神器章 十七三種の神器の名の由来 ── 「八」の意味と草薙劒底本 三五七頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)
訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
天孫御降臨のことは前にも申しましたが、此の天孫御降臨の時に、天照大神から八坂瓊の曲玉と八咫の鏡と草薙の劒との三種の寶を賜はつたといふことが傳はつて居るのであります。「曲玉」といふのは、其の端が曲つて居るので、それで「曲玉」と言ふのであります。「八坂瓊」といふのは、大變に美しい玉といふ意味であります。それから「八咫の鏡」といふのは、其の端が八つに分れて居るといふのでありますが、其の端が八つに分れて居るといふのは大變に美しい意味に使ふのでありまして、支那でも我が國でも共通なことでありまして、完全な意味に使ふのは、其の物の完全なることを表はすのであります。一體「八」といふのは、物が具はるといふ意味でありまして、私共が此處に立つて居るといふと、其の四隅を入れると八つになるのでありまして、「八」といふことが屡々あるのであります。凡てこれ等は何れも皆非常に勝れた寶であります。それですから其の四隅を入れると八つになる、といふ譯であります。
解説
「八」という数字の解釈。八坂瓊・八咫鏡というときの「八」を、個数ではなく「物事の完全に具わる様」を表す語として説く。この種の数の象徴解釈は、中国章でも「九」(九鼎、天下の中心を九つに分ける発想など)の扱いにしばしば見られたのと同じ手つきである。
神器の名そのものの由来を丁寧に説くのは、素行の原文にはない、小林の講義独自の敷衍箇所である。
神器章 十八草薙劒の名の由来 ── 燒津の故事底本 三五七頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)
訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
それから草薙劒といふのは、素戔嗚尊が出雲に於て大蛇を退治して、其の尾から獲られたといふ劒であります。後に日本武尊が東國を御征伐になつた時に、此の劒を熱田の神宮から受けられてお持ちになつて、さうして駿河の燒津といふ所で、賊が火を掛けて燒き討をした時に、此の劒を以て周りの草を薙ぎ拂うて、難を免れられたといふので、それで「草薙劒」といふ名が付いたといふ意味であります。
解説
草薙劒の名の由来を語る有名な挿話。『日本書紀』景行紀に見える焼津の一件で、本来「天叢雲劒」と呼ばれていた剣が、この故事によって「草薙劒」と呼び替えられたことになる。
次段(sk31)以降で語られる「鏡劒亦從」――鏡が伊勢に鎮座するとき剣もこれに従う――という筋とあわせて読むと、草薙劒がのちに尾張の熱田に留め置かれる(全集版 sk16)という後段の伏線にもなっている。
神器章 十九天叢雲劒から草薙劒へ ── 「永く天璽と爲す」の神勅底本 三五八頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)
訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
此の劒は素戔嗚尊が出雲でお獲めになつた時には「天叢雲劒」と申したのでありますが、後に日本武尊がずつと此の劒をお持ちになつて居られたことから「草薙劒」と名を改めて申すのであります。また或る言ひ傳へに依りますと、天孫瓊瓊杵尊が天孫降臨になつたとある時に、高皇産靈尊と御相談になつて、八咫の鏡及び草薙の劒の二種の寶を以て皇孫にお授けになつたとあります。之を以て「永く天璽と爲す」――即ち天皇より賜はつた所の寶を、永く國の御璽とせよ、といふ意味の神勅であります。此の傳説の中には玉といふものは出て參りませぬけれども、玉といふ意味は自ら此の中に籠もつて居るのであります。斯うして神代より代々の天皇がお承け繼ぎになつたのが、此の三種の神器であります。
解説
「永く天璽と爲す」の神勅。皇統章十一節でも引かれた「同床共殿」の神勅(皇統章 その二)と並んで、神器章全体の主題そのものになる言葉である。
ここで小林が注記する「此の傳説の中には玉といふものは出て參りませぬけれども、玉といふ意味は自ら此の中に籠もつて居る」という一言に注意したい。伝えによって記述の詳しさが違っても、三種そろっているという前提そのものは動かさない、という素行以来の読み方の型である。
