中國章 十七以上、水土の規制を論ず ── 中央がシツカリしなければ四方は安穩に行かない底本 二七六〜二七七頁
原文
以上論水土之規制。
謹按。地在天之中。中又不無四邊。而得其中。曰中國。言得天地之中也。
訓読
以上は水土の規制を論ず。
謹んで按ずるに、地は天の中に在り。中又四邊なくんばあらず。而して其の中を得るを中國と曰ふ。言ふところは、天地の中を得るなり。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
先ず以上は國の全体の様子をよく察して、地方々々の規定を立てられたことを申して居るのでありますが、尚ほこれに就いて考えて見ると、地というものは天の力を受けて萬物を発育せしめる力があるのであるが、此の地というものにも中央というものがなければならない。
中央があれば其の東西南北の四方もなければならぬ。それで中央がシッカリしなければ四方は無論安穏に行かないけれども、併し中央さえ宜しければ四方はどうでも宜いというように考えてはならない。中央がシッカリして居て、其の力を以て各地方までもだんだんに導いて之を盛んならしむるというようにしなければならぬのであります。
解説
中國章の最終段。ここから先は、これまで論じてきた国土・都・宮殿・辺要のすべてを「水土の規制」という一語でまとめ、その意味を問い直す章全体の按語である。
「地は天の中に在り。中又四邊なくんばあらず」――中があるということは、四方の縁があるということでもある。中は、周縁があってはじめて中である。この一句が、そのままこの段全体の骨格になる。
小林はそれを受けて、「中央さえ宜しければ四方はどうでも宜いというように考えてはならない」と言う。前の冊(その九 ck139)で語られた中央と地方の議論が、ここで素行の原文と正面から噛み合う。
なお全集版では、この段が中國章の第二十八節――最終節――にあたる(『中朝事實』二・中國章 二十八節)。
中國章 十七(承)中國の眞の意義 ── たゞ地形の上の中央ではない底本 二七八頁
原文
天地之中何。四時行。寒暑順。水土人物甚美。而無過不及之差。是也。
訓読
天地の中とは何ぞや。四時行はれ、寒暑順ひ、水土人物甚だ美にして、而も過不及の差なきこと、是れなり。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
それで日本を中國と言わなければならぬということをしばしば申したが、其の中國というのはただ地形の上に於て中央に位するというのでなくて、其の中を得るが故に中國と謂うのである。即ち天地の中を得るということであります。
天地の中というのは何事かと言えば、それは詰り統一を具え、秩序を保ち、少しも乱れず、また少しも滞らないことを申すのであります。春夏秋冬の四季が行われて、暑さ寒さも時に順い、土地の萬物もまた人間も皆よく発達して居て「過不及の差なく」――余り一方に偏するというようなことのないのを中というのであって、日本を中國と言わなければならぬというのも斯ういう意味なのであります。
解説
「中」の定義。素行はここで、章のはじめから使ってきた「中」という語の内実を、最後にはっきり言葉にする。四時行はれ、寒暑順ひ、水土人物甚だ美にして、過不及の差なし――四季がめぐり、寒暑が順序よく、風土も人も美しく、過ぎも足りもしない。
その六(ck96)で「中とは地形の真ん中ではなく、精秀の氣」と言ったのと同じ論だが、ここではさらに具体的である。気候と風土と人と、その三つが釣り合っていること。
読むときの注意。この定義には測る基準がない。四季のめぐりも寒暑の順も、どの土地にもそれなりにある。「過不及の差なし」を誰がどう判定するのかは書かれていない。
その四(ck58)で小林自身が「自分の國が良い國だというのには『中を得た』……何処の國でも言って居る」と認めていたのは、まさにこの点である。定義が精密になるほど、かえって自己申告であることが見えてくる。
中國章 十七(承)天行は健なり ── 少しの滯りもなく狂ひもない底本 二七八頁
原文
