえさせて、はじめて天下をお治めになった天皇を、神日本磐余彦火火出見天皇とお呼びする。
つつしんで考えてみるに、これが臣下が尊号をたてまつることのはじめである。神代にすでに「尊」「命」という呼称の設けがあった。そもそも善と悪との際は、ついに覆い隠すことができない。だから臣下に善悪があれば、君主がこれを記す。君主の善悪は、天が必ずこれを記す。天は言わないので、人がこれに代わる。いわゆる尊号の善し悪しが、それである。
解説
同じ即位の記事が、本書で三度目に引かれる。禮儀章 上八節では「卽位の禮」、同中二十四節では「朝儀の起点」、そしてここでは「尊號を奉るの始」――呼び名の側から読む。
論の骨は賞罰の対称性である。臣の善惡は君が記す。君の善惡は天が記す。天は言わないから、人がこれに代わる。――君主を評価する仕組みが尊号(のちの諡号)なのだ、というわけである。
賞罰は上から下へ一方通行ではない、という主張がここで立てられ、次節で正面から展開される。
賞罰章 十天下の議は天の命なり ── 諡號の制
原文
至後世、有諡號之制、唯非人君賞刑於其臣、臣子亦議其君父、臣子非議之、天下以議之、天下之議者、天之命也、君臣之道、可不愼乎、夫史記諡法一耳、以時之好惡、曲筆百世之榮辱、未知其履歷、而一聞其尊號、則知其人、故所以勸化人心、興懲善惡者、在此、然乃賞刑之實本於人君、以流於天下、行之出於己、成之於人、是其終不可掩也、
訓読
後世に至りて、諡號の制あり。唯だ人君その臣に賞刑するのみに非ず、臣子も亦その君父を議す。臣子これを議するに非ず、天下以てこれを議す。天下の議は、天の命なり。君臣の道、愼まざるべけんや。夫れ史記諡法の一なるのみ。時の好惡を以て、百世の榮辱を曲筆す。未だその履歷を知らずして、一たびその尊號を聞くときは、則ちその人を知る。故に人心を勸化し、善惡を興懲する所以は、ここに在り。然らば乃ち賞刑の實は人君に本づき、以て天下に流る。これを行ふは己れに出で、これを成すは人に於いてす。是れその終に掩ふべからざるなり。
現代語訳
後の世になって、諡号の制ができた。ただ君主がその臣に賞や刑を行うだけではなく、臣下もまたその君や父を評議する。いや、臣下がこれを評議するのではない、天下がこれを評議するのである。天下の評議とは、天の命である。君臣の道を、慎まずにいられようか。そもそも史書の諡法は一つである。時の好悪によって、百世にわたる栄辱を曲げて書くこともある。まだその経歴を知らなくても、ひとたびその尊号を聞けば、その人がどういう人かが分かる。だから人心を勧め導き、善悪を興し懲らすもとは、ここにある。とすれば、賞と刑との実は君主に基づいて、天下に流れる。それを行うのは自分から出て、それが成るのは人においてである。これがついに覆い隠せないということである。
解説
賞罰章のなかで、もっとも大胆な一段。「唯だ人君その臣に賞刑するのみに非ず、臣子も亦たその君父を議す」――賞罰は上からだけではない。
しかも素行は言い直す。「臣子これを議するに非ず、天下以てこれを議す。天下の議は、天の命なり。」――臣下が主君を批評するのではない、天下が評議するのであって、それは天の命だ、と。諡号という制度を、君主に対する事後評価の仕組みとして読んでいるわけである。
皇統章で易姓革命を否定した素行が、ここでは君主も評価されるという筋を立てている。位は動かないが、評価は下る――彼なりの緊張のとり方だろう。
結びの「これを行ふは己れに出で、これを成すは人に於いてす」――自分が始めたことの意味は、他人が決める。
賞罰章 十一千座置戸 ── 刑罪贖流を行ふの始
原文
諸神師罪過於素戔嗚尊、而科之以千座置戸、遂促徵矣、至使拔髮以贖其罪、亦曰拔其手足之爪贖之、已而竟遂降逐、
謹按、是行刑罪贖流之始也、凡刑者、衆以惡之、事以涉且孫、其著不可掩而后察之、行其罰、責之無狀、至六合常闇、所其繫最博大也、故衆議行其刑、又贖其科、可謂刑罪之公、自是至人皇、刑法大定、律令周施、天下悉知刑之可懲矣、
訓読
諸神罪過を素戔嗚尊に師めたまふ。これに科するに千座置戸を以てす。遂に促し徵む。髮を拔かしめて以てその罪を贖ふに至る。亦その手足の爪を拔きてこれを贖ふと曰ふ。已にして竟に遂に降し逐ふ。
謹みて按ずるに、是れ刑罪贖流を行ふの始なり。凡そ刑は、衆以てこれを惡み、事以て且つ孫に涉る。その著はれ掩ふべからずして后にこれを察し、その罰を行ふ。これを責むるに無狀を以てし、六合常闇に至る。その繫るところ最も博大なり。故に衆議してその刑を行ひ、又その科を贖はしむ。刑罪の公と謂ふべし。これより人皇に至りて、刑法大いに定まり、律令周く施かれ、天下悉く刑の懲すべきを知れり。
現代語訳
神々は罪過を素戔嗚尊に責めて、千座置戸を科された。そしてついにその取り立てを促された。髪を抜かせてその罪を贖わせるまでになった。また、その手足の爪を抜いて贖ったともいう。そうしてついに追放された。
つつしんで考えてみるに、これが刑罪と贖罪・流罪とを行うことのはじめである。そもそも刑とは、多くの人がこれを憎み、その事が子孫にまで及ぶものである。その事実が覆い隠せないほど明らかになってからこれを取り調べ、その罰を行う。責めた理由は「無狀」であり、その結果は天地四方の常闇にまで至った。かかわるところがもっとも広く大きい。だから多くの者が議してその刑を行い、またその罪を贖わせた。刑罪の公平さと言ってよい。これより人皇の代に至って、刑法が大いに定まり、律令があまねく施かれ、天下はことごとく刑が懲らしめるものであることを知った。
解説
刑罰の起源。禮儀章 上三節で「無禮」の語を引き出した同じ天石窟の事件が、ここでは裁きの手続きとして読まれる。
素行が要点として挙げるのは三つ。①事実が明らかになってから調べる(「その著はれ掩ふべからずして后にこれを察し」)。②多数で議して刑を行う(「衆議してその刑を行ふ」)。③贖いの道を残す(「又たその科を贖はしむ」)。この三つが揃っているので「刑罪の公と謂ふべし」と評価する。
髪や爪を抜くという古代の贖罪の方式をそのまま引きつつ、素行の関心は手続きの公正さに向いている。次節でその慎重さがさらに徹底される。
賞罰章 十二人は一たび死して生きず ── 刑憲を愼み、典獄の任を正す
原文
蓋罰以恥之、刑以害之、神聖豈欲之乎、否乃善罰終不長、道終不行也、故詳聽斷之法、謹讞議、伸克抑之屈、親死囚之決、以愼刑憲、正典獄之任、存欽恤之誠、戒濫縱者、歷代聖主之明戒也、人一死而不生、身一難而不復、事一謬則千悔亦不補、故以至誠臨之、以至明致之、而可得其中其平也、
