神教章 六十二或は疑ふ ── 中朝は書史に乏しく學校進士の設無し底本 下巻 七十三頁
原文
或疑。中朝乏書史。久絶學校進士之設。故人才未得成乎。愚謂。神聖者見而知之。後世聞而知之。恐其差謬。記錄相續。其筆削非聖人。未免臆說。編簡日盛。人以書爲學。聖教漸隱。日用大晦。異其端。堅其白。而彫空虚。刻氷水。況學校進士之設。不得其實。則競詐偽。趨利勢而已。夫以博識。則盡華夷之書。未爲多。能通其道。則一言不可以爲少。況史編之不闕乎。
訓読
或は疑ふ、中朝書史に乏しく、久しく學校進士の設けを絶つ。故に人才未だ成るを得ずと。愚謂へらく、神聖は見て之を知りたまひ、後世は聞いて之を知る。其の差謬を恐れて記錄相續く。其の筆削は聖人に非ざれば、未だ臆說を免れず。編簡日に盛に、人書を以て學と爲し、聖教漸く隱れ、日用大いに晦し。其の端を異にし、其の白を堅うして、而して空虚を彫り、氷水を刻す。況んや學校進士の設け其の實を得ざれば、則ち詐偽を競ひ利勢に趨るのみ。夫れ博識を以てすれば、則ち華夷の書を盡すも未だ多しと爲さず。能く其の道に通ずれば、則ち一言以て少しと爲すべからず。況んや史編の闕けざるをや。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
あるいは疑ふ人があるだらう。中朝(日本)には書物や歴史記録が乏しく、久しく學校や進士(官吏登用試験)の制度を絶やしてきた。それゆゑ人才が育たなかつたのではないか、と。私はかう考へる。神聖な方は見ただけで之を知りたまひ、後の世の人は聞いて之を知る。其の誤り違へることを恐れて、記録が次々と作られる。しかし其の記録を取捨する筆削は、聖人でなければ、憶測を免れない。書物が日に日に盛んになり、人々は書物によつて學ぶことを學問だと考へるやうになつて、聖なる教へは次第に隱れ、日々の實用は大いに暗くなつた。其の論の糸口を異にし、其の主張を堅く言ひ張つて、空虚なことを彫り、氷や水に彫刻するやうな無駄なことをする。まして學校や進士の制度があつても、其の實を得なければ、詐り僞りを競ひ、利益や権勢に走るだけのことである。そもそも博識であるからといつて、支那と外國の書物を讀み盡くしても、それだけでは多いとは言へない。よく其の道に通じてゐれば、たとひ一言であつても少ないとは言へない。まして歴史の記録が闕けてゐないことなど、なほさらのことである。
解説
神教章の掉尾、そして神教章そのものの真の完結節。前冊(kg58)の謹按は山鹿素行全集版の謹按としては最後の番号(sg25)にあたるが、小林本にはこの後、全集版に一切対応箇所を持たない謹按がなほ続く。「或疑」で提出される疑ひ──支那に比べ日本は書物・學校・進士の制度に乏しく人才が育たぬのではないか──に対し、素行は「神聖者見而知之。後世聞而知之。」(聖人は見て知り、後世は聞いて知る)と応じ、書物の量そのものより、記録の吟味(筆削)と、其の道への通暁こそが肝要だと説く。「彫空虚。刻氷水。」の譬へは、実用に立たない空論への戒めであり、この後kg64の「堅白同異の辯」へと敷衍される。
神教章 六十三聖人は一見して之を知る ── 記録の吟味と『春秋』の筆削底本 下巻 七十三〜七十五頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)
訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
此の一節に対して、また或る人が説をなして言ふには、我が國では支那とは異つて書物が乏しいから、學者といふ者もさう多くはならないのであらう、と。これに対して素行が答へて申しますには、さう一概に書物を澤山讀まなければ勝れた者になれないと心得るのは、甚だしい間違ひである。聖人といふやうな方は、チョット物を一目見ただけで、其の本當の性質が解るのであつて、必ずしも本を讀まないでも、人間としての正しい道を一々明かにして居られるのである。また普通の人間は勿論さうは行かないけれども、昔からの事をいろゝ憶えて、其の道を心得て居れば、必ずしも書物などを澤山讀まないでも、確かに人間の道を辨へることも出來る。たゞ、世の中に語り傳へて居る事にも聞き違ひが多くあるから、そこで記録といふものが必要になる。しかし其の記録に留めて置いたものが、必ずしも皆正確とは謂へないのであるから、そこをよく調べて、其の間違つたことは削つて、正しい事だけを後に遺さなければならない。これが『筆削』といふことであつて、此の筆削をするといふことは、聖人といふやうな非常に勝れた人でなければ出來ない。自分の考へを勝手に交へると、正すつもりで却つて事實を誤ることもある。それであるから、昔の魯の國の記録に孔子が筆を入れて『春秋』として後世に遺したといふことは、聖人であつて初めて出來ることなのである。
解説
前段(kg62)の謹按「愚謂。神聖者見而知之。後世聞而知之。」を、小林が「或る人の疑ひ」と素行の答へといふ問答の形で具体的に敷衍する一段。聖人は一見して物の本質を掴む(見て知る)のに対し、凡人は記録に頼らざるを得ない(聞いて知る)──この対比から、記録そのものの信頼性を吟味し取捨する「筆削」の難しさへと話が進む。孔子が魯の史記に筆を加へて『春秋』を編んだ故事は、筆削が聖人にのみ許される至難の業であることを示す例として引かれる。
神教章 六十四空論の害 ── 堅白同異の辯底本 下巻 七十五〜七十六頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)
訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