四時行。寒暑順。而無過不及之差。
訓読
四時行はれ、寒暑順ひ、而も過不及の差なし。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
天地の間の凡ての作用というものは洵に健全なものでありまして、易の中にも「天行は健なり」とありますように、少しの滞りもなく狂いもないのであります。
尤も時に依れば気候が少し寒過ぎるとか暑過ぎるとかいうようなこともあり、また日にも月にも日蝕、月蝕などというようなこともあるけれども、それは唯だ一時のことであって、之を全体として見れば天地の間の凡ての物の運り行きというものは洵に健全なものであって、少しも狂いがない。これを以て人間の手本としなければならぬのであります。
解説
「天行は健なり」は『易経』乾卦の象伝「天行健、君子以て自彊して息まず」――天の運行はたくましく休みがない、君子はこれにならって自ら努めてやまない――から。天先章の自己解説(底本一七八頁)で小林が「解釈の仕方は易の思想」と述べたとおり、この講義の底には終始『易』がある。
面白いのは「日蝕、月蝕などということもあるけれども、それは唯だ一時のこと」という但し書きである。例外を認めたうえで、全体としての規則性を言う――この態度は、その七(ck101)で素行が「今其の制言ふべからず」と書いたのと同じ、分かる範囲とそうでない範囲を切り分ける作法である。
なお日蝕・月蝕は古代中国では天の譴責とされ、天子が徳を修める機会と考えられた。小林がそれを「唯だ一時のこと」として脇に置くのは、天譴説を採らないということでもある。
中國章 十七(承)模範的の國であるから、他の國までも教へ導かなければならぬ底本 二七八〜二七九頁
原文
而得其中。曰中國。
訓読
而して其の中を得るを中國と曰ふ。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
世の中に國は澤山あるけれども、其の國に依っては物事が斯ういう風に健全に発達して行かない國があるのであります。ただ國があるということだけであって、其の國に健全なる文化が発達し得ないというような國も多くあるのであります。
然るに吾が日本は其の多くの國の中に於て最も健全な発達をした國で、土地の様子から言っても、また人物の上から言っても、他の國より遙かに勝れて居る。これは本当に模範的の國であるから、此の日本が中心となって他の國までも教え導かなければならぬ。斯ういう意味に於て日本を中朝或は中國と謂うべきだというのが、素行の前から一貫した所の意見なのであります。
解説
読むときの注意。この読本でくり返し確認してきた転回が、ここでもっともはっきりした形で現れる。
素行の按語は「其の中を得るを中國と曰ふ」――中を得ているから中國と呼ぶ――で止まっている。名の由来を説明しているだけである。ところが小林はこれを「日本が中心となって他の國までも教え導かなければならぬ」という使命の主張に変え、しかもそれを「素行の前から一貫した所の意見」だと述べる。
だが、その四(ck58)で確認したとおり、素行自身は「中を得た國は本朝と外朝の二つ」と書き、日本の独占を主張していない。次段(ck150)でも、素行は日本と中国を並べて論じている。「一貫した所の意見」という言い方は、素行の文からは支持されない。
この転回は ck15・ck29・ck34・ck68・ck98・ck100・ck130 と重なる。由緒の話が使命の話に置き換わる――この講義に一貫した癖として、章の最後にもう一度確認しておきたい。
中國章 十七(承)支那と吾が國との一致點 ── 殆んど節を合するが如し底本 二七九頁
原文
萬邦之衆。唯中州及外朝。得天地之中。故人物事業大不異。其建極。以致聖教。殆如合節也。──朝鮮亦同水土。然朝鮮者與外朝同封域。唯在其東藩也。──
訓読
萬邦の衆き、唯だ中州及び外朝のみ天地の中を得たり。故に人物事業大いに異ならず。其の極を建てて以て聖教を致すこと、殆ど節を合するが如し。――朝鮮も亦水土を同じくす。然れども朝鮮は外朝と封域を同じくし、唯だ其の東藩に在るのみなり。――