訓読
蓋し罰以てこれを恥ぢしめ、刑以てこれを害す。神聖豈にこれを欲せんや。否らざれば乃ち善罰終に長ぜず、道終に行はれざるなり。故に聽斷の法を詳かにし、讞議を謹み、克抑の屈を伸べ、死囚の決に親しみ、以て刑憲を愼み、典獄の任を正し、欽恤の誠を存し、濫縱を戒むるは、歷代聖主の明戒なり。人は一たび死して生きず、身は一たび難れて復せず、事は一たび謬れば千悔するも亦補はず。故に至誠を以てこれに臨み、至明を以てこれを致して、その中その平を得べきなり。
現代語訳
思うに罰はそれによって恥じさせ、刑はそれによって害する。神聖なる方々がどうしてそれを望まれようか。しかしそうしなければ、善を賞し悪を罰することがついに行き渡らず、道がついに行われない。だから審理し判断する法を詳らかにし、罪の軽重の審議を慎み、抑えつけられた者の曲がりを伸ばし、死罪の判決にはみずから臨み、そうして刑の憲法を慎み、獄を司る任を正し、慎み憐れむ誠を保ち、濫用と放縦とを戒める――これが歴代の聖なる君主の明らかな戒めである。人は一たび死ねば生き返らず、身は一たび損なわれれば元に復さず、事は一たび誤れば千度悔いても補えない。だから至誠をもってこれに臨み、至明をもってこれを尽くして、その中庸と公平とを得るべきである。
解説
賞罰章でもっとも重い一節。「人は一たび死して生きず、身は一たび難れて復せず、事は一たび謬れば千悔するも亦た補はず」――刑の不可逆性を、三つ重ねて言う。
そこから導かれる手続きが具体的である。聽斷の法を詳らかにする/讞議を謹む/抑えつけられた者の言い分を伸ばす/死罪の判決には君主みずから臨む/濫用を戒める。とくに「克抑の屈を伸べ」――押さえつけられて言えずにいる者の言い分を引き出せ、という一句と、「死囚の決に親しむ」――死刑判決を人任せにするな、という一句は、今日読んでも重い。
『書經』舜典の「欽恤」(刑をこれ恤へよ)を引くのも、素行の刑罰観がどこに立っているかをよく示している。
賞罰章 十三極を初に建て、日夜を後に省みる
原文
以上公賞罰之省、謹按、賞則勸罰則懲者、情之恆也、神聖因其人情、以制政齊其誼、是所以刑賞爲大柄也、凡賞罰之道、在建極於其初、而省日夜於其後也、其制不明于初、則人不知守其準的、其敎不紀於後、則人不能克其終、法之明也、猶久則怠、緩則變、故有巡狩巡察之省、以陟黜其政、著芳臭於其時、是治平之大柄也、唯欲人之歎、欲人之畏、而敢賞刑、私人之寵、逗時之好惡、不以天下之公、則人狎之輕之、賞刑不得勸懲之實也、
訓読
以上、賞罰の省を公にす。謹みて按ずるに、賞するときは則ち勸み、罰するときは則ち懲るは、情の恆なり。神聖その人情に因りて、以て政を制しその誼を齊ふ。是れ刑賞の大柄たる所以なり。凡そ賞罰の道は、極をその初に建て、而して日夜をその後に省みるに在り。その制初に明らかならざれば、則ち人その準的を守るを知らず。その敎後に紀されざれば、則ち人その終を克くする能はず。法の明らかなるも、猶ほ久しきときは則ち怠り、緩きときは則ち變ず。故に巡狩巡察の省ありて、以てその政を陟黜し、芳臭をその時に著はす。是れ治平の大柄なり。唯だ人の歎ずるを欲し、人の畏るるを欲して、敢て賞刑し、人の寵を私し、時の好惡に逗まり、天下の公を以てせざれば、則ち人これに狎れこれを輕んじ、賞刑勸懲の實を得ざるなり。
現代語訳
以上、賞罰の反省を公にした。つつしんで考えてみるに、賞されれば励み、罰されれば懲りるのは、人情の常である。神聖なる方々はその人情に基づいて政を制定し、その道理を整えられた。これが刑と賞とが統治の大きな柄である理由である。そもそも賞罰の道は、基準をそのはじめに立て、そして日夜その後を省みることにある。その制度がはじめに明らかでなければ、人はその基準を守ることを知らない。その教えが後に記されなければ、人はその終わりをまっとうすることができない。法が明らかであっても、久しくなれば怠り、ゆるめば変わる。だから巡狩や巡察の反省があって、その政を上げ下げし、よい香りと悪臭とをその時々に明らかにする。これが世を治め平らかにする大きな柄である。ただ人が感嘆することを望み、人が畏れることを望んで、みだりに賞や刑を行い、人への寵愛を私し、その時々の好き嫌いにとどまって、天下の公によらなければ、人はそれに慣れそれを軽んじ、賞と刑とは勧め懲らす実を得られない。
解説
賞罰章の総括。原理は「賞するときは則ち勸み、罰するときは則ち懲るは、情の恆なり」――制度は人情の自然に基づく、という素行の一貫した立場である。
そのうえで「極をその初に建て、日夜をその後に省みる」という二段を立てる。先に基準を明示し、あとから運用を点検する。これも二本立ての論法である。
そして「法の明かなるも、猶ほ久しきときは則ち怠り、緩きときは則ち變ず」――制度は放っておけば必ず緩む、という現実認識。だから巡察が要る、と聖政章九・十一節の巡狩・巡省に接続する。
最後の警戒も鋭い。賞罰を「人に畏れられたくて」行うと、かえって軽んじられる――目的が「勸懲」から「威嚇」にすり替わった瞬間に効力を失う、という指摘である。
賞罰章 十四或は疑ふ、明聖の君は刑賞を錯きて用ひずと
原文
或疑、明聖之君、刑賞錯不用、然乃、刑賞者、衰世之政乎、愚謂、明聖之君、審賞刑而不惑、故稽諸明聖、凡登用黜退者、事錯君子小人之道也、既有人則有喜怒好惡、既有君臣則有慶賞刑罰、何唯人而已乎、天地有春生秋殺、以齊萬物、外朝唐虞之盛、擧十六相、錯四凶、大功二十爲天子、其天命天討、是也、不知唐虞之外、亦有聖明之君、然乃賞罰之省、非所以爲治敎之要乎矣、
訓読
或は疑ふ、明聖の君は、刑賞を錯きて用ひず。然らば乃ち、刑賞は衰世の政かと。愚謂へらく、明聖の君は、賞刑を審かにして惑はず。故にこれを明聖に稽ふ。凡そ登用黜退は、君子小人の道を錯く事なり。既に人あれば則ち喜怒好惡あり。既に君臣あれば則ち慶賞刑罰あり。何ぞ唯だ人のみならんや。天地に春生秋殺ありて、以て萬物を齊ふ。外朝唐虞の盛なる、十六相を擧げ、四凶を錯く。大功二十にして天子と爲る。その天命天討、是なり。知らず、唐虞の外、亦聖明の君ありや。然らば乃ち賞罰の省は、治敎の要と爲す所以にあらずや。
現代語訳