神器章 二十寶劒に就いての深き意義底本 三五九頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)
訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
うに出雲に於て素戔嗚尊が大蛇を退治して、其の尾から獲られたといふことについて、此の寶劒に就いての言ひ傳へを考へて見ますと、大變に深い意味があるのであります。殊に此の寶劒に就いての言ひ傳へを考へて見ますと、大蛇といふものは世の中に害をなすものであります。併しながら其の大蛇を退治して、其の尾にあつた所の劒を國の寶となされば、其の劒といふものは永く國を護る所の力を有するのであります。卽ち人間に害をなす所の大蛇の劒の中から、國を護る所の不思議な劒が御手に入つたといふことは、洵に多勢の人への善い教訓でありまして、佛敎の方などでは「善惡二ならず」といふやうなことを申します。善と惡とが同じであるといふのはチヨツト不思議な事のやうでありますけれども、要するに心の用ひ方を言ふのでありまして、善を爲す心も惡を爲す心も、二つあるものではない。自分の心は一つであります。此の心が善い方に向けば幾らでも善いことをして世の中の役に立ち、此の心が惡い方に向けば幾らでも世の中に害をなす。此の心の用ひ方といふものは、非常に微妙なものであるといふことがよく解るのであります。只今申しました素戔嗚尊も、以前には隨分世の中に迷惑を及ぼしたやうな方でもあつたといふのでありますが、併し非常に武勇の勝れた方でありまして、其の武勇を善い方にお用ひになつて、後には日本の國の勢力を外に伸ばすといふことに、大變な御功勳をお立てになつたのであります。凡て心一つの用ひ方に依つて、今まで世の中に害をなしたものが、世の中に非常な益をなすやうになつたのであります。
解説
大蛇の凶器が国の護りに変わる、という筋を「心の用ひ方」の教訓として読む一段。小林はここで仏教の「善悪二ならず」という言い方まで持ち出して、剣そのものに善悪はなく、用い方一つで害にも護りにもなる、と説く。
これは神器章 その一で読んだ「玉(徳の象徴)と矛(武の象徴)とが一つの器に同居する」(sk05)という主題の延長線上にある。武力・武器そのものは中立で、それを導く心のありようが善悪を決める、という考え方は、素戔嗚尊という荒ぶる神の評価にも一貫して適用されている点に注意したい。
神器章 二十一三つの靈徳 ── 玉は仁、鏡は智、劒は勇底本 三六〇頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)
訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
さうして其の武勇を善い方にお用ひになつて、後には日本の國の勢力を外に伸ばすといふことに、大變な御功勳をお立てになつたのであります。凡て心一つの用ひ方に依つて、今まで世の中に害をなしたものが、世の中に非常な益をなすやうになつたのであります。斯ういふことをよく證して居る譯でありまして、得として置かなければならぬことであります。以上の三種の神器といふものは、何れも此の國の大切な寶であつて、此の中で玉といふものには、至つて穩かな、人に情けを掛けるといふやうな心持が自ら現はれて居ります。それから劒といふものは、物を決斷するといふ性質であるから、勇氣を表すのであります。鏡といふものは、物を照らすので、卽ち智慧の明かな有樣を示して居ります。斯ういふやうに分けて言へば三つであるけれども、天つ神の御心持が、或る時には武勇の働きとなり、或る時には情けを以て人を治めるといふ働きをして居ります。となるので、誠がなければ知も勇も何も存在する譯はない。たゞこれは天照大神の御身に着けていらしつたものを、此の三種の神器を皇孫にお授けになりました時には、別に知だの仁だのといふ名があつた譯ではない。此の器といふものが三つあつて見ますと、此の三種の神器を拜することに依つて、智慧を磨くといふことの貴いことも、また情けを掛けるといふことの大切であることも、武勇といふものの貴いことも、自ら解るのであります。無論天下の隅から隅までを照し見る所の最も勝れた智慧も具はつていらつしやるし、また御威光も勝れていらつしやるし、無論天下の隅から隅までを照らし見る所の御歴代の天皇は、御德も勝れ、武勇といふものの貴いことも自ら解るのであります。