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
これは他の國々と比べて見れば解ることであるが、今世界に澤山國があるけれども、其の中で「中州」――日本と、それから「外朝」というのは支那のことを謂うのでありますが、支那と此の二つの國が方々の國の中では勝れて居る。即ち天地の中を得た國、健全な発達をして来た國と謂って宜しい。
それであるから此の國から出た所の人物、また其の人物の経営して来た所のいろいろな事業というものを見ても、支那と日本とは大体に於てあまり異はない。それ故に支那で発達した所の聖賢の教えというものは、之を日本に応用することが出来る。マルデ國風の異った國であったならば、他の國で良いとなって居ても、それをこちらの國へ持って来れば役に立たぬというようにもなり易い。
支那の孔子や孟子の教えを持って来て、其の儘日本の役に立つというのは、要するに支那という國の発達の順序と、また其の國民の気風とが、日本の発達の順序や國民の気風というものと或る点まで一致して居るから出来るのである。併し比べて見れば日本の方が勝れて居ることは前に申した通りであるけれども、大体に於ては一致して居るから、教えというものの立て方でも何でも両方が一致して居るのである。
聖人が出て教えを立て、其の教えに依って人民を指導して行くということは、「殆ど節を合するが如し」――割符を合わせるように大体に於て一致して居る。それ故に應神天皇の頃から儒教を吾が國に入れて、吾が國に教えを立てるということの役に立てた訳であります。
朝鮮も大体に於て土地の様子は同じでありますけれども、併し朝鮮というものは支那と地続きでありますから、支那の東方にある所の一つの属國だという風に見ても差支えないので、朝鮮のことを深く論ずるには及ばない。
解説
ここが中國章のいちばん大事な一節かもしれない。素行は「唯だ中州及び外朝のみ天地の中を得たり」と書く。日本と中国の二つである。その四(ck58)で立てられた命題が、章の結びでもう一度確認される。
そして「殆ど節を合するが如し」――割符を合わせたようにぴたりと合う。だから中国の聖賢の教えが日本に通用する。これは優越の主張ではなく、共通性の主張である。前段(ck149)で小林が「日本が他の國を教え導く」と言ったのとは、明らかに向きが違う。
読むときの注意(一)。「日本の方が勝れて居ることは前に申した通り」という一句は小林の補いで、素行の原文にはない。
読むときの注意(二)。朝鮮を「支那の東方にある一つの属國」と見て「深く論ずるには及ばない」と切り捨てるのは、その四(ck70)で見た三韓の藩臣という史実でない前提と地続きの認識である。朝鮮半島の諸王朝は独自の国家であり、日本の古代文化の多くはそこを経由して伝わった。この一句は、そのまま受け取れない。
中國章 十七(承)王畿と地方 ── 四方以て通じ、四藩以て屏たり底本 二八〇頁
原文
蓋有土地。則有國郡。有國郡。則有都鄙之分。而設王畿。建都宮。制道路。四方以通之。四藩以屏之。故其規也。其制也。未嘗不盡其道。
訓読
蓋し土地あれば則ち國郡あり、國郡あれば則ち都鄙の分あり。而して王畿を設け、都宮を建て、道路を制す。四方以て之に通じ、四藩以て之に屏たり。故に其の規たるや、其の制たるや、未だ嘗て其の道を盡さずんばあらず。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
要するに支那の聖賢の教えというものが日本に行われ、日本の勝れた國体が此の聖賢の教えを究めることに依って一層明かになるということを考えれば宜しい訳であります。
一体土地があれば其の土地には國というものがあり、郡というようなものが幾つもある中に、中央が都で、それから餘は地方である。中央と地方との区別というものが立って居なければならぬ。
それで「王畿」というのは即ち國の都を中心とした所が真ん中になって、そうして其処には天子の王宮とか其の他役所というようなものも建って居て、それから此の都を中心として道路が四方に通ずるので、其の地方にはまたそれぞれ役所があって、其の地方を健全に発達せしむることに依って「之に屏たり」即ち中央の文化を助けて参るのであります。