ある人は疑って言う。「聡明で聖なる君主は、刑や賞を置いたままで用いない。とすれば、刑賞は衰えた世の政ではないか」。私はこう考える。聡明で聖なる君主は、賞と刑とを詳らかにして迷わない。だからそれを聖なる明君に照らして考える。そもそも人を登用したり退けたりするのは、君子と小人との道を配置する事である。すでに人がいれば喜怒と好悪とがある。すでに君臣があれば慶賞と刑罰とがある。どうして人だけのことであろうか。天地には春の生と秋の殺とがあって、万物を整えている。外国では唐虞の盛んな時代に、十六人の賢者を挙げ、四凶を退けた。大きな功があって二十歳で天子となった。それが「天が有徳を命じ、天が有罪を討つ」ということである。唐虞のほかにも聡明な君主がいたかどうかは知らない。とすれば賞罰の反省こそ、統治と教化との要となるものではないか。
解説
賞罰章の結び。反論は「本当に立派な君主なら賞罰など要らないはずだ」。
素行の答えは三段構えである。①人がいれば喜怒好悪があり、君臣があれば賞罰がある――避けようがない。②天地にも春の生と秋の殺とがある――自然の側にも賞罰はある。③堯舜も十六相を挙げ四凶を退けた――理想の世にも賞罰はあった。
これは聖政章十六節「政敎法令は德の末にして形の下なるものか」への反論と、まったく同じ形をしている。制度を「まだ徳が足りない証拠」と見る議論を、素行はくり返し退ける。制度は徳の欠如の埋め合わせではなく、徳が働く場所そのものだ、というのが彼の一貫した立場である。
武德章 一天瓊矛 ── 磤馭盧嶋を成す
原文
伊弉諾尊伊弉冉尊、立於天浮橋之上、共計曰、底下豈無國歟、廼以天之瓊矛、指下而探之、是獲滄溟、其矛鋒滴瀝之潮、凝成一嶋、名之曰磤馭盧嶋、
一書曰、天神謂伊弉諾尊伊弉冉尊曰、有豐葦原千五百秋瑞穗之地、宜汝往循之、廼賜天瓊戈、於是二神立於天上浮橋、投戈求地、因畫滄海、而引擧之、卽戈鋒垂落之潮、結而爲嶋、名曰磤馭盧嶋、
訓読
伊弉諾尊伊弉冉尊、天浮橋の上に立たして、共に計らひて曰はく、底下に豈に國なからんやと。廼ち天の瓊矛を以て、指し下してこれを探る。是に滄溟を獲たり。その矛の鋒より滴瀝る潮、凝りて一つの嶋と成る。これに名づけて磤馭盧嶋と曰ふ。
一書に曰く、天神伊弉諾尊伊弉冉尊に謂りて曰はく、豐葦原千五百秋瑞穗の地あり。宜しく汝往きて循むべしと。廼ち天の瓊戈を賜ふ。ここに二神天上の浮橋に立ちて、戈を投ちて地を求む。因りて滄海を畫きて、これを引き擧ぐるとき、卽ち戈の鋒より垂れ落つる潮、結びて嶋と爲る。名づけて磤馭盧嶋と曰ふ。
現代語訳
伊弉諾尊と伊弉冉尊とは、天の浮橋の上にお立ちになり、ともに相談して言われた。「底の下に国がないことがあろうか」。そこで天の瓊矛を指し下ろして探られた。こうして青い海を得た。その矛の先からしたたる潮が、凝り固まって一つの島となった。これを名づけて磤馭盧嶋という。
ある書にいう。天つ神が伊弉諾尊と伊弉冉尊とに言われた。「豐葦原千五百秋瑞穗の地がある。お前たちが行って治めるがよい」。そこで天の瓊戈を賜わった。二神は天上の浮橋に立ち、戈を投げ下ろして地を求められた。そこで青い海をかき回して引き上げると、戈の先から垂れ落ちる潮が固まって島となった。名づけて磤馭盧嶋という。
解説
武德章は国生みの矛から始まる。禮儀章 上二節では同じ場面から「陽神先づ唱ふ」の禮を読んだが、ここでは矛そのものに目が向く。
素行が本文を二伝並べて引くのは、いずれにも矛が国土を生む道具として出てくることを示すためだろう。武を後づけの必要悪としてではなく、国土の成り立ちそのものに関わるものとして位置づける――兵学者としての彼の立場が、章の冒頭で示される。
武德章 二細戈千足國 ── 武德を擧げて雄義を表す
原文
一書曰、豐葦原千五百秋之瑞穗國者、大八洲未生以前、已有其名、雖有名字、而無形相、強字其形爲天瓊矛者也、大八洲國者、卽瓊矛之所成也、
謹按、大八洲之成、出于天瓊矛、其形乃似瓊矛、故號細戈千足國、宜哉中國之雄武乎、凡開闢以來、神器靈物甚多、而以天瓊矛爲初、是乃擧武德以表雄義也、
訓読
一書に曰く、豐葦原千五百秋の瑞穗國は、大八洲の未だ生まれざる以前に、已にその名あり。名字ありと雖も、而も形相なし。強ひてその形を字して天瓊矛と爲すものなり。大八洲國は、卽ち瓊矛の成すところなり。
謹みて按ずるに、大八洲の成るは、天瓊矛に出づ。その形乃ち瓊矛に似たり。故に細戈千足國と號く。宜なる哉中國の雄武なるや。凡そ開闢以來、神器靈物甚だ多くして、天瓊矛を以て初と爲す。是れ乃ち武德を擧げて以て雄義を表はすなり。
現代語訳
ある書にいう。豐葦原千五百秋の瑞穗國は、大八洲がまだ生まれる前に、すでにその名があった。名はあっても形はなかった。しいてその形を字にあらわして「天瓊矛」としたのである。大八洲国は、すなわち瓊矛の成したものである。
つつしんで考えてみるに、大八洲が成ったのは天瓊矛から出ている。その形はまさに瓊矛に似ている。だから「細戈千足國」という名がある。この国が雄々しく武に長けているのももっともなことだ。そもそも天地が開けて以来、神器や霊物ははなはだ多いけれども、天瓊矛をもって最初とする。これはすなわち武の徳を挙げて、雄々しい道理を表すということである。
解説
武德章の主題宣言。「細戈千足國」――『日本書紀』が挙げる大八洲の別名の一つで、精巧な武器が十分に足りた国、の意とされる。素行はこれを国土の形(矛に似ている)と結びつけて、この国が本来的に武の国であることの証とする。
決定的なのは「開闢以來、神器靈物甚だ多くして、天瓊矛を以て初と爲す。是れ乃ち武德を擧げて以て雄義を表すなり」――三種の神器より前に矛がある、という順序の指摘である。神器章で玉・鏡・劒を仁・知・勇に配した素行が、ここではさらにその手前を掘っている。
ただし国土の形が矛に似ているという議論は、当時の地理観に依るものであって、根拠としては弱い。素行の主張の芯は「武は後から付け加わったものではない」という一点にあると読むのがよい。
武德章 三天照大神、髮を結ひて髻と爲したまふ
原文
素戔嗚尊昇天之時、溟渤以之鼓盪、山岳爲之鳴吼、此則神性雄健使之然也、天照大神素知其神暴惡、至聞來語之狀、乃勃然而驚曰、吾弟之來、豈以善意乎、謂當有奪國之志歟、夫父母既任諸子、各有其境、如何棄置當就之國、而敢窺覦此處乎、乃結髮爲髻、縛裳爲袴、便以八坂瓊之五百箇御統、纏其髻鬘及腕、又背負千箭之靫、與五百箭之靫、臂著稜威之高鞆、振起弓弭、急握劒柄、蹈堅庭而陷股、若沫雪以蹴散、奮稜威之雄詰、發稜威之嘖讓、而徑詰問焉、
訓読
