神教章 一神教章の趣旨 ── 日本固有の教と支那の教底本 下巻 三頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)
訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
此より讀みますのは「神教章」といふのでありますが、これは神代に行はれたことが、今日の日本國民の教への根柢となつて居るといふことを明かにするのが趣意であります。支那から儒教等が入つて居て、それが人間の道を學ぶといふことを教へる上に大きな役に立つて居るのであります。併し日本には日本としての本來の教へといふものが本であつて、此の日本の教へを補ふ爲めに支那の聖賢の道を學ぶのだといふことを忘れてはならない、といふのが素行の元來の主張であります。無論人間の本性といふものは何處に居つても變る筈はないのでありますが、國民性といふものは各々異つて來るもので、日本の國體に合はないものを日本に移せば却つて害になるといふこともあるのであります。それですから國の教へといふものを完全なものにするといふ以上は、日本の國體を根本として、其の根本に合はないものを闇雲に用ひるといふ譯には行かないのであります。今日は非常な勢ひを以て世界の果てまでも國威を輝かして居るのでありますけれども、今後もこの點に於て深く意を用ひなければならないと思はれるのであります。
解説
神教章の開巻第一段。皇統章・神器章と続いた上巻に対して、下巻の冒頭で小林はまず「なぜこの章が要るのか」を説く。日本固有の教えを補うために支那の聖賢の教えを学ぶ、という関係づけは、天先章・中國章で繰り返し語られた「本」と「補ふもの」の区別(皇統章 その一 kd01 参照)をそのまま踏襲している。
この段は原文に対応する漢文を持たない、小林独自の敷衍である。以下、神教章の本論は伊弉諾尊・伊弉冊尊の国初の記事から始まる。
神教章 二國初における夫婦の別 ── 陰神先づ唱へて、事既に不祥なり底本 下巻 四頁
原文
伊弉諾尊伊弉冊尊。以磤馭盧島爲國中之柱。而陽神左旋。陰神右旋。分巡國柱。於是二神却相遇。時陰神先唱曰。憙哉遇可美少男焉。──少男。此云烏等古。──而陽神不悦曰。吾是男子。理當先唱。如何婦人反先言乎。事既不祥。宜以改旋。
訓読
伊弉諾尊・伊弉冊尊、磤馭盧島を以て國中の柱と爲す。陽神は左より旋り、陰神は右より旋る。國の柱を分かち巡りて、是に於いて二神却つて相遇ふ。時に陰神先づ唱へて曰はく、憙哉可美少男に遇ひぬと。──少男。此れを烏等古と云ふ。──而して陽神悦びずして曰はく、吾れは是れ男子なり。理當に先づ唱ふべし。如何ぞ婦人反りて先に言ふや。事既に不祥なり。宜しく以て改めて旋るべしと。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
國の初めに於て伊弉諾、伊弉冊の二方の神様が居らしつて、此の二柱の神様が夫婦の別といふものを明かに表はして居ると考へられるのであります。此のお二方の神様は磤馭盧島といふ所を國の中央とお定めになつて、此の中央の土地に於て夫婦の約束をされたのであります。男の神様は左から廻つて、女の神様は右から廻つて、さうして同じ所で出遇はれて、いよいよ夫婦の約束をされるといふことになつて、此の言葉をお聞きになつて伊弉諾尊が甚だ不滿足に思はれて、さうして仰せられるには、自分の方から先づ聲を掛けて行くべきものであるといふことになりました。此の「可美少男」といふのは勝れた男といふ意味で、非常に勝れた頼もしい男の方にお遇ひになつて、さうしてお目出たいことでありますと申された。それに對して伊弉諾尊の方から先づ聲を掛けて、お互ひに縁を結ぶといふことになる譯であります。人間の凡ての關係といふものが、夫婦といふものの順序が正しく立つのであります。それであるから人間の道といふものは夫婦といふものが本になつて、其の家が成り立つて、其の家が本になつて國も出來ます。
