神治章 六十五方伯の任底本 下巻 百十二頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)
訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
それからまた彦狹嶋王が東山道の都督に任ぜられたといふのは、支那で言へば方伯といふものに當るので、支那では全國に諸侯がありまして、其の諸侯を東西南北の四方に分けて、其の四方に各々方伯といふものを置きました。卽ち其の方面の諸侯を代表する所のものでありまして、天子より樣々な命令を此の方伯に與へ、方伯が天子の命を受次いで諸侯にこれを傳へるといふ制度であつたのでありますが、チョウド此の支那の方伯といふものに當るのであります。斯様にして封建の制度も立ち、また地方を取締る長官といふものも定まつたのでありまして、これ等の人々の力が皆相集まつて國を護り、また皇室の御繁昌を輔けて行くといふことになつて、益々國の發展といふものが形の上にも現はれ、事業の上にも現はれて參つた譯であります。これが先づ封建といふことの起りであるといふことであります。
解説
前冊kj63の謹按「彦狹嶋王拜東山道都督者。乃東方之伯也。」を承け、支那の方伯制度との比較を明示的に行ふ段。前冊が封建の起源を語ったのに対し、本段からは全集版js12「國造・縣主」の記事へ橋渡しする。
神治章 六十六成務天皇「國造・縣主」の詔底本 下巻 百十二〜百十三頁
原文
成務帝四年。春二月丙寅朔。詔之曰。我先皇大足彦天皇。聰明神武。膺籙受圖。治天順人。撥賊反正。德侔覆燾。道協造化。是以普天率土。莫不王臣。稟氣懷靈。何非得處。今朕嗣踐寶祚。夙夜兢惕。然黎元蠢爾。不悛野心。是國郡無君長。縣邑無首渠者。自今以後。國郡立長。縣邑置首。卽取當國之幹了者。任其國郡之首長。是爲中區之藩屏也。五年秋九月。令諸國。以國郡立造長。縣邑置稻置。此賜楯矛。以爲表則。山河。分國縣。隨阡陌。以定邑里。因以東西爲日縱。南北爲日橫。山陽曰影面。山陰曰背面。是以百姓安居。天下無事也。
訓読
成務帝の四年春二月丙寅の朔、詔して曰はく、我が先皇大足彦天皇は、聰明神武にして、籙に膺り圖を受け、天を治め人を順へ、賊を撥ひ正に反し、德は覆燾に侔しく、道は造化に協ふ。是れを以て普天率土王臣ならざるは莫く、稟氣懷靈何ぞ得處に非ざらんと。今朕寶祚を嗣ぎ、夙夜兢惕す。然れども黎元蠢爾として、野心を悛めず。是れ國郡に君長なく、縣邑に首渠たる者無ければなり。今より以後國郡に長を立て、縣邑に首を置く。卽ち當國の幹了たる者を取りて、其の國郡の首長に任じ、是れを中區の藩屏と爲さんと。五年秋九月、諸國に令して以て國郡に造長を立て並びに縣邑に稻置を賜ひて以て表と爲す。則ち山河を隔てゝ國縣を分ち、阡陌に隨ひて以て邑里を定む。因りて東西を以て日縱と爲し、南北を日橫と爲す。山陽を影面と曰ひ、山陰を背面と曰ふ。是れを以て百姓安居し、天下無事なり。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
成務天皇四年、春二月丙寅の朔、詔して言われた。「わが先の天皇である大足彦天皇(景行天皇)は、聡明で神のように武く、籙を受け図を受け、天を治め人に従え、賊を払って正しさに立ち返らせ、徳は天地を覆うがごとく等しく、道は造化にかなっていた。これによって天下じゅう王の臣でない者はなく、心と命とを持つ者は誰しもその居場所を得ないことはなかった。いま朕は皇位を嗣ぎ、朝な夕なに恐れつつしんでいる。しかし民はうごめいて、野心を改めない。これは国郡に君主・長官がなく、県邑に首長がないからである。今より以後、国郡に長を立て、県邑に首を置け。その国の実務に長けた者を選んでその国郡の首長に任じ、これを中央の藩屏とせよ」。五年、秋九月、諸国に命じて国郡に造長を立てさせ、あわせて県邑に稻置を賜ってその印とした。すなわち山や川を境として国と県とを分け、あぜ道に従って邑と里とを定めた。それによって東西を日縦とし、南北を日横とし、山の南面を影面といい、山の北面を背面といった。これによって民は安んじて住み、天下は事無く治まった。
解説
全集版js12「國造・縣主 ── 郡縣の始め」(中朝事実_6.html)と同主題の記事だが、字句にいくつか異同がある。全集版「應天受圖」に対し小林本「膺籙受圖」、全集版「德覆蒼生、道協玄化」に対し小林本「德侔覆燾、道協造化」、全集版「猶懷野心」に対し小林本「不悛野心」。また全集版には無い「是以普天率土。莫不王臣。稟氣懷靈。何非得處。」の一文が、小林本では景行天皇の徳を讃える結びとして加はっている。全集版の末尾にある「先人曰、國造乃國司之名也、後改曰守、」の一句は、小林本ではこの直後(次冊で扱う頁)に位置しており、本冊の対応部分には含めていない。
神治章 六十七籙に膺り圖を受く ── 御位を嗣ぐの意味底本 下巻 百十三〜百十四頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)
訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