それなのに後の世になると、だんゝ書物が多くなつて、學問をするといへば書物を讀むことだといふやうになつてしまつた。澤山の本を讀んで澤山の事を知りさへすれば、其の知識に統一がなくても、あれは學者だと言つて尊敬されるやうになつたために、徒らに多く讀むことばかりが主になつて、自分のものになるといふまでには至らない。それで『其の端を異にし』──皆其の説が區々になつて、何か人と異つたことを言へば世の中の人もこれを珍しく思うて、あれは學者だとか物識りだとか言つて尊敬するやうになつた。また『白を堅うする』といふのは、支那の昔の言葉に『堅白同異の辯』といふのがあつて、白い馬といふのは馬の全體ではない、堅い石といふのも石の全體ではないといふやうな議論が、いはゆる戰國の時代に行はれて、たゞ細かい問題を持つて來て議論をするだけで、それが實際の役に立つか立たないかをまるで考へないやうになつた。學者の議論は如何にも巧みであるけれども、少しも實用にはならない。空虚な所を小刀のやうなもので彫つても、彫つたといふことは後には殘らない。氷を鑿で削つても、削つた氷は解けてしまつて何の役にも立たない。學者の議論もそれと同じで、いろゝ議論はして居ても、人間を幸福にし國を盛んにする爲には少しも役に立たなくなつてしまつた。
解説
前段(kg62)の謹按「異其端。堅其白。而彫空虚。刻氷水。」を、支那の名家の詭辯「堅白同異の辯」(白馬非馬論の類)を例に具体的に敷衍する一段。知識の量が學問の目的にすり替はり、珍しさ・奇抜さで人に認められることが目的化すると、實用に立たない空論に陥る──「彫空虚。刻氷水。」(空しい所を彫り、氷や水に彫刻する)の譬へがここで具体化される。次段(kg65)の進士試験批判へと続く、學問の目的そのものを問ふ一段である。
神教章 六十五偽學の害 ── 進士の試験制度の弊底本 下巻 七十六〜七十七頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)
訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
かういふ弊害を避けることが必要だと見るべきである。また學校を造つて人才を養ふとか、進士の制度を設けて試驗に依つて人を擧げるとかいふことを、支那ではずゐぶん行つて居るけれども、其の仕方が一つ間違つて來ると『詐偽を競ふ』ものが多くなる。人の知らないやうなことを澤山列べて、人を驚かして自分の博學を認めさせようとすることばかりが主になり、人に認められさへすればよいと考へる者が多くなると、學問といふものは利益を得るために使はれて、自分が出世して相當の地位や待遇が得られることを主として學問をすることになる。これが試驗制度といふものの弊害であつて、決してそんなことを羨んで見習ふには及ばない。若し澤山の物を識ることがよいのであれば、支那の書物のほかにも澤山あるし、支那以外の國にも書物があるから、一々之を讀まなければならないことになる。しかし、あらゆる國の書物を讀み盡くしたところで、それで足れりとすることも出來ないのである。
解説
前段(kg62)の謹按「況學校進士之設。不得其實。則競詐偽。趨利勢而已。」を、支那の進士(科挙)試験制度を例に具体的に敷衍する一段。制度そのものは有用でも、其の實(学問の本質)を伴はなければ、立身出世のための見せかけの学識を競ふ「詐偽を競ふ」弊に陥る──學校や試験の制度がない日本の「缺點」を認めつつも、それを羨んで制度を真似ることが解決にはならないと説く、次段(kg66)への橋渡しの一段。
神教章 六十六書物の多寡より國體を明かにする心得(神教章の真の結び)底本 下巻 七十七〜七十八頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)
訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
しかし、本當に其の道を辨へる心得があれば、聖賢といふやうな人の一言でもよく之を味はつて、之を身に行ふことによつて大きな益が得られるものである。またこれに依つて世の中を益することも必ず出來るのである。それであるから澤山本を讀んだら宜いとか、少しでは役に立たないとか考へるのは全く間違ひである。要するに心の持ち方が何より大切なのであつて、徒らに外國の書物の多いのを羨むといふことは止めなければならない。まして日本には書物が少いからといつても、昔からの事實が歴史の上に遺つて居るので、其の事實こそ實に日本の國體を明かにする力となるべき、大變な寶である。かういふものを本にして、人間として嚮ふべき道をよく心得て行けば、そんなに澤山の本を讀まないでも、人として世に立つ上に於て何等の差支へも生じないのである。徒らに多くの書を讀むことを尊ぶのは誤りである。たゞ、かういふシツカリした心得を以て讀むやうにしなければならないのである。此の説も洵に當を得た説である。殊に素行のやうな博學を以て知られて居る人が、多く讀むだけでは仕方がないぞと言つたのは、後の學問をする人に取つて大きな教訓となるべきものである。今日に於ては尚更西洋の書物までも入つて來て居るから、本の數は固より多いのであるが、本の數が多いからといつて、國民全體が人としての心得に於て昔の人よりさう勝つて居るといふ譯ではないのであつて、徒らに多く讀むことを競ふといふ風は、固より戒めて行かなければならないことと思はれるのである。
解説
前段(kg62)の謹按「夫以博識。則盡華夷之書。未爲多。能通其道。則一言不可以爲少。況史編之不闕乎。」を敷衍する、神教章の真の掉尾。書物の量ではなく、日本に伝はる歴史的事實そのものが國體を明かにする「大變な寶」であり、其の心得さへあれば多讀の要はない、と結ぶ。博學で知られた素行自身が多讀のみを戒めた逆説──これが神教章全体を貫く結論である。柱(欄外見出し)を実見して確認した通り、下巻七十八頁でこの本文は終はり余白となつて、七十九頁で新章「神治章」の大きな章題が掲げられる。神教章はその一(23)からその九(本冊)までの九分冊・六十六箇条(kg01-kg66)を以て、ここに真に完結する。