解説
天先章でも引かれた場面が、ここでは違う角度から読み直される。天先章では夫婦の礼の始まりとして読まれたが(天先章)、神教章ではこの一段が「教え・学ぶこと」の原型として読み直される。陰神が先に唱えたために「事既に不祥なり」と改めてめぐりなおされる――誤りを指摘し、改めさせるという一連の動きそのものが、教育の原型なのだという。
同じ史料を章の主題に応じて読み分けるのは、中國章・皇統章でも見た素行の一貫した手つきである。全集版の対応節はsg01。
神教章 三夫婦の道 ── 男女の働きの順序底本 下巻 五頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)
訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
此の言葉をお聞きになつて伊弉諾尊が甚だ不滿足に思はれて、其の時に伊弉冊尊の方から先づ聲を掛けて、さうして同じ所で出遇はれたといふことでありました。男の神様は左から廻り、女の神様は右から廻つて、さうして同じ所で出遇はれて、いよいよ夫婦の約束をされるに當つては、男といふものは女を導いて行くべきものであるといふ意味で、女といふものは男を助けて行くのが常然であります。改めて自分の方から聲を掛けて、それであるから今此處で夫婦の約束をするに當つては、男たる自分の方から先づ聲を掛けて、それから女たる者がこれに應ずるといふのが當然の順序である。然るにあなたは女でありながら男を助けて行くべきものであつて、といふことを、供が生れても、其の子供を滿足に育てるといふことも出來ないのであらうといふ風に間違つて居つたのでは、承知したといふ事をしなければならない。改めて自分の方から聲を掛けて、斯う言はれたので、伊弉冊尊も成るほど御尤もであると應じられて、これから子供が生れても、其の子供を滿足に育てるといふことも出來ないであらうし、萬事が甞道に間違つて居つたのでは、これはやり直さなければならない。此の關係に於て變りはないのであります。然るに今の一柱の神の約束をされる場合に、伊弉諾尊が其の順序を正さなければならぬといふことが行はれて居るのであります。
解説
男女の働きの順序を説く一段。「男といふものは女を導いて行くべきもの」「女といふものは男を助けて行くのが常然」という配当は、素戔嗚尊・蛭兒命の記事(kg08・kg10)でも繰り返される、神教章前半を貫く枠組みである。
当時の男女観がそのまま現れている箇所であり、現代の読者は時代の産物として距離を置いて読む必要がある。ここで重要なのは、順序そのものよりも「誤りに気づいたら改める」という往復の型が示されていることである。
神教章 四謹按 ── 是れ天神教學の義なり底本 下巻 六頁
原文
謹按。是天神教學之義也。陰陽唱和之道。天地至誠之實也。凡天有中道。是爲天之經。日左旋於此。月右旋於此。是陰陽之道也。陰神先唱。陽神以教之。一月。月不及日。常十有二度有奇。而日月相會。以爲一年。陰陽和過。其教學之義甚明矣。
訓読
謹みて按ずるに、是れ天神教學の義なり。陰陽唱和の道、天地至誠の實なり。凡そ天に中道あり、是れを天の經と爲す。日は此に左に旋り、月は此に右に旋る、是れ陰陽の道なり。陰神先づ唱へ、陽神以てこれに教ふ。一月、月は日に及ばず、常に十有二度有奇。而して日月相會して、以て一年と爲す。陰陽和過して、その教學の義甚だ明らかなり。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