素戔嗚尊天に昇ります時に、溟渤これを以て鼓盪し、山岳これが爲に鳴吼す。此れ則ち神性雄健これをして然らしむるなり。天照大神素よりその神の暴惡を知りて、來る語の狀を聞くに至り、乃ち勃然として驚きて曰はく、吾が弟の來る、豈に善意を以てせんや。謂ふに當に國を奪ふの志あるべきかと。夫れ父母既に諸子に任せて、各その境あり。如何ぞ當に就くべきの國を棄て置きて、敢てこの處を窺覦するやと。乃ち髮を結ひて髻と爲し、裳を縛りて袴と爲し、便ち八坂瓊の五百箇御統を以て、その髻鬘及び腕に纏ふ。又背に千箭の靫と、五百箭の靫とを負ふ。臂に稜威の高鞆を著け、弓弭を振り起て、劒柄を急く握り、堅庭を蹈みて股に陷れ、沫雪の若く以て蹴散す。稜威の雄詰を奮ひ、稜威の嘖讓を發して、徑ちに詰問したまふ。
現代語訳
素戔嗚尊が天に昇られたとき、大海はそのために波立ち、山々はそのために鳴りとどろいた。これは神の性質が雄々しく健やかであるためにそうなったのである。天照大神はもとよりその神の乱暴なことをご存じで、やって来る際のことばのさまをお聞きになると、にわかに驚いて言われた。「わが弟が来るのは、よい心からであろうか。思うに国を奪おうという志があるにちがいない。そもそも父母がすでに子らに任せて、それぞれ治めるべき境がある。どうして就くべき国を捨て置いて、あえてこの地をうかがおうとするのか」。そこで髪を結って髻とし、裳を縛って袴とし、八坂瓊の五百箇の御統をその髻と鬘、また腕に巻きつけられた。また背には千本の矢の靫と五百本の矢の靫とを負われた。肘には稜威の高鞆をつけ、弓の先を振り立て、剣の柄を固く握り、堅い庭を踏んで股まで沈め、それを泡雪のように蹴散らされた。稜威の雄叫びをふるい、稜威の叱責を発して、まっすぐに問いただされた。
解説
武德章の中心となる記事。天照大神がみずから武装して弟を迎える場面である。
描写が精密で、髻・袴・御統・二つの靫・高鞆・弓弭・剣柄――装備が一つずつ数え上げられる。素行はこれを省略せずに全部引く。次節以下で「備」を論じるための実物リストだからである。
禮儀章 上三節では、この直後の天石窟が「無禮」の教材として読まれた。ここではその前段――迎え撃つ側の準備――に光が当たる。同じ一連の記事から、章ごとに違う面を取り出す素行の方法がまた現れている。
武德章 四一書に曰く ── 大丈夫の武備を設けて防禦す
原文
一書曰、日神本知素戔嗚尊有武健陵物之意、及其上至、便謂弟所以來者、非是善意、必當奪我天原、乃設大夫武備、帶十握劒九握劒八握劒、又背上負靫、又臂著稜威高鞆、手握弓箭、親迎防禦、
一書曰、天照大神疑弟有惡心、起兵詰問、
一書曰、日神曰、吾弟所以上來、非是好意、必欲奪我之國者歟、吾雖婦女、何當避乎、乃躬裝武備云云、
訓読
一書に曰く、日神本より素戔嗚尊に武健陵物の意あるを知りたまふ。その上り至るに及びて、便ち謂はく、弟の來る所以は、是れ善意に非ず。必ず當に我が天原を奪はんとするなるべしと。乃ち大夫の武備を設け、十握劒九握劒八握劒を帶き、又背の上に靫を負ひ、又臂に稜威の高鞆を著け、手に弓箭を握り、親ら迎へて防禦したまふ。
一書に曰く、天照大神弟に惡心あるを疑ひ、兵を起こして詰問したまふ。
一書に曰く、日神曰はく、吾が弟の上り來る所以は、是れ好意に非ず、必ず我が國を奪はんと欲する者か。吾婦女なりと雖も、何ぞ當に避くべけんやと。乃ち躬ら武備を裝ひたまふ云云。
現代語訳
ある書にいう。日神はもとより素戔嗚尊に武を好み物を凌ごうとする心があることをご存じであった。その昇って来たときに、すぐに言われた。「弟が来る理由は、よい心からではない。必ずわが天原を奪おうとするのだろう」。そこで大丈夫の武備をととのえ、十握剣・九握剣・八握剣を帯び、また背には靫を負い、また肘には稜威の高鞆をつけ、手に弓矢を握って、みずから迎え撃って防がれた。
ある書にいう。天照大神は弟に悪心があることを疑い、兵を起こして問いただされた。
ある書にいう。日神が言われた。「わが弟が昇って来た理由は、よい心からではない。必ずわが国を奪おうとする者であろう。私は女ではあるが、どうして避けてよいだろうか」。そこでみずから武備を装われた。
解説
三つの異伝を並べて引く。素行が三つとも引いたのは、どの伝でも天照大神が武装していることを示すためだろう。
三伝目の「吾れ婦女なりと雖も、何ぞ當に避くべけんや」――女であっても退かない、という一句が印象的である。素行はこれに直接の論評を加えていないが、あえて引いたところに、備えは立場や性別で免除されるものではないという含みが読める。
次節の按語が、この三伝をまとめて受ける。
武德章 五備あれば則ち安く、備なければ則ち敗る
原文
謹按、是日神裝武備起兵之義也、日神之聖靈也、天下誰敵之、而猶設大丈夫之備、以防禦、是令垂戒於萬世、設備於未然之謂也、蓋備者、強爲之義也、有備則安、無備則敗、天下之事物皆然、況兵之爲用、必有不虞、何不意、故遠慮深忠、以裝武備、則臨難而無患、素戔嗚尊者、神之弟而嚴其武德責之者、共以無狀臨天、思八洲爲之泯滅、黎元爲之沈淪、初無爲之祐治、而裝武威、懲不虞、且不可長也、
訓読
謹みて按ずるに、是れ日神武備を裝ひ兵を起こしたまふの義なり。日神の聖靈なるや、天下誰かこれに敵せん。而も猶ほ大丈夫の備を設けて、以て防禦したまふ。是れ戒を萬世に垂れ、備を未然に設けしむるの謂なり。蓋し備は、強爲の義なり。備あるときは則ち安く、備なきときは則ち敗る。天下の事物皆然り。況んや兵の用たる、必ず不虞あり、何れか意はざらんや。故に遠慮深忠して、以て武備を裝へば、則ち難に臨みて患へなし。素戔嗚尊は、神の弟にして、その武德を嚴にしてこれを責むるは、共に無狀を以て天に臨み、八洲これが爲に泯滅し、黎元これが爲に沈淪せんことを思へばなり。初めよりこれを祐け治むることなくして、武威を裝ひ、不虞を懲す。且つ長ぜしむべからざるなり。
現代語訳
つつしんで考えてみるに、これは日神が武備をととのえ兵を起こされた道理である。日神の聖なる霊威に、天下の誰が敵しえようか。それでもなお大丈夫の備えをととのえて防がれた。これは戒めを万世に垂れ、備えをまだ事が起こらないうちに設けさせるということである。思うに備えとは、強くしておくということである。備えがあれば安らかであり、備えがなければ敗れる。天下の事物はみなそうである。まして兵の用いられ方には、必ず思いがけない事態がある。どれが予想できようか。だから遠く慮り深く思って武備をととのえておけば、困難に臨んでも憂いがない。素戔嗚尊は神の弟であるのに、その武の徳を厳しくして責められたのは、無狀のまま天に臨めば、八洲はそのために滅び、民はそのために沈むことを思われたからである。はじめからこれを助け治めることをせずに、武の威をととのえ、思いがけない事態を懲らす。しかもそれを増長させてはならないのである。