解説
玉=仁、鏡=智、劒=勇という配当が、ここでもう一度くり返される。神器章 その一の要(sk13)で示された配当を、小林はここで敷衍しなおしている。
注目したいのは「誠がなければ知も勇も何も存在する譯はない」という一言である。三徳を分けて説明しながらも、その根本には「誠」という一つのものがある、という考え方は、皇統章で繰り返し語られた「徳という条件」(主題①)を、神器そのものの構造として言い換えたものといえる。三徳はもとから別々の名を持っていたわけではなく、天照大神御一身のうちにあったものが、便宜的に三つに分けて語られている――そう捉えるのが素行・小林に共通する立場である。
神器章 二十二虚器 ── たゞ形だけのものであつて底本 三六一頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)
訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
「虚器」――卽ちたゞ形だけのものであつて、不思議な働きがこれに具はる譯はない。また心が大切であるから、若し寶があるといつて其の寶ばかりを恃んで、心の内を正すといふことがこれに伴はなければ、これは「虚器」と申されたやうでありまして、此の事に就いては尚ほ後の方に別に説明がしてありますが、兎に角此の寶を傳へられるといふことは、神の御心持を傳へられるのであります。斯ういふ御趣意であります。殊にまた三種の神器の中でも鏡といふものは、特別に大切なものと思召されたやうであります。此の事に就いては尚ほ後の方に別に説明がしてありますが、明治天皇の御製の中に、「治め來にけり日のもとつ國 神代よりうけし寶をまもりにて」といふ御製があります。卽ち明治天皇も神代よりお承けになつた三種の神器を守りとして、此の國をお治めになりましたと、斯う考へて宜しいのであります。明治天皇も無論さういふ御心持で、此の國の御身に御實行に相成つたものと、斯う考へて宜しいのであります。それで能く考へて見ると、御歴代の天皇は此の三種の神器に對して、要するに三つの德をスツカリ具へた神樣の御心持が現はれて居るのであるから、御自分はこれだけの勝れた德を具へなければならぬといふことをよくお考へになり、また其の御德を以て國をお治めになりましたから、國の政治といふものも立派に行屆いた譯であります。これは神代から傳はつた所の御敎へを、御歴代の天皇は此の三種の神器を守りとして此の國をお治めになつたと、斯ういふ御趣意であります。
解説
「虚器」――器だけがあって心が伴わなければ、それは空しい形にすぎない、という戒め。皇統章で繰り返し語られた「徳という条件」(kd139:「天下は神器にして人物の命なり」)と、まったく同じ論理がここで神器そのものについて語られている。【積極評価】神器を持つことそのものに力があるとする発想(転回の型3が陥りがちな「地位の絶対化」)を、この段はむしろ牽制している。
明治天皇御製「治め來にけり日のもとつ國 神代よりうけし寶をまもりにて」を引くのも、皇統の正統性を寶(神器)を戴くことにではなく、其れを守り、徳を体することに置く筋で一貫している。
神器章 二十三神器の尊き所以 ── 外朝の九鼎・玉璽(夏殷周秦)底本 三六二頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)
訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
國を治めるといふ其の事業の方に重きを置かなければ、これは「雕空」――空理空論を鬪はせるといふやうなことになつてしまふので、それでは神器を其のまゝ御受け繼ぎになつた甲斐はない譯であります。神器が尊いといふのは、御歴代の天皇が皆昔の神樣の御德を養ふといふことに御努力を遊ばされた、此の點が非常に尊いのでありまして、而も常に自ら省みて其の德を養ふといふことを、御歴代の天皇は皆遊ばされたのであります。尤も外朝卽ち支那でも、無論寶といふものがない譯ではない。夏の時代には鼎を九つ造つて、之を朝廷に置いて、此の鼎を殷の時代でも周の時代でも傳へて、國の寶としたといふことがあるのであります。併しながら夏でも殷でも、さう永くは榮えませんでした。また周も八百年と言つては居りますけれども、其の八百年の後半の四百年は、全く戰亂の状態で、謂はゆる春秋戰國の時代でありました。それから秦の時代には、玉璽といふ玉を刻んで國王の印としました。今でも國王たる者は、何かの大切なものには之を捺すのでありますが、秦は二代にして亡びたのであります。