謹んで按じまするに、これが天神に於ける教へ學ぶといふことの意義であります。陰陽が唱和する道、天地の至誠の實であります。凡そ天には中道といふものがあつて、これを天の經――即ち天の常なる筋道とするのであります。日は此処で左に旋り、月は此処で右に旋る、是れが陰陽の道であります。陰神が先づ唱へて、陽神がこれに教へる。一月の間、月は日に及ばないことが常に十二度あまりある。さうして日月が相會して、以て一年とするのであります。陰陽が過ちを改めて和する、其の教學の意義は誠に明かであります。人間の教への根本も、此の日月の運行と同じ理を持つて居ります。過ちを指摘し、これを改めるといふ往復の中に、教學といふものの本當の姿があるのであります。
解説
日月の運行を持ち出して、二神の左旋・右旋がでたらめな作り話ではないと説く一段。「陰神先づ唱へ、陽神以てこれに教ふ」――誤り・教え・改めるという三拍子を、素行は天体の運行そのものに対応させて説明する。
教育とは正しさを一方的に授けることではなく、誤りが起きたときにそれを正す往復である、という理解がここにある。全集版の対応節はsg02。
神教章 五人倫の大綱は端を夫婦に造る底本 下巻 六〜七頁
原文
天地之間。不外於陰陽。人倫之大綱。造端於夫婦。陰陽和而萬物育。夫婦別而五典秩。萬化之本。一原諸之。陽德陰靜配乎地。而後神子生。可以主宇宙。可以承宗廟。夫二神正此。合乎天。
訓読
天地の間、陰陽に外ならず。人倫の大綱、端を夫婦に造す。陰陽和して萬物育ち、夫婦別ありて五典秩ふ。萬化の本、一にこれを原づく。陽德陰靜、地に配して、而して後神子生れ、以て宇宙を主るべく、以て宗廟を承くべし。夫れ二神此を正して、天に合す。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
天地の間は、陰陽の外に出るものではありません。人倫の大綱――人の道の大きな筋道は、其の端を夫婦に發するのであります。陰陽が和して萬物が育ち、夫婦に別があつて五典(父子・君臣・夫婦・長幼・朋友の五つの道)が整ふ。萬事の變化の本は、ひとへに此処に發するのであります。陽の德と陰の靜けさとが地に配して、その後に神の子が生れ、以て宇宙を主どり、以て宗廟を承け繼ぐことができる。夫れ二神は此の禮を正して、天の道理に合はせられたのであります。人間の凡ての關係といふものが、夫婦といふものを本として成り立つて居るといふことが、此の一節でよく解るのであります。
解説
「人倫の大綱は端を夫婦に造る」――『中庸』第十二章の言葉に依る一節。「君子の道は端を夫婦に造す。其の至れるに及びては、天地に察かなり」(『中庸』)を踏まえ、夫婦から始まり、五典が整い、宗廟の継承にまで至る筋道が描かれる。
次段(kg06)ではこの理想がそのまま続かず、後世には外戚専横という現実が突きつけられる。理想を述べて終わらないのが素行の一貫した姿勢である。全集版の対応節はsg03。
神教章 六外家擅權・宮闈預政の戒め底本 下巻 七頁
原文
外家擅權。正始之道。王化之基。所繋大哉。禮。教示萬福之原。猶失選立之道。蕩狹媚之寵。失適媵之辨。而宮闈預政。
訓読
外家權を擅にす。正始の道、王化の基、繋る所大なる哉。禮、萬福の原を教示すれども、猶ほ選立の道を失ひ、狹媚の寵を蕩にし、適媵の辨を失ひて、宮闈政に預る。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
外戚が權力を欲しいままにするといふことがあります。始めを正す道こそ、王の徳化の基でありまして、其の繋る所は誠に大きいのであります。禮といふものは萬福の原を教へ示すものでありますけれども、それでもなほ後世には跡繼ぎを選び立てる道を失ひ、寵愛する者ばかりを欲しいままにして、正妻と側室との分別を失ひ、奧向きの者が政治に口を出すといふことが起るのであります。二神が此の禮を正して、萬邦の始めをお示しになつたにも拘らず、後の世にはかういふ弊害が起るのであつて、教への示されて居ることと、それが實際に守られることとは別だといふことを、此処でよく考へて頂きたいのであります。
解説