解説
武德章の中心命題。「備は強爲の義なり。備あれば則ち安く、備なければ則ち敗る。」――『左伝』の「備へ有れば患へ無し」を下敷きにした一句である。
論の運びが巧みで、「日神の聖靈なるや、天下誰かこれに敵せん。而も猶ほ大丈夫の備を設けて」――誰にも負けない存在ですら備えた、という順序で語る。備えは弱いから必要なのではない、という反転がここにある。
相手が実の弟であることも効いている。身内だからこそ備えを解かない――賞罰章第一節の「私したまはず」と同じ構えである。
結びの「且つ長ぜしむべからざるなり」は、武威そのものを増長させてはならないという釘。素行の兵学が武力賛美でないことを示す一句として押さえておきたい。
武德章 六天忍日命、天孫の前に立ちて遊行降來す
原文
高皇産靈尊以眞床覆衾、覆天津彦國光彦火瓊瓊杵尊、則引開天磐戸、排分天八重雲、以奉降之、于時大伴連遠祖天忍日命、帥來目部遠祖天槵津大來目、背負天磐靫、臂著稜威高鞆、手提天梔弓天羽羽矢、及副持八目鳴鏑、又帶頭槌劒、而立天孫之前、遊行降來、
謹按、草昧之際、非常之戒、不可忽之、故天忍日命備軍裝以前騙、敵其所御、威武之道、設而不怠、克終之戒也、況天孫初降乎、
訓読
高皇産靈尊眞床覆衾を以て、天津彦國光彦火瓊瓊杵尊を覆ひ、則ち天磐戸を引き開き、天の八重雲を排し分けて、以てこれを降し奉る。時に大伴連の遠祖天忍日命、來目部の遠祖天槵津大來目を帥ゐて、背に天磐靫を負ひ、臂に稜威の高鞆を著け、手に天梔弓天羽羽矢を提げ、及び八目鳴鏑を副へ持ち、又頭槌劒を帶きて、天孫の前に立ちて、遊行降來す。
謹みて按ずるに、草昧の際、非常の戒、これを忽せにすべからず。故に天忍日命軍裝を備へて以て前騙し、その御するところに敵す。威武の道、設けて怠らざるは、終を克くするの戒なり。況んや天孫の初めて降るをや。
現代語訳
高皇産靈尊は眞床覆衾で天津彦國光彦火瓊瓊杵尊をお覆いになり、天の磐戸を引き開け、天の八重雲を押し分けて、これをお降しになった。そのとき大伴連の遠祖である天忍日命は、來目部の遠祖である天槵津大來目を率いて、背に天磐靫を負い、肘に稜威の高鞆をつけ、手に天梔弓と天羽羽矢とを提げ、あわせて八目の鳴鏑を持ち、また頭槌剣を帯びて、天孫の前に立ち、進み行きながら降って来た。
つつしんで考えてみるに、まだ物事が定まらない時期の、非常への戒めを、おろそかにしてはならない。だから天忍日命は軍装をととのえて先駆けとなり、その進む先に備えたのである。武の威の道を、設けて怠らないのは、終わりをまっとうするための戒めである。まして天孫がはじめて降られるときにおいてはなおさらである。
解説
天孫降臨に武装した先導がついていたことを、素行は見逃さない。
按語の要点は「草昧の際、非常の戒、これを忽せにすべからず」――物事が定まらない時期こそ備えが要る、という時期の指定である。前節の「備」論が、こんどは創業の局面にあてはめられる。
禮儀章 上二十三節の「草業には乃ち武臣を以てその功を立て、守成には乃ち文臣を以てその禮を立つ」がここに対応する。創業には武、守成には文――同じ枠組みが、章をまたいで一貫している。
武德章 七神武帝東征 ── 孔舎衛坂の會戰
原文
神武帝甲寅冬十月丁巳朔、辛酉天皇親帥諸皇子舟師東征、戊午年春二月丁酉朔、丁未皇師遂東、舳艦相接、方到難波之碕、夏四月丙申朔、甲辰皇師勒兵歩趣龍田、而其路狹險、人不得並行、乃還更欲東踰膽駒山、而入中洲、時長髄彦聞之曰、夫天神子等所以來者、必將奪我國、則盡起屬兵、徼之於孔舍衞坂、與之會戰、
訓読
神武帝の甲寅の冬十月丁巳の朔、辛酉、天皇親ら諸の皇子と舟師とを帥ゐて東征したまふ。戊午年春二月丁酉の朔、丁未、皇師遂に東す。舳艦相接す。方に難波の碕に到る。夏四月丙申の朔、甲辰、皇師兵を勒して歩して龍田に趣く。而もその路狹險にして、人並び行くことを得ず。乃ち還りて更に東のかた膽駒山を踰えて、中洲に入らんと欲す。時に長髄彦これを聞きて曰はく、夫れ天神の子等の來る所以は、必ず將に我が國を奪はんとするなりと。則ち盡く屬兵を起こし、これを孔舍衞坂に徼へて、これと會戰す。
現代語訳
神武天皇の甲寅の年の冬十月丁巳の朔、辛酉の日、天皇はみずから皇子たちと舟軍とを率いて東征された。戊午の年の春二月丁酉の朔、丁未の日、皇師はついに東へ進んだ。舳先と艦とが連なり続いた。まさに難波の碕に至った。夏四月丙申の朔、甲辰の日、皇師は兵をととのえて徒歩で龍田へ向かった。しかしその道は狭く険しく、人が並んで行くことができなかった。そこで引き返して、あらためて東のかた膽駒山を越えて、内つ国へ入ろうとされた。そのとき長髄彦がこれを聞いて言った。「そもそも天つ神の子らが来る理由は、必ずわが国を奪おうとするのだ」。そこですべての配下の兵を起こし、これを孔舎衛坂で迎えて、会戦した。
解説
神武東征の記事。素行は行軍の細部――舟軍、舳艦の連なり、龍田の道が狭くて通れなかったこと、迂回して膽駒山を越えたこと――をそのまま引く。
兵学者らしい着眼で、地形によって進路を変えたという一点が残されているのが重要なのだろう。次節の按語で、この東征から七つの要素が数え上げられる。
なお長髄彦の言い分「必ず我が國を奪はんとするなり」が、そのまま記録されているのも見逃せない。抵抗した側の理由が書き残されている、ということである。
武德章 八人皇東征の武威 ── 兵律の制、神謀の略
原文
謹按、是人皇東征、定中州之武威也、有舟師、有歩兵、有會戰、有神策、有神瑞、有凱歌、有祭齋、戰勝而存戒、以徙倍於別處、以爲御謠、慰勝卒之勞矣、練士卒示誠信、功建六年、其兵律之制、神謀之略、陳營器械之用法、元將偏帥之撰任、無不備、故井光之有尾、土蜘蛛之手足長、不能著其術、況長髄彦之懷恨、菟田兄猾之逆謀、竟誅殺而中洲安定、中州初平、其策其兵、皆出於神、神乃天也、天以授之、人以與之、是帝所以爲神武也、
訓読
謹みて按ずるに、是れ人皇東征して中州を定めたまふの武威なり。舟師あり、歩兵あり、會戰あり、神策あり、神瑞あり、凱歌あり、祭齋あり。戰ひ勝ちて戒を存し、以て別處に徙し倍し、以て御謠を爲して、勝卒の勞を慰めたまふ。士卒を練りて誠信を示し、功を六年に建てたまふ。その兵律の制、神謀の略、陳營器械の用法、元將偏帥の撰任、備はらずといふことなし。故に井光の尾あるも、土蜘蛛の手足の長きも、その術を著はす能はず。況んや長髄彦の恨みを懷き、菟田の兄猾の逆謀するも、竟に誅殺せられて中洲安定す。中州初めて平ぐ。その策その兵、皆神に出づ。神は乃ち天なり。天以てこれを授け、人以てこれを與す。是れ帝の神武たる所以なり。