解説
支那の宝物との比較(前半)。夏の九鼎、秦の玉璽――いずれも王朝の宝と定められながら、其の王朝自体は長くは続かなかった。夏・殷はさほど栄えず、周も八百年と言つても後半の四百年は春秋戦国の戦乱、秦は二代で亡びたと素行・小林は数え上げる。
【転回2に留意】自国(皇統)の側は理念(神器=徳の象徴として語られる)で語り、他国(支那)の側は実態(王朝が次々に交代した史実)で語るという、皇統章から繰り返し現れる型がここでも見られる。支那の宝物にも本来はそれぞれの由緒・意味があったはずだが、その内実にはほとんど触れられず、「永く榮えなかった」という結果のみが強調されている。
神器章 二十四神器の尊き所以(つづき)── 漢の高祖の劒、天下の三器底本 三六二〜三六三頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)
訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
また漢の時代には、一番初めに天下を統一した所の漢の高祖といふ人が、道を歩いて居た時に其の道に蛇が居つたので、其の蛇を、腰に佩びた所の劒を以て斬つて其處を進んだといふことが、天下を統一する徴しであつたと言ひます。これも寶と謂はれて居るけれども、其の時に高祖が腰に佩びて居つた所の劒を、寶として子孫に傳へました。けれども、漢もさう永くは榮えませんで、僅かに三百年ばかりで亡びてしまつて、また途中で復興しましたけれども、其の復興して後も久しからずしてまた衰へたのであります。それであるから、寶だけでは本當の國の護りにはならない。後の世になつては、天子が明堂といふ所に居つて、傳國の印を持つて、庭に九つの鼎を列ねるといふので、此の明堂と玉璽と九鼎との三つを「天下の三器」と言つてあるのでありますが、斯ういふ風に凡てが揃つて居るといふ譯には行かなかつたものであります。それであるから寶だけでは、天子に明德の重い者ばかりが出るわけではないのであります。革命が幾度も續いて行くのであります。
解説
支那の宝物との比較(後半)。漢の高祖の斬蛇劒も、明堂・玉璽・九鼎を合わせた「天下の三器」も、王朝の交代そのものを止めることはできなかった。素行・小林がここで言いたいのは、宝は徳の代わりにはならないという一点である。
この一連の比較(sk23・本節)は、皇統章の「姓を易ふること三十姓」(kd135)と同じ論点を、器の側から語り直したものといえる。
神器章 二十五天子様も「殿を同じくし床を共にす」底本 三六三頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)
訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
後の世になつては、天子が明堂といふ所に居つて、傳國の印を持つて、庭に九つの鼎を列ねるといふので、此の明堂と玉璽と九鼎との三つを「天下の三器」と言つてありますが、やはり何れの時代でも永く德のある天子のみが出るといふ譯には行かない。革命が幾度も續いて行くのであります。それですから支那でも、歷代の天子が寶としては皆立派なものを持つて居たけれども、我が國の三種の神器に比べれば、とても日を同じうして語ることは出來ない。我が國のは神器に神々の御德が含まれて居て、其の神器をお傳へになる所の歷代の天皇も、皆御德の勝れた方でいらせられるのでありますから、それで國は永く榮えて行くのでありまして、決して支那などと同等に考ふべきものではないのであります。それはたゞ先祖から子孫に傳はつた珍しい寶でありますが、大訓とかいふやうな劒を以て寶とした例もあるし、また弘璧、琬琰といふのは皆玉でありますけれども、我が國では天皇が御位にお卽きになる時には、必ず三種の神器をお傳へになるといふことだけで、三種の神器などと到底比ぶべきやうなものではない。天子樣も「殿を同じくし床を共にす」――之を始終お側にお置きになつて、此の三種の神器を始終御寵覽になるといふことになる。此の三種の神器といふものの中に、昔の神樣の御心持が籠もつて居るのであつて、此の天皇の御位が何千年も何萬年も永久にお卽きになるといふことの證しであるから、御歷代の天皇が皆昔の神樣の御心持を繼いでいらつしやるのであります。