「教が示されていることと、それが守られることは別」という厳しさ。夫婦の礼の理想(kg05)を説いた直後に、外戚専横・奥向きの政治介入という現実を突きつける構成は、本書に一貫する手法である。
次段以降(kg08)で素戔嗚尊が「不可以君臨宇宙」の九字によって逐われる場面につながる、後継者選定という主題の伏線がここに置かれている。
神教章 七人倫の基礎 ── 夫婦・親子の道底本 下巻 八頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)
訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
いふことの現はれた結果なのであります。それで天には天として定まつた道がある。これを支那の聖人も「天の經」と申して居ります。これが即ち一月であります。それで二十九日と尚ほ餘つた時間がこれに加はつて、三十日の月と二十九日の月とあるのであります。日と月との關係から一年と相成るのでありますが、日の光りが根本であつて、月はこれに作るものでありますから、月は日に及ばないといふやうな關係も出來て來るのであります。斯ういふやうな關係も出來て來るのでありますが、それであるから昔の陰暦に依りますと、三十日の月と二十九日の月とあるのであります。さうして其の餘つた時間を集めて閏といふものを立てるのであります。斯ういふ天地間の凡てのことに於ても、日と月との闕係から始まるのであります。人倫の基礎がこれと同じであると思はれて、これが人間の教への根本になつて居るのであります。夫婦の間に子供が生れて、そこで親子といふ別が立ち、それから夫婦の關係に外ならぬのであると思はれて、それで初めて正しき夫婦の道といふものが始まつたのであります。
解説
天の経(日月の運行)から夫婦・親子の道へと展開する一段。前段(kg04)の日月の運行の理を踏まえ、ここでは人倫の基礎――夫婦から親子へと関係が広がってゆく筋道が語られる。
「人倫の基礎」という見出しは、まさにkg05の「人倫の大綱は端を夫婦に造る」と呼応しており、神教章前半の主題が繰り返し確認される構成になっている。
神教章 八政治の亂るる端 ── 外戚・宮闈の弊害底本 下巻 九〜十頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)
訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
人間の間にいろ〳〵な弊害が起つて、妻を選ぶといふ場合に於ても其の道を失うて、人物本位にしないで、男が自分の好きな者を選んで妻にするといふ場合に於ても、正當の妻たる者と、其の氣に入つた者を寵愛して、却つて心の正しい者を排斥するといふやうなことも出來て來る。それからまた奥向きに居る所の婦人の勢力がだん〳〵強くなつて來ると、宮闈といふのは奥向きのことでありますが、斯ういふ風に婦人の勢力が政治上のことに口を出すやうになり、いろ〳〵な事實も世の中には隨分あります。此の國に於て斯ういふ風に婦人の勢力がだん〳〵強くなつて來ると、また奥向きに取入つて、いろ〳〵な奥向きの婦人の親が國の大切な事を頼み込むといふやうなことも出來て來ることを頼み込むといふやうなことも出來て來る。それからまた「外家」といふのは外戚のことでありますが、其の婦人が政治上の權力を撓まにして、正しい人をも排斥するといふ所から起つて來る弊害なのであります。要するにこれは何處の國にもある弊害でありますが、日本に於ては國の初めから男が先んじて女はこれを助くべきものなのであります。若し此の區別が立たなければ、善い政治は行はれない。國民を指導すべき地位に居る者は、殊更に深く意を用ひなければならないのであつて、若し此の點に於て考慮して、其の根本を養して行くといふことが最も肝要なのであります。且つ周到であるといふことを證すべき事實であります。これを以て始めとして、二千年、三千年の後までもズツト斯ういふ式をお擧げになることの深くして、後世の爲めをお圖りになつて、國家の爲めに大いに祝ふべきことであります。