現代語訳
つつしんで考えてみるに、これは人皇が東征してこの国を定められた武の威である。舟軍があり、歩兵があり、会戦があり、神の策があり、神の瑞祥があり、凱歌があり、祭りの斎戒がある。戦い勝っても戒めを保ち、別の場所へ移して備えを増し、御謡を作って勝った兵の労をねぎらわれた。兵士を鍛えて誠と信とを示し、功を六年にして立てられた。その兵の規律の制度、神なる謀りごとの計略、陣営や器械の用い方、元帥や部将の選任――備わらないものはなかった。だから井光に尾があっても、土蜘蛛の手足が長くても、その術を発揮できなかった。まして長髄彦が恨みを抱き、菟田の兄猾が謀反を企てても、ついに討たれて内つ国は安定した。この国ははじめて平らかになった。その策もその兵も、みな神から出ている。神とはすなわち天である。天がこれを授け、人がこれに与した。これが天皇が「神武」と申しあげられる理由である。
解説
東征を七つの要素に分解する――舟師・歩兵・會戰・神策・神瑞・凱歌・祭齋。兵学者としての整理である。
さらに兵律の制、神謀の略、陣營器械の用法、元將偏帥の撰任の四つを挙げて「備はらずといふことなし」と評する。神武東征を、軍制の教科書として読んでいるわけである。
とくに注目したいのは「戰ひ勝ちて戒を存し」「御謠を爲して勝卒の勞を慰めたまふ」――勝ったあとの処置に目を配っているところ。勝利のあとこそ油断しない、というのが素行の一貫した関心である。
なお「井光の尾あるも、土蜘蛛の手足の長きも」という叙述は、服属しなかった人々を異形のものとして描く記紀の記述をそのまま引いたものである。次節とあわせて、批判的に読むべき箇所である。
武德章 九神武不殺の大兵 ── 東征六年のうち兵を鳴らすこと僅かに一年
原文
或疑、天授人與、神武而不殺者、聖人之兵也、然乃何有此許多誅戮乎、愚謂、草昧之間、草木成言、邪鬼爲蠅聲、各自建封境、占其有、非神兵、格不可得速成之功、流血波履、僵屍枕臂者、含誅殺之制也、桀犬吠堯、何時無姦好之賊徒、況一屯蒙乎、其死神兵者、天討下之、其他不易民以治之、東征六年之間、鳴其兵僅一年、封一二誅戮而中國結風軍、神武不殺之大兵、天授人與之至德、可幷考也、
訓読
或は疑ふ、天授け人與し、神武にして殺さざるは、聖人の兵なり。然らば乃ち何ぞこの許多の誅戮あるやと。愚謂へらく、草昧の間、草木言ふことを成し、邪鬼蠅聲を爲す。各自ら封境を建て、その有を占む。神兵にあらざれば、格りて速成の功を得べからず。流血履を波し、僵屍臂を枕にするは、誅殺の制を含むなり。桀の犬堯に吠ゆ、何れの時か姦好の賊徒なからん。況んや一たびの屯蒙をや。その神兵に死する者は、天これを討つ。その他は民を易へずして以てこれを治む。東征六年の間、その兵を鳴らすこと僅かに一年。一二の誅戮を封じて中國風軍を結ぶ。神武不殺の大兵、天授け人與するの至德、幷せ考ふべきなり。
現代語訳
ある人は疑って言う。「天が授け人が与し、武の徳がありながら殺さないのが聖人の兵である。それならどうしてこれほど多くの誅戮があるのか」。私はこう考える。物事がまだ定まらない時期には、草木も物を言い、邪しき鬼が蠅のような声を立てた。それぞれが勝手に境を立て、その領有を占めていた。神なる兵でなければ、そこに至って速やかに功を得ることはできない。流れる血が靴を浸し、倒れた屍が腕を枕にするというのは、誅殺の制を含んでいる。桀の飼い犬が堯に吠えるように、いつの時代に邪な賊徒がいないことがあろうか。まして一度の混乱の時期においてはなおさらである。神なる兵に死んだ者は、天がこれを討ったのである。その他は民を入れ替えずにこれを治めた。東征六年のあいだ、兵を鳴らしたのはわずかに一年である。一つ二つの誅戮にとどめて、この国は軍を結び終えた。武の徳がありながら殺さない大いなる兵、天が授け人が与した至れる徳を、あわせて考えるべきである。
解説
この節は批判的に読む必要がある。
問いは正当である――「殺さないのが聖人の兵なら、なぜこれほど誅戮の記事があるのか」。素行の答えは二段で、①それは「神兵」による天の討伐だった、②そして東征六年のうち実際に兵を用いたのは一年だけである、というもの。後者の数えてみせるやり方は実証的で、素行らしい。
問題は前者である。「草木も物を言い、邪鬼が蠅の声を立てた」という前提――抵抗した人々を人ではないものとして描く記紀の叙述を、素行はそのまま受け取っている。誅戮が正当化されるのは、殺された相手が人でないからだ、という論理がここで働いてしまう。「その他は民を易へずして以てこれを治む」という評価も、その線引きの上に成り立っている。
今日の読者としては、素行の問いの立て方(武力行使の量を数えて検証する)は評価しつつ、その検証が「誰を数に入れるか」の段階ですでに偏っていることを見ておきたい。禮儀章 中四十一節の諸蕃論と同じ構造の問題である。
武德章 十天神將を撰ぶの義 ── 將は軍の司命、勝敗の源なり
原文
高皇産靈尊更會諸神、擇當遣於葦原中國者、僉曰、磐裂根裂神之子、磐筒男磐筒女所生之子、經津主神是佳也、時有天石窟所住神、稜威雄走神之子甕速日神、甕速日神之子熯速日神、熯速日神之子武甕槌神、此神進曰、豈唯經津主神獨爲丈夫、而吾非丈夫者哉、其辭氣慷慨、故以卽配經津主神、令平葦原中國、故大己貴神乃以平國時所杖之廣矛、授二神曰、吾以此矛、卒有治功、天孫若用此矛治國者、必當平安、
謹按、是天神撰將之義也、蓋用兵之要、一在撰將、將者、軍之司命、勝敗之源也、天神三會群神、以得此二將、終遂其功、所擇所任、共得其道也、
訓読
高皇産靈尊更に諸神を會め、當に葦原中國に遣はすべき者を擇ぶ。僉曰さく、磐裂根裂神の子、磐筒男磐筒女の生むところの子、經津主神是れ佳しと。時に天石窟に住むところの神あり。稜威雄走神の子甕速日神、甕速日神の子熯速日神、熯速日神の子武甕槌神。この神進みて曰さく、豈に唯だ經津主神のみ獨り丈夫と爲りて、吾は丈夫に非ざらんやと。その辭氣慷慨なり。故に卽ち經津主神に配るを以て、葦原中國を平げしむ。故に大己貴神乃ち國を平げし時に杖つきしところの廣矛を以て、二神に授けて曰はく、吾この矛を以て、卒に治むるの功あり。天孫若しこの矛を用ゐて國を治めば、必ず當に平安なるべしと。
謹みて按ずるに、是れ天神將を撰ぶの義なり。蓋し兵を用ふるの要は、一に將を撰ぶに在り。將は、軍の司命、勝敗の源なり。天神三たび群神を會めて、以てこの二將を得、終にその功を遂ぐ。擇ぶところ任ずるところ、共にその道を得たるなり。