それであるから中央も無論大切であるけれども、地方の役所の建て方、治め方というものにも深く意を用いなければならぬ。また地方の村や町を指導して行く其の仕方というものに就いても出来るだけの道を尽して、地方の者がみな元気よく、また満足してそれぞれの仕事に力を尽すように、之を管督し奨励することが肝要なのであります。
解説
「四藩以て之に屏たり」――四方が垣となって中央を守る。前の冊(その九 ck141)の「邊要は天下の藩屏なり」が、ここで章全体の構図として言い直される。
土地 → 國郡 → 都鄙 → 王畿 → 都宮 → 道路 → 四方 → 四藩。素行は中央から外へ順に並べるのではなく、土地という一番大きな所から順に絞り込み、最後にまた四方へ開く。円環になっている。
小林の噛みくだきも良い。「中央も無論大切であるけれども、地方の役所の建て方、治め方というものにも深く意を用いなければならぬ」――その九(ck139・ck140)の脱線が、ここでは脱線ではなく、素行の原文そのものの読解として出てくる。
「管督し奨励する」――監督と奨励。取り締まるだけでなく励ます、という一語の選び方に、小林の統治観がにじむ。
中國章 十七(承)人と其の事業 ── 人物の計會底本 二八〇頁
原文
凡上法天象。下詳地勢。校人物之計會。察治亂之機。以致其禮用。以致其至誠。
訓読
凡そ上は天象に法り、下は地勢を詳らかにす。人物の計會を校へ、治亂の機を察し、以て其の禮用を致し、以て其の至誠を致す。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
要するに國を治めるに就いては天の道を本にして人の道を立てるのでありますから、天地自然の働きに象どり、それから地方の土地の様子を詳かにし、また人間というものがなければ國は治まらぬのであるが、其の人間にはそれぞれ適する仕事を与えなければならぬ。
「人物の計會」というのは、人間を揃えてそれぞれの仕事をさせる。其の仕事をさせるのには、此の人間はこれに適して居るという風に、其の適する所の地位を与え、そうして銘々の働きをさせるのであります。
また人間というものは私の心持がマルでないという訳に行かないから、若し中央に於て天子が國を正しくお治めになる御精神がよく解らないと、謀叛をしたり何かすることがある。そうして國に内乱が起るのであります。
解説
「人物の計會」――人と物とを集計し、それぞれに適した役をあてがう。小林の説明は「此の人間はこれに適して居るという風に、其の適する所の地位を与え」と、きわめて実務的である。
これは、その九(ck137)の「當國の幹了しき者を取りて其の國郡の首長に任ず」――その国の有能な者を長にする――と同じ考え方の一般化である。制度を設けることと、人を得ることとは別だという認識が、素行には一貫している。
上は天象、下は地勢、そして人。その八(ck114)の「上は天の時を正し、下は水土に隨ひ、中は百世を考ふ」と同じ三点法だが、そこでは「中」が歴史だったのに対し、ここでは人である。三つ目に何を置くかで、議論の性格が変わる。
そして最後に「至誠を致す」。制度の話が、ここで人の心の話に接続する。
中國章 十七(承)治亂は何處より起るか ── 中央に居る者が地方を輕々しく視る底本 二八一頁
原文
察治亂之機。以致其至誠。則遠近都鄙内外。無不同其俗。通其利也。
訓読
治亂の機を察し、以て其の至誠を致す。則ち遠近都鄙、内外其の俗を同じくし其の利を通ぜざるはなし。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
然らばどうしたら國が本当に治まるか、どうしたら乱れるかといえば、要するに國中の者が天子のお心持が何処に在るかということを知ることが出来るか、或は之を知らないで私に趨るかということに依って其の差異が生ずるのである。