次には成務天皇の御時に國内を統一すべき所の制度が定まつたことが記されてあるのであります。卽ち成務天皇四年の春二月に詔して仰せられるのには、前の代の天皇の景行天皇は洵に智慧も勝れ、また御徳も勝れた方であつて、天皇の位をお繼ぎになつて能く其の任務を全うされたのであります。「籙に膺る」といふことは順に依つて御位を承けられたといふ意味で、それから「圖」といふのはやはり國に王たる所のしるしを天から與へられたといふことで、要するに「籙に膺り圖を受ける」といふのは、天の護りを受けて御位を嗣がれたといふ意味になるのであります。
解説
kj66の「膺籙受圖」を敷衍する段。全集版js12の「應天受圖」に対応する語をどう読むかという点で、小林本独自の字句「膺籙受圖」がここで丁寧に説き明かされている。
神治章 六十八優れた御徳と國の平定底本 下巻 百十四頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)
訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
これは優れた御徳のある方であつて、初めて天の護りもこれに加はるわけであります。それで斯ういふ勝れた天子でありましたから、人間をも能く治め、また神々のお心持をも全うすることが出來まして、それでも國の障りをなすものは武力を以てこれを打拂ひ、國中が皆正しくなつて參つたのであります。
解説
kj66の「治天順人。撥賊反正。」を敷衍する段。徳による治めと武力による平定とが並び立つことを説く。
神治章 六十九覆燾の徳 ── 天地に等しき御徳底本 下巻 百十四頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)
訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
此の天皇の御徳といふものは「覆燾」といふのは天地のことで、卽ち天地に等しきものであつたといふのであります。「覆ふ」といふのは天のごと、「燾する」といふのは地のことで、「覆ひ燾する」と申しますれば、天地といふことになるのであります。また斯ういふ徳の高い方であつたから、其の爲さることは皆國を益々發展せしめるといふ目的に適つて居つたのであります。
解説
kj66の「德侔覆燾。道協造化。」を敷衍する段。全集版js12の「德覆蒼生」に対応する語を小林本は「德侔覆燾」とし、「覆」と「燾」とを天と地とにそれぞれ配して説く点に、小林独自の解説の丁寧さが見える。
神治章 七十普天率土・稟氣懷靈底本 下巻 百十四頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)
訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
それでありますから「普天率土」卽ち國中が皆王臣として誠心を以て事へるやうになつた。また「稟氣懷靈」といふのは心を持つて居るもの、或は命を持つて居るものといふ意味で、卽ち凡ての人民のことを申すのであります。國中の人民が何處に住んでも皆其の土地に身を安んじて銘々の仕事に力を打込んで行つたので、國は益々發展をして參つたのであります。
解説
kj66の「是以普天率土。莫不王臣。稟氣懷靈。何非得處。」──全集版js12の本文には無い小林本独自の一文──を敷衍する段。景行天皇の御代がすでに人民悉く安んじていたことを説き、次段の成務天皇御自身の懸念への対比とする。
神治章 七十一成務天皇の御懸念 ── 人民の野心底本 下巻 百十四〜百十五頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)
訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
ところで成務天皇は今度新しく天皇の位にお卽きになつたのであるから、どうか此の前の景行天皇のお心持を承けて、此の國を益々盛んにしたいと思ふが、自分に果してそれだけの徳があるか、それだけの力があるかといふことを始終案へて、其の任を全うし得ないといふことを懼れて居られるのでありますが、併しながらたゞ徒らに國の將來を心配して居るのみでは仕方ないから、國が盛んになるやうに其の方法を立てなければならぬ。人民達の中には「蠢爾」といふのは洵に愚かなものが多くて「野心を悛めず」── 天皇に心から服従しないでそれぞれの地方に居て自分の勝手なことばかりやって居るやうな者も隨分ある。それは何故であるかと言へば、國に其の國を司る所の長官がまだ定まらず、また國の中の方々の邑にも、其の邑を司る所の長官がないから、それで皆が我が儘をするものと思はれる。
解説
kj66の「然黎元蠢爾。不悛野心。」を敷衍する段。全集版js12の「猶懷野心」に対応する語を小林本は「不悛野心」とし、悔い改めない頑なさとして読んでいる点に注意。
神治章 七十二地方長官の使命底本 下巻 百十五頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)
訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