現代語訳
高皇産靈尊はあらためて神々を集め、葦原中國に遣わすべき者を選ばれた。みなが申し上げた。「磐裂根裂神の子、磐筒男・磐筒女の生んだ子である經津主神がよろしいでしょう」。そのとき天石窟に住む神があった。稜威雄走神の子である甕速日神、甕速日神の子である熯速日神、熯速日神の子である武甕槌神である。この神が進み出て言った。「どうして經津主神だけが丈夫であって、私は丈夫ではないというのか」。そのことばの気概は激しかった。そこですぐに經津主神に副えて、葦原中國を平らげさせられた。そこで大己貴神は、国を平らげたときに杖とした廣矛を二神に授けて言った。「私はこの矛によって、ついに治める功を得た。天孫がもしこの矛を用いて国を治めるなら、必ず平安であろう」。
つつしんで考えてみるに、これは天つ神が将を選ばれた道理である。思うに兵を用いる要は、ひとえに将を選ぶことにある。将とは、軍の命を司るもの、勝敗の源である。天つ神は三度も神々を集めて、この二将を得、ついにその功を遂げられた。選んだことも任じたことも、ともにその道を得ている。
解説
将帥論の始まり。「兵を用ふるの要は、一に將を撰ぶに在り。將は、軍の司命、勝敗の源なり。」
素行が注目するのは三度会議を開いたという点である。「天神三たび群神を會めて、以てこの二將を得」――一度で決めていない。神知章以来の人を択ぶことの難しさという主題が、ここでは将の選任として現れている。
もう一つ、武甕槌神が自分から名乗り出たことも記録されている。「豈に唯だ經津主神のみ獨り丈夫と爲りて、吾は丈夫に非ざらんや」――推薦だけでなく、志願も選任の道である、ということだろう。
武德章 十一道臣命 ── 人皇將を撰ぶの始
原文
二神卒順、天孫臨降、以開萬億世之皇系、其武威盛哉殻哉矣、大己貴所奉之廣矛、亦靈器也、凡兵以律興、以策立、以器械爲用、兵武之字、皆自其器、況中國初有瓊矛、以成此洲、天神以寶器備神器乎、宜哉、二神有不血刃之勳乎、
神武帝東征、大伴氏之遠祖道臣命、帥大來目、奉承密策、蹈山踏行、
先人曰、神武天皇東征之日、物部氏祖道臣命爲軍將、
謹按、是人皇撰將之始也、蓋將者、才足以將物之稱、帥者、智以帥人之名也、危急草屯之時、其用最在將帥、治平武夫、非好謀挫機之精、未中其任、故將帥之爲用、不必勇敢、要折衝屈敵之智、本誠信懷敎之實、其任重、其撰豈易得乎、道臣命殆其斯也、上有神武之聖、下有賢才之將、其制區宇弘功業、所以無所不利無所不成也、
訓読
二神卒に順ひ、天孫臨み降りて、以て萬億世の皇系を開きたまふ。その武威盛なる哉殻いなる哉。大己貴の奉るところの廣矛も、亦靈器なり。凡そ兵は律を以て興り、策を以て立ち、器械を以て用と爲す。兵武の字は、皆その器に自る。況んや中國初めに瓊矛ありて、以てこの洲を成し、天神寶器を以て神器に備ふるをや。宜なる哉、二神に刃に血ぬらざるの勳あるや。
神武帝東征するに、大伴氏の遠祖道臣命、大來目を帥ゐ、密策を奉承して、山を蹈み踏み行く。
先人曰く、神武天皇東征の日、物部氏の祖道臣命軍將と爲ると。
謹みて按ずるに、是れ人皇將を撰ぶの始なり。蓋し將は、才以て物を將ゐるに足るの稱、帥は、智以て人を帥ゐるの名なり。危急草屯の時、その用は最も將帥に在り。治平の武夫は、謀を好み機を挫くの精にあらざれば、未だその任に中らず。故に將帥の用たる、必ずしも勇敢にあらず。折衝屈敵の智を要し、誠信懷敎の實を本とす。その任重し、その撰豈に易く得んや。道臣命は殆どそれ斯なり。上に神武の聖あり、下に賢才の將あり。その區宇を制し功業を弘むる、利あらざるところなく、成らざるところなき所以なり。
現代語訳
二神はついに従わせ、天孫が降臨されて、万億の世に続く皇統をお開きになった。その武の威の盛んなことよ、大きなことよ。大己貴が奉った廣矛もまた霊妙な器である。そもそも兵は規律によって興り、策によって立ち、器械によって用をなす。「兵」「武」という字も、みなその器に由来する。まして、この国のはじめに瓊矛があってこの島を成し、天つ神が宝器を神器として備えられたのだからなおさらである。もっともなことだ、二神に刃に血を塗らずに功を立てた勲があるのは。
神武天皇が東征されるとき、大伴氏の遠祖である道臣命は、大來目を率い、秘めた策を承って、山を踏み分けて進んだ。
先人はいう。神武天皇の東征の日、物部氏の祖である道臣命が軍将となった、と。
つつしんで考えてみるに、これが人皇が将を選ぶことのはじめである。思うに「將」とは、才が物を率いるに足りるという称であり、「帥」とは、智によって人を率いるという名である。危急でまだ定まらない時期には、その働きはもっとも将帥にかかっている。世の治まったときの武人は、謀を好み機先を制する精緻さがなければ、その任にかなわない。だから将帥の働きは、必ずしも勇敢さではない。敵の勢いを折り屈させる智を要し、誠と信とをもって懐かせ教える実を本とする。その任は重く、その選任がどうして容易に得られようか。道臣命はほぼそれに当たる人であった。上に神武の聖があり、下に賢才の将がある。その天下を制し功業を広めるのに、利あらざるところなく、成らざるところがなかった理由である。
解説
素行の将帥論がもっとも直截に語られる節。「將帥の用たる、必ずしも勇敢にあらず」――勇ましさは将の条件ではない、と言い切る。
求められるのは二つ。「折衝屈敵の智」と「誠信懷敎の實」。前者は敵の勢いを削ぐ判断力、後者は味方を心服させる誠実さである。勇より智、智より信という順序が読み取れる。
「將」と「帥」の字義を分けるのも兵学者らしい。將は物を率いる才、帥は人を率いる智。
そして「上に神武の聖あり、下に賢才の將あり」――君と将とが揃ってはじめて成る、という一対で結ぶ。神知章の人材論が、ここでは軍事の側から言い直されている。
武德章 十二節刀を授く ── 將相は天下の師なり
原文
高皇産靈尊賜天稚彦天鹿兒弓及天羽羽矢、以遣之、
謹按、是天神授將於節刀之義也、及人皇、景行帝以斧鉞、授日本武尊、自是連綿修飾、而有立將之禮、凡節度者、所以示其信也、斧鉞者、所以專刑戮也、軍旅之制、不可以私、人臣又無專制之義、故樹風聲於四方、著天表於所立、將帥一受閫外之寄、適時中之宜、於是三軍之任、歸于此、無二三其信也、蓋將相者、天下之師也、其才其德不並行、則不得其實、天下安注意相、天下危注意將、然安常不安、一人有蹉跌、卽轉危矣、人君當無事之日、人才彙進之時、儲其器以備急難、隆天寵之優、布懷綏之德、則凡事無不成也、