解説
「殿を同じくし床を共にす」――同床共殿の語がここでも用いられる。次段以降で本格的に説かれる寶鏡の神勅(sk26)の言葉を、小林はここで先取りして用いている。
支那の「天下の三器」(明堂・玉璽・九鼎)と我が国の三種の神器とを並べて「日を同じうして語ることは出來ない」と言い切る所は、前二段(sk23・sk24)に続く比較の締めくくりにあたる。
神器章 二十六寶鏡の神勅 ── 吾を視るが猶くすべし底本 三六四〜三六五頁
原文
天照大神手持寶鏡、授天忍穂耳尊、而祝之曰、吾兒視此寶鏡、當猶視吾、可與同床共殿、以爲齋鏡、一書曰、日神入于天石窟之時、從思兼神之議、令石凝姥神造日像之鏡、初所鑄之鏡、少不合意、次所鑄之鏡、其狀美麗、是則伊勢崇祕之大神也、一書曰、乃令鏡作部之遠祖天糠戸者造鏡、日神方入石窟之時、戸鑰於今猶存、
訓読
天照大神手に寶鏡を持ちたまひて、天忍穂耳尊に授けて、これを祝ぎて曰はく、吾が兒この寶鏡を視ること、當に吾れを視るが猶くすべし。與に床を同じくし殿を共にして、以て齋鏡と爲すべしと。一書に曰く、日神天石窟に入りたまふの時、思兼神の議に從ひて、石凝姥神をして日像の鏡を造らしむ。初めに鑄るところの鏡は、少しく意に合はず。次に鑄るところの鏡は、その狀美麗なり。是れ則ち伊勢に崇祕むる大神なり。一書に曰く、乃ち鏡作部の遠祖天糠戸者をして鏡を造らしむ。日神方に石窟に入りたまふの時、その戸鑰今に猶ほ存す。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
天照大神が手に寶鏡をお持ちになつて、天忍穂耳尊にお授けになつて、これを祝つて仰せられますには、「吾が兒、此の寶鏡を視ることは、當に吾を視るがごとくすべし。與に床を同じくし殿を共にして、以て齋鏡と爲すべし」と。一書に曰く、日の神が天の石窟にお入りになつた時、思兼神の議に從つて、石凝姥神をして日の像の鏡を造らしめた。初めに鑄た所の鏡は、少し御意に合はなかつた。次に鑄た所の鏡は、其の形が美麗であつた。是れが卽ち伊勢に崇め祀る大神である。また一書に曰く、乃ち鏡作部の遠祖天糠戸者をして鏡を造らしめた。日の神がまさに石窟にお入りになつた時、其の戸のとざしが今も猶ほ殘つて居る。
解説
本章の中心となる神勅と、鏡の由来を伝える二つの一書。「吾を視るが猶くすべし」――鏡に映る姿を、天照大神御自身と同じものとして見よ、という一句が、神器章 その二の要になる。皇統章十一節で引かれた「同床共殿」の神勅(皇統章 その二)が、ここであらためて鏡そのものの由来と結び付けられている。
一書に見える「初めに鑄た所の鏡は、少し御意に合はなかつた」という細部を、素行はわざわざ残している。神代の事業も一度で成つたのではなく、試行を経て成つた、という認識がここにも見て取れる。
神器章 二十七謹按 ── 鏡は本明かにすべきの象あり底本 三六五〜三六六頁
原文
謹按、神代之靈器不一、而天祖唯以三種神寶稱天孫之表物、大神唯以寶鏡詳神勅、此之如也、蓋鏡者、本有可明之象、琢之磨之而不息、則日新而不暗、襲藏深祕而不顧、則日暗而不新、猶人君有可明之質、致之盡之而不止、則其知日新、高威遠下而不規、則其德不正、如之也、
訓読
謹みて按ずるに、神代の靈器は一ならずして、而も天祖は唯だ三種の神寶を以て天孫の表物と稱したまひ、大神は唯だ寶鏡を以て神勅を詳かにしたまふこと、此の如し。蓋し鏡は本明らかにすべきの象あり。これを琢しこれを磨して息まざるときは、日に新たにして暗からず。襲藏深祕して以て顧みざるときは、日に暗くして新たならず。猶ほ人君明らかにすべきの質ありて、これを致めこれを盡くして止まざればその知日に新たなり、威を高くし下に遠ざかりて以て規さざればその德正しからざるがごときなり。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