それ故にどうしても制度を正し立てなければならないので、今日以後には國には其の國を統一する所の長官を置き、また邑には其の邑を導く所の長官を置いて、さうして天皇の思召を承けて、普く國民を正しく導いて行くといふことに力を盡させるやうにしたいと思ふ。就いてはさういふ官のあるのは民が之を尊重するといふことにより、其の地方に在つて其の人物を思はれて居る者を擧げる方が、人民の爲にも幸福であるし、また其の長官たる地位に立つ者も、其の地方の事情に通じて居れば善い政治が執れるであらうから、それぞれの國の役に立ちさうな、また其の力を認められて居る者を采つて、それぞれの地方の長官として、朝廷の政治の力となり、また皇室の思召を全うして行くやうにこたいと思ふ。斯ういふ樣にして各地方の事情が中央にもよく通じて、謂はゆる意思が疏通して行けば、國に統一が行はれて必ず治まつて行くであらう。斯ういふことを仰せられたのであります。これは全く國の將來を憂ふる所の有難い思召から出たものと思はれます。
解説
kj66の「自今以後。國郡立長。縣邑置首。卽取當國之幹了者。」を敷衍する段。血筋ではなく、その土地の事情に通じ人望のある者を長官に選ぶという原則を、講義口調で丁寧に説く。
神治章 七十三詔の實施 ── 造長・稻置の任命底本 下巻 百十五頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)
訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
それで此の御趣意に基きまして翌る年、卽ち五年の秋九月に諸國に命令を與へられて、國々には長官を立て、また邑にも長官を置いて、國の長官を造長と言ひ、邑の長官を稻置と申すことになりました。これはそれぞれの地方を治める所の權限を與へられて居るので、若し其の命令に従はない者があれば、武力を以てそれを制裁するといふことをも許されたのでありますから、そこで楯と矛とを朝廷から賜はつて、其の地方の長官たることの表となさつたのであります。
解説
kj66の「五年秋九月。令諸國。以國郡立造長。縣邑置稻置。此賜楯矛。以爲表則。」を敷衍する段。任命だけでなく、武力による制裁権限と、その証としての楯矛の下賜にも触れている。
神治章 七十四境界の確立底本 下巻 百十五〜百十六頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)
訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
それからまた各地の區分をチャント立てまして、山や河の形勢に從つて國を分ち、また其處には道がありますから、其の道に從つて邑の境を定め、東西を日の縱と言ひ、南北を日の橫と言ひ、山の南の方を影面と言ひ、山の北の方を背面といふ名を付けられたのであります。これはズッと前にもありましたが、こゝに此の事を繰返してあるのであります。先づこれで長官といふものも定まり、それから國の境も定まつて、凡ての秩序が立つて參りましたから、人民も眞の所に安んずることが出來て、天下は洵に靜かになつたと申すのであります。
解説
kj66の「山河。分國縣。隨阡陌。以定邑里。因以東西爲日縱。南北爲日橫。山陽曰影面。山陰曰背面。」を敷衍する段。「これはズッと前にもありました」というのは、中國章十八節で引かれた神武帝建都の詔にも通じる、地形に従って国土を区画するという主題の反復を指す。
神治章 七十五情誼と制度底本 下巻 百十六頁
原文
(小林の講義による敷衍。原文には對應する漢文なし。)
訓読
(原文なし。小林一郎の講義による敷衍箇所。)
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
此の事は今後の政治を執る者もよく考へなければならないことでありまして、無論根本は恩愛情誼といふものでありますけれども、實際に國を治めるのには法律制度といふものもなければならぬので、たゞ恩愛だけを以てすれば國の秩序が立たなくなります。併したゞ法律ばかりを恃みにすれば、孔子も言つたやうに「民免れて恥なし」で、法律を潛つて自分の勝手をやる者が多いといふことになるのであります。人情を以て結び付き、また法律制度を以て區別を立てるといふ、此の兩方が完全に相俟ちまして、初めて國も本當に治まります。人民は其の所に安んじて行くことが出來るのであります。日本は元來恩愛を本にする國でありますから、ここに正しい法律制度が立つて、兩々相俟つて行きますれば、國は何處までも發展して行くに違ひないのであります。然るに明治の初めから法律制度を本にする所の西洋の治め方に基いて萬事をやつたものでありますけれど、動もすれば其の方に傾き過ぎて、恩愛を本にするといふ良い風習が稍々弛んで來たやうな様子に見えるので、これは甚だ殘念なことであります。どうか日本固有の貴い性質を失はないやうに、また法律制度といふものをも立てゝ、さうして完全な治め方をして、國を益々發展させるといふことに力を盡さなければならないと思はれるのであります。
解説
kj66の記事全体を承け、恩愛情誼と法律制度との両方が揃つてはじめて国が治まるという一般原則へと敷衍し、その七を締めくくる段。明治以来の西洋法制度への傾斜に注意を促す一節は、講義当時(昭和戦前期)の時局を反映したものと見られる。次冊(その八)では、次頁の「先人曰、國造は乃ち國司の名なり」という注記から、全集版js13「任限を五箇年と爲す」に相当する国司の任期の記事へ進む見込みである。