解説
外戚・宮闈の弊害を、より具体的な人間関係として敷衍する一段。妻を選ぶ際に「人物本位」を失うこと、奥向きの婦人の勢力が政治に容喙すること、外戚が権力を恣にすることを、小林は一続きの弊害として語る。
「日本に於ては國の初めから男が先んじて女はこれを助くべきものなのである」という言い方は、kg03の男女の順序論をそのまま政治論に敷衍したものであり、当時の価値観がそのまま現れている箇所として、読者は時代の産物と距離を置いて読む必要がある。
神教章 九父母の嚴戒 ── 二神、素戔嗚尊を逐ふ底本 下巻 十一頁
原文
二神勅素戔嗚尊曰。汝甚無道。不可以君臨宇宙。固當遠適之於根國矣。遂逐之。
訓読
二神素戔嗚尊に勅して曰はく、汝甚だ無道なり。以て宇宙に君臨すべからず。固に當に遠く之を根國に適かしむべしと。遂にこれを逐ひたまふ。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
これが大體神代の教へが人間の教への根本となるといふ大切なる點であります。二神が素戔嗚尊に勅して仰せられますには、「汝は甚だ無道である。以て宇宙に君臨させることは出來ない。固より遠く根國に赴かせるべきである」と。さうして遂にこれを逐はれたのであります。次には夫婦の仲から生れた子に對して、親たる者が嚴しい教へを與へなければならないといふことを示されて居るのであります。此の伊弉諾、伊弉冊が素戔嗚尊に向つて仰せられるには、御自分の子さまに對して、お前が正しい道を守つて居るならば、たとひ上に姉があつても、男であるから遠く外の國へ行つたが宜しからう。斯う仰せ――一體男といふ者であるから、遠く外の國へ行つたが宜しからうといふ譯であります。
解説
「不可以君臨宇宙」の九字――血筋があっても無道なら君臨させないという原則。素戔嗚尊は伊弉諾尊・伊弉冊尊の子でありながら、無道を理由に逐われる。kg06で語られた「選立の道」を失うことへの戒めが、ここでは実際の神代の記事として示される。
皇統章で「その知德、天地に愧ぢずして、而して後に神器の與授と謂ふべし」(皇統章 その一)と述べられたのと、まったく同じ論理がここにある。全集版の対応節はsg04。
神教章 十一書 ── 蛭兒命の由来底本 下巻 十二〜十三頁
原文
一書曰。日月既生。次生蛭兒。此兒年滿三歳。脚尚不立。初二神巡柱之時。陰神先發喜言。既違陰陽之理。所以今生蛭兒。
訓読
一書に曰く、日月既に生れまして、次に蛭兒を生みたまふ。此の兒年三歳に滿ちぬれども、脚尚ほ立たず。初め二神柱を巡りたまふの時、陰神先づ喜ぶ言を發く。既に陰陽の理に違ふ。所以に今蛭兒を生む。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
一書に曰く、日と月とがお生れになつたが、此の蛭兒といふ方は遠ざけられたといふのであります。何故さういふ役に立たないお子さまが生れになつたのであるかと言ふと、一番初めに伊弉諾、伊弉冊が夫婦の約束をされた時に、婦人の方の神である伊弉冊尊が聲を掛けられた。これは陰陽の道に違つたことが後に傳へられて居るのであります。斯ういふ風に傳へられて居るのでありますが、此の兒は年三歳になつても脚が立たなかつた。生れるといふことにもなつて居る。何にも角にも初めに斯ういふ過ちがあつたものであるから、婦人の方の神である伊弉冊尊が聲を掛けられて改められたのではあるけれども、兎に角一度過ちがあれば、其の過ちといふものは何等かの悪い結果を生ずることとを考へなければならないのであります。それでありますからチヨツト一言出すのでも、よく考へてからやらなければならぬのでありますから、ウツカリ何事でもやると、其の小さいやうに見える過ちが大きな悪い結果を生ずることになる。またウツカリ何事でもやると、其の過ちが必ず何かの間違ひの因になる。