謹んで按じまするに、神代の靈器は一ならず、種々あるのでありますが、天祖は唯だ三種の神寶を以て天孫の御しるしとお稱へになり、大神は唯だ寶鏡を以て神勅を詳かにせられました、此の如くであります。蓋し鏡といふものには、本より明かにすべきの象がある。之を琢き之を磨いて息まざる時は、日に新たにして暗くならない。仕舞ひ込んで深く祕して顧みなければ、日に暗くなつて新たにならない。猶ほ人君に明かにすべきの質があつて、之を致め之を盡くして止まなければ、其の知は日に新たであり、威を高くして下と遠ざかつて正すことをしなければ、其の德が正しくないやうになる、丁度これと同じことであります。
解説
「鏡=磨くべきもの」という譬えが、そのまま君主論になる。磨かなければ曇る。仕舞ひ込んで顧みなければ曇る。ここで用いられているのは、『大學』の「苟に日に新たに、日々に新たに、又日に新たなり」(湯の盤の銘)と同じ発想である。
神器は飾つて安置して置くものではなく、日々磨かれることによつてのみ神器でありつづける――前段の「虚器」(sk22)と同じ主張が、鏡という具体的な物にたとえて、いつそう鮮やかに語られている。
神器章 二十八齋鏡の意義(一)── 「齋」の意味、明治天皇の御製底本 三六六〜三六七頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)
訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
天照大神が手に鏡をお持ちになつて、天忍穂耳尊にお授けになつて、此の鏡を「齋鏡と爲すべし」と仰せられてあります。「齋」といふのは、詰り心を淨らかにするといふ意味でありまして、此の鏡に姿を映して、さうして自ら反省して心を淨らかにして、心の曇らないやうにせよといふお敎へであります。無論御歷代の天皇は御德の勝れた方であらせられますから、過ちのおありにならぬ筈はありませぬけれども、併し善きが上にも善きことを望まれるといふ御心持から、常に自ら省みて御德をお磨きになつたものと思はれるのであります。明治天皇の御製の中にも、「くもりなく世をたもてとて千早ふる 神のさづけし鏡なるらむ」――斯ういふのがあります。卽ち此の鏡を見て心を磨いて、曇りなく世を保つて、此の國を本當によく治めよといふ御敎訓であるのであらう。それであるから、日夕此の鏡を見て自ら反省する方が、上にいらつしやる方も、これをお輔け申す所の臣下たる者も、やはり常にいらつしやるべきことを怠らない。斯ういふやうな思召であるのであらう。
解説
「齋」の意味――心を浄らかにするということ。鏡を「齋鏡」と呼ぶのは、単なる祭具の名ではなく、それを見る者が心を映して省みるという機能を織り込んだ命名である、と小林は説く。
明治天皇御製「くもりなく世をたもてとて千早ふる 神のさづけし鏡なるらむ」を引くのも、神器を戴く歴代の天皇が、その神勅どおりに日々みずからを省みてきた、という筋を裏付けるためである。
神器章 二十九齋鏡の意義(二)── 八咫鏡の由来をふたたび底本 三六七〜三六八頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)
訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
また或る言ひ傳への中には、日の神卽ち天照大神が天の石窟に入らしつて、世の中が眞つ暗になつて人民が皆方角を失ふやうであつた時に、思兼神といふ方の仰せに從つて石凝姥神に仰せられて、さうして日の形を象どつて鏡を造らせた。これが謂はゆる鏡といふものの初めであると謂はれて居ります。それで初めに鑄た所の鏡は少し滿足でなかつたから、これが伊勢の大神宮の御神體であると傳へられるのであります。次にモウ一度鏡を鑄た所が、今度は非常に美しく良く出來たので、それで詰り八咫の鏡といつて、八方に端が出て居るといふのは、日の光りが四方八方を照らす有樣を形に表はしたものであるといふやうに考へられて居るのであります。またモウ一つの傳説に言ふには、鏡作部といふ家の先祖である所の天糠戸命といふのが鏡を造つたので、それで天照大神に石窟から外に出て下さるやうにと願ふ意味で、持つて天の磐戸の戸を開けた。其の時に其の鏡が戸に當つて少し瑕が付いた。其の瑕は今も猶ほ消えないのであるといふやうに考へられて居るのであります。
解説
八咫鏡の由来をふたたび語り直す。石凝姥神の二度の鋳造、天糠戸命の一書は神器章 その一(sk12)でも触れたが、ここでは寶鏡の神勅(sk26)の文脈のなかで、あらためて詳しく語り直されている。