訓読
高皇産靈尊天稚彦に天鹿兒弓及び天羽羽矢を賜うて、以てこれを遣はす。
謹みて按ずるに、是れ天神將に節刀を授けたまふの義なり。人皇に及びて、景行帝斧鉞を以て、日本武尊に授けたまふ。これより連綿修飾して、將を立つるの禮あり。凡そ節度は、その信を示す所以なり。斧鉞は、刑戮を專らにする所以なり。軍旅の制は、私を以てすべからず。人臣又專制の義なし。故に風聲を四方に樹て、天表を立つるところに著はす。將帥一たび閫外の寄を受けなば、時中の宜しきに適ふ。ここに於いて三軍の任、ここに歸す。その信を二三にすることなし。蓋し將相は、天下の師なり。その才その德並び行はれざれば、則ちその實を得ず。天下安きときは意を相に注ぎ、天下危ふきときは意を將に注ぐ。然れども安きも常に安からず、一人に蹉跌あれば、卽ち危に轉ず。人君無事の日、人才彙進の時に當り、その器を儲へて以て急難に備へ、天寵の優を隆んにし、懷綏の德を布かば、則ち凡そ事成らざるはなし。
現代語訳
高皇産靈尊は天稚彦に天鹿兒弓と天羽羽矢とを賜わって遣わされた。
つつしんで考えてみるに、これは天つ神が将に節刀を授けられた道理である。人皇の代になって、景行天皇は斧鉞を日本武尊に授けられた。これより連綿として整えられ、将を立てる禮ができた。そもそも節度とは、その信を示すためのものである。斧鉞とは、刑罰と誅殺とを専断させるためのものである。軍旅の制度は、私によってはならない。臣下にはまた専断の道理がない。だから評判を四方に立て、天の表れを立てる場所に示す。将帥がひとたび城門の外を委ねられれば、そのときどきの適宜にかなうように動く。こうして三軍の任がここに帰する。その信を二つ三つにぶれさせることはない。思うに将と相とは、天下の師である。その才とその徳とが並び行われなければ、その実を得られない。天下が安らかなときは心を宰相に注ぎ、天下が危ういときは心を将に注ぐ。しかし安らかであっても常に安らかではなく、一人につまずきがあれば、たちまち危機に転ずる。君主は事のない日、人材が次々と進み出る時にあたって、その器を蓄えて急な難に備え、天の寵愛の厚さを盛んにし、懐かせ安んずる徳を布くならば、およそ事は成らないということがない。
解説
節刀の禮――指揮権をどう委任するかという問題である。
核心は「將帥一たび閫外の寄を受けなば、時中の宜しきに適ふ」。『史記』の「閫より以外は將軍これを制す」を踏まえ、いったん委ねたら現場の判断に任せることを説く。「その信を二三にすることなし」――委任を途中でぶれさせるな、というわけである。
そして有名な一対、「將相は天下の師なり。天下安きときは意を相に注ぎ、天下危ふきときは意を將に注ぐ」。
ただし素行はそこで止まらない。「然れども安きも常に安からず、一人に蹉跌あれば、卽ち危に轉ず」――安泰は続かない。だから「無事の日、人才彙進の時に當り、その器を儲へて以て急難に備ふ」。備えという武德章の主題が、人材の側から言い直されている。
武德章 十三賞はその功に當らざれば禮明らかならず
原文
神武帝卽位二年、春二月甲辰朔、乙巳天皇定功行賞、賜道臣命宅地、居于築坂邑、以寵異之、亦使大來目居于畝傍山以西川邊之地、今號來目邑、此其緣也、以珍彥爲倭國造、又給弟猾猛田邑、因爲猛田縣主、是菟田主水部遠祖也、弟磯城名黑速爲磯城縣主、復以劒根者爲葛城國造、又頭八咫烏亦入賞例、其苗裔卽葛野主殿縣主部是也、
謹按、定功行賞者、軍國之盛事也、賞不當其功、則禮不明、無功而有賞、則小人進而佞好行、故行賞必在定其功也、今大君有命、開國建業、其時最可長、於是賞不虧其禮、而功臣保全、國家安靖矣、蓋賞罰者、人君之大柄、
訓読
神武帝卽位二年、春二月甲辰の朔、乙巳、天皇功を定め賞を行ひたまふ。道臣命に宅地を賜ひ、築坂邑に居らしめ、以て異に寵したまふ。亦大來目をして畝傍山以西の川邊の地に居らしむ。今來目邑と號くるは、此れその緣なり。珍彥を以て倭國造と爲す。又弟猾に猛田邑を給ひ、因りて猛田縣主と爲す。是れ菟田の主水部の遠祖なり。弟磯城、名は黑速を磯城縣主と爲す。復た劒根といふ者を以て葛城國造と爲す。又頭八咫烏も亦賞例に入る。その苗裔は卽ち葛野の主殿縣主部是なり。
謹みて按ずるに、功を定め賞を行ふは、軍國の盛事なり。賞その功に當らざれば、則ち禮明らかならず。功なくして賞あれば、則ち小人進みて佞好行はる。故に賞を行ふは必ずその功を定むるに在るなり。今大君命あり、國を開き業を建つ。その時最も長ずべし。ここに於いて賞その禮を虧かずして、功臣保ち全くし、國家安靖す。蓋し賞罰は、人君の大柄なり。
現代語訳
神武天皇の即位二年、春二月甲辰の朔、乙巳の日、天皇は功を定め賞を行われた。道臣命に宅地を賜い、築坂邑に住まわせて、とくに寵愛された。また大來目を畝傍山より西の川辺の地に住まわせた。いま來目邑と呼ぶのは、これがその由来である。珍彥を倭国造とされた。また弟猾に猛田邑を与え、そこで猛田縣主とされた。これが菟田の主水部の遠い祖である。弟磯城、名は黑速を磯城縣主とされた。また劒根という者を葛城国造とされた。また頭八咫烏も賞の例に入った。その子孫は葛野の主殿縣主部がそれである。
つつしんで考えてみるに、功を定めて賞を行うのは、軍と国との盛んな事である。賞がその功に当たらなければ、禮が明らかにならない。功がないのに賞があれば、小人が進み出て媚びへつらいが行われる。だから賞を行うのは、必ずその功を定めることにある。いま大君に命があり、国を開き業を立てられた。そのときこそもっとも伸ばすべきである。こうして賞がその禮を欠くことなく、功臣は身を保ち全うし、国家は安らかに静まった。思うに賞罰とは、君主の大きな柄である。
解説
本分冊の賞罰章五節とまったく同じ記事が、武德章でもう一度引かれる。素行の原文がそうなっている――同じ史料を、賞罰の側からと軍功の側からと二度読むのである。
按語の力点は違う。賞罰章では「功を定めて而して後に賞を行ふ」という順序を説いたが、ここでは「賞その功に當らざれば、則ち禮明らかならず。功なくして賞あれば、則ち小人進みて佞好行はる」――賞の失敗が組織に何をもたらすかに目が向く。実力ではなく取り入りが通る組織になる、というわけである。
そして「賞その禮を虧かずして、功臣保ち全くし、國家安靖す」。正しい論功行賞は、功臣を守ることでもある――創業ののち功臣が粛清される中国史の例を、素行はおそらく念頭に置いている。
武德章の後半(第十四節以降)は、次の分冊に続きます。