解説
蛭兒命の一書。誤りの結果は後から出る、という教訓。始めの一歩を誤ると、結果は後から出る――kg09で素戔嗚尊が逐われたのと並んで、蛭兒命が脚立たずして遠ざけられたことも、二神が国の柱をめぐった際の最初の過ち(陰神が先に唱えたこと)に原因を求められている。
次段(kg11)では、この一書が「天神胎教之戒」――子が生まれる前の親のありようそのものが子への教えになる、という考え方として読み直される。全集版の対応節はsg04。
神教章 十一謹按 ── 建立諭教の義、「不可以君臨宇宙」の九字底本 下巻 十三〜十四頁
原文
謹按。二神嚴建立之謀。正諭教之法如此。無道不可以君臨宇宙九字。萬世建太子之教戒也。宇宙之洪。人物之衆。人君不正。則政禮不中。政禮不中。則人民無所措手足。人君不由此道御宇宙。所以重宗廟社稷。天下之大義也。唯思子孫愛寵。而忘天下。謀天下大義。而失教諭。外朝聖賢世子建諭之原。後世所由行之也。千差萬別。亦在有道與無道而已。以生蛭兒。是天神胎教之戒乎。以此戒之。噫二神之一言。至矣。是乃聖神教學之寶。逞廢奪之用。猶有失嫡庶之分之私。以上建立諭教之義。
訓読
謹みて按ずるに、二神建立の謀を嚴にし、諭教の法を正すこと此の如し。無道にして以て宇宙に君臨すべからずの九字は、萬世太子を建つるの教戒なり。宇宙の洪いなる、人物の衆き、人君正しからざれば、則ち政禮中らず。政禮中らざれば、則ち人民手足を措く所なし。人君此の道に由らずして宇宙を御す。宗廟社稷を重んずる所以、天下の大義なり。唯だ子孫の愛寵を思ひて天下を忘れ、天下の大義を謀りて教諭を失ふ。外朝聖賢世子建諭の原、後世由りて行ふ所なり。千差萬別、亦道有ると道無きとに在るのみ。以て蛭兒を生む、是れ天神胎教の戒か。此を以てこれを戒む。噫二神の一言、至れり。是れ乃ち聖神教學の寶、廢奪の用を逞しくして、猶ほ嫡庶の分を失ふの私有り。以上建立諭教の義。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
謹んで按じまするに、二神が教學を建立する謀を嚴にし、諭し教へる法を正されたことは、此の通りであります。「無道にして以て宇宙に君臨すべからず」といふ此の九字は、萬世にわたつて太子を建てるにあたつての教へと戒めであります。宇宙は廣大で、人も物も數多い。君主が正しくなければ、政も禮も的を外れる。政禮が的を外れれば、人民は手足の置き場もなくなる。人君が此の道に由らずして宇宙を治めるならば、宗廟・社稷を重んずる所以を失ふ、これは天下の大義であります。唯だ子孫への愛寵ばかりを思うて天下を忘れ、天下の大義をはかりながら教へ諭すことを失ふ者もある。外朝の聖賢が世繼ぎを立て諭してきたその始めも千差萬別でありますが、これもまた道があるか無いかの違ひに歸するのみであります。蛭兒をお生みになつたのも、これは天神の胎教の戒めではないでせうか。此れを以て後の世を戒められたのであります。ああ、二神の此の一言は、誠に至れるものであります。是れこそ聖なる神の教學の寶でありまして、廢し奪ふといふ私を逞しくして、なほ嫡と庶との分を失ふといふ過ちを犯す者もある。以上、太子を建て、これを教へ諭すことの意義について申し上げました。
解説
神教章前半の総括。「不可以君臨宇宙」の九字が背骨である。素行はこの九字を、後継者を立てるときの基準として読む。血筋があっても無道なら君臨させない――二神はそう判断した。
「天下を私物にしない」という一貫した主張。「唯だ子孫への愛寵ばかりを思うて天下を忘れ」という戒めは、皇統章で繰り返された「天下は神器にして人物の命なり」(kd139)と同じ精神である。末尾の「胎教の戒」――教育は生まれてから始まるのではなく、生まれる前の親のありようから始まる、という理解も見逃せない。全集版の対応節はsg05・sg06。次冊(神教章 その二)では天安河邊の議、天石窟の一段に入る。