それ故に治乱というものはどうして起るかということをよく考えて、地方に至るまで本当に統一的に治まるように努力するということが肝要で、これは其の局に当る人が、誠心のあらん限りを尽してやらなければならぬことであります。
動もすると中央に居る者が自分達の生活の栄華に誇って地方のことを軽々しく視るというようになり易いので、此の点を深く戒めなければならない訳であります。
斯ういうように本当にみなが心を尽してやりますれば、遠くでも近くでも、田舎でも都でも、内外共に自ら其の気分が一つになりまして、互いに自分の仕事に力を尽し、互いに助け合って、結局國全体が大いに発展をして行くことになるのであります。
解説
「治亂の機」――治まるか乱れるかの分かれ目。素行がそれを「至誠を致す」かどうかに置いているのが、この段の核心である。制度でも兵力でもなく、その任に当たる人の誠意。
小林の噛みくだき――「中央に居る者が自分達の生活の栄華に誇って地方のことを軽々しく視るというようになり易い」――は、その九(ck139)の藤原氏・江戸の議論と完全に同じ内容である。あの脱線は脱線ではなく、この原文を先取りしていたことが、ここで分かる。
「遠近都鄙、内外其の俗を同じくし其の利を通ぜざるはなし」――都と田舎、内と外が、習俗を同じくし利を通じ合う。統合の理想像だが、その九 ck144 で素行自身が「必ず教を異にし風を殊にす」――辺境は必ず習俗が違う――と書いていたことも、併せて思い出しておきたい。理想と現実の両方を、素行は書いている。
中國章 十七(結)四疆に至るまで ── 邊鄙の所は棄てゝ置いてもよいといふ譯には行かぬ底本 二八一頁
原文
天下之大。國郡之區。雖不可一舉。自朝廷及邦畿。自王畿及四方。自四方至四疆。
訓読
天下の大、國郡の區、一擧すべからずと雖も、朝廷より邦畿に及び、王畿より四方に及び、四方より四疆に至る。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
天下は随分広いもので、其の中に國や郡があるのであるから、其の地方々々の風俗人情というものは幾らか異う。異うけれども日本という國としての國民性というものがあるのである。
また日本は神聖な天子が中央にいらしってお治めになるのであるから、國民各自の心持の異う中にもこれを一貫する所の精神というものが始終働いて居なければならぬ。
それであるから朝廷よりして方々の國に及び、また中央の都より地方に及んで、みなこれを統一的に治められるようにしなければならぬ。それから「四疆」即ち國の境いに至るまでも同様であって、辺鄙の所はどうでも宜い、棄てて置いてもよいという訳には行かぬのであります。
解説
「四疆に至るまでも同様であって、辺鄙の所はどうでも宜い、棄てて置いてもよいという訳には行かぬ」――前の冊の主題(その九 ck141「邊要は天下の藩屏なり」)が、章の結びで一行に凝縮される。
注目すべきは「其の地方々々の風俗人情というものは幾らか異う。異うけれども……」という言い方である。違いを消すのではなく、違いを認めたうえで一貫するものを言う。前段(ck153)の「其の俗を同じくし」よりも、こちらのほうが実際に近い。
読むときの注意。ただし「これを一貫する所の精神」を「神聖な天子が中央にいらしって」という一点に帰すのは、小林の補いである。素行の原文は朝廷→邦畿→四方→四疆という及び方の順序を述べているだけで、精神の一貫については語っていない。
この講義が語られた昭和十年代、国体の一元性を説くことは時代の要請でもあった。素行の文とその上に載った時代の言葉とを、ここでも分けて読みたい。
中國章 十七(結)全身の健康 ── 一元氣の四支百骸を周流するがごとし底本 二八一〜二八二頁
原文
猶一元氣之周流營衞四支百骸。而以統諸於一胸臆。
訓読
猶ほ一元氣の四支百骸を周流營衞して、以て諸を一の胸臆に統ぶるがごとし。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
チャウド人間の身体に就いて言えば、手も足も頭も腹も胸もあるけれども、人間の身体の元気というものは手足から頭から足の爪先までズット通って居なければならぬ。