「初めに鑄た鏡は少し滿足でなかつた」という細部をくり返し残す点は、sk26の解説でも触れた「神代の事業も試行を経て成つた」という認識の反復である。
神器章 三十人君の道は、その知を明かにするに在り底本 三六九頁
原文
夫人君之道、要在明其知也、其知不明、則云寬仁、云果斷、共不中其節、知至而后云德、云勇、可以行之、自古稱人君以明暗、其寄重哉、大神手持寶鏡、別示神勅、以同床共殿、是乃日新日彊、以無息之實也、治教之義、大哉、
訓読
夫れ人君の道は、要はその知を明らかにするに在り。その知明らかならざれば、寬仁と云ひ果斷と云ひ、共にその節に中らず。知至りて而して后德と云ひ勇と云ひ、以てこれを行ふべし。古より人君を稱するに明暗を以てすること、その寄せ重き哉。大神手に寶鏡を持ちて、別に神勅を示し、床を同じくし殿を共にすることを以てす。是れ乃ち日に新たに日に彊めて以て息むことなきの實なり。治敎の義、大なる哉。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
夫れ人君の道は、要するに其の知を明かにするに在るのであります。其の知が明かでなければ、寬仁と云ひ果斷と云つても、共に其の節に中たらない。知が至つて後に、德と云ひ勇と云つて、之を行ふことが出來るのであります。昔から人君を稱するのに、明君・暗君と明暗を以てすることは、其の寄せる所が重いのであります。大神が手に寶鏡をお持ちになつて、別に神勅をお示しになり、床を同じくし殿を共にすることを以てせられました。是れ卽ち日に新たに日に努めて、息むことのない實を示されたのであります。治敎の義、大なるかなであります。
解説
三徳のうち「知」を最初に置く。神器章 その一(sk13)で玉=仁、鏡=智、劒=勇と配当したうえで、素行はここで「人君の道は、要するに其の知を明かにするに在り」と言い切る。知が明らかでなければ、寛仁も果断も度を失う――だから神勅は鏡についてだけ、特に詳しく述べられているのだ、という論の運びである。
君主を「明君」「暗君」と呼び分けてきた歴史の言葉づかいに、素行はその根拠を見ている。
神器章 三十一二神既に白銅鏡を以てす底本 三七〇頁
原文
凡二神既以白銅鏡、大神鎭坐伊勢、而鏡劒亦從、乾靈大神之神慮、唯在寶鏡而已、非鏡劒之類也、故代代聖主、旦暮敬拜所奉事、是乃因神勅也、
訓読
凡そ二神既に白銅鏡を以てし、大神伊勢に鎭坐したまふにも鏡劒亦從ふ。乾靈大神の神慮は、唯だ寶鏡のみにありて、鏡劒の類にあらず。故に代代の聖主は旦暮敬拜する所を事とせられたまふ。是れ乃ち神勅に因りてなり。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
凡そ二神は既に白銅の鏡を以てせられ、大神が伊勢に鎭坐せられるにも、鏡と劒とが亦從つて居ります。乾靈大神――卽ち天照大神の御心持は、唯だ寶鏡にのみあつて、鏡や劒といふ物一般にあるのではない。故に代々の聖なる天皇は、朝な夕なに敬ひ拜することを事とせられて居ります。是れ卽ち神勅に因るのであります。人民は此の鏡をお造りになつた由來を賴りにして居りますが、御歷代の天皇が此の鏡をお用ひになるのは、單に物としての鏡を有つて居られるからではない。其の智慧を磨くといふことを片時も怠らずにいらつしやればこそ、其の御位が重いのでありまして、若し之を怠つて、獨り地位の高いことを誇るやうなことがあれば、其の德は正しくなくなる。それであるから人君たる者の道は、要するに知を明かにするといふことが根本でありまして、これは前に申しました通りであります。此の三種の神器の中で、殊に鏡が中心とならるゝ所以は、乾靈大神の御心持が此の一事に籠もつて居るからであります。
解説
「器物としての鏡」と「神勅の託された寶鏡」とを区別する一節。同じ形をしていても、そこに神勅が結ばれているかどうかで意味が違う――これは前段の「虚器」(sk22)の裏返しである。そして「旦暮敬拜する」という日々の行為に落とし込まれる。神器の議論が、最終的に毎日の所作に着地しているのが素行らしいところであり、小林はここでもう一度「智慧を磨かなければ曇る」(sk27)という比喩を重ねて敷衍している。
次冊(神器章 その三)では、崇神天皇の御代に神器が宮中を離れる経緯――同床共殿の原点から、鏡と剣とが伊勢・熱田へと遷ってゆく史実的な段に入る。