神教章 一陰神先づ唱へて、事既に不祥なり
原文
伊弉諾尊伊弉冊尊以磤馭慮