そうして血の循りもよく、気脈がよく通じて、そうしてこれを胸に於て統一するようでなければならぬ。
一國も其の通りであって、真ん中の都と地方との気脈がよく通じて、皆が同じ心持で、銘々の利害に偏ることを捨てて、互いに助け合い、互いに力を添え合うということでなければ、國として健全な発達の出来るものではないのであります。
解説
この段でいちばん美しい比喩。国をひとつのからだとして見る。朝廷から四疆までの通じ方は、元気が四肢と全身をめぐり、それを胸ひとつに統べるのと同じだ、と。
「營衞」は漢方の語で、營=血、衞=気。めぐって養い、めぐって守る。素行が医学の語を使っているのは、彼が広く学んだ人であったことを示している。
この比喩は、その五(ck77)の「身の臂を使ひ、臂の指を使ふが如し」――からだが腕を使い、腕が指を使う――の言い換えでもある。中國章は、同じ比喩で始まり同じ比喩で終わる。
ただし身体の比喩には落とし穴もある。頭と手足には序列があるから、この比喩は容易に中央の優位を正当化する。素行と小林がここで言っているのは逆――末端まで元気が通わなければ全身が病む――という向きだが、同じ比喩は反対向きにも使える。比喩は結論を決めない。
中國章 十七(結)兆民の具瞻する所 ── 豈一人の私を縱にせんや底本 二八二頁
原文
然乃朝廷王畿者。天下之規範。而兆民所具瞻也。豈縦一人之私。伐當時之治。而不致其規制乎。
訓読
然らば乃ち朝廷王畿は天下の規範にして、兆民の具瞻する所なり。豈一人の私を縱にし、當時の治を伐りて、其の規制を致さゞらんや。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
それであるから無論其の國全体が良くならなければならぬのでありますが、併しどちらかと言えば中央が本で、其の中央の天子のいらっしゃる所が手本となって、そうして方々の國々までもこれを模範として行くというようでなければならぬ。即ち中央は天下の模範である。
それで多勢の者の「具瞻する所」――みな眼を著けて見て居るので、中央ではどういうことをやって居るか、都の様子はどうであるかということを皆が見て居る。それであるから若し其の都の風俗人情というものが悪くなれば、自ら其の感化というものが地方に及ぶのである。
されば其の中央に居って天子を輔ける人々は、余ほどそこを深く考えなければならぬので、自分一身の私を図って、そうして自分達さえ栄華を極めれば宜いといって、地方の事を忽せにするという心持を仮りにも持ってはならぬのである。
斯ういうことが成務天皇の御時に、地方にまでもいろいろ力をお尽しになったという御趣意でありますから、此の心持をズット後の世に至るまでもよく守って、中央を発達せしむると共に、また地方を充分に保護して、一國挙って健全なる発達をするように力を尽さなければ相成らぬのであります。
解説
中國章の結び。素行は、章の最後を戒めで閉じる。「豈一人の私を縱にし、當時の治を伐りて、其の規制を致さゞらんや」――どうして一人の私意をほしいままにし、その時の治まりを誇って、規制を怠ってよいだろうか。
「當時の治を伐る」の「伐」はほこると読む。今うまくいっていることを自慢する。素行が警戒しているのはそれである。
そして小林の締めくくり――「自分一身の私を図って、そうして自分達さえ栄華を極めれば宜いといって、地方の事を忽せにするという心持を仮りにも持ってはならぬ」。その九(ck139・ck140)から一貫した主題が、ここでもう一度、いちばん強い言い方で置かれる。
中國章は、日本という国の名の由来を論じる章として始まった。豐葦原・大八洲・やまと・墺區――名を一つずつ解き、風土と皇統と都と宮殿と辺要をその「実」として照らし合わせ、名と実とは相応ずるという一つの命題を論証してきた。
その長い論証が、最後に中央にいる者への戒めに着地する。名が実に支えられている以上、実を怠れば名も崩れる――そういう筋になっている。
次は皇統章。日本の皇統が連綿として絶えないことを論じる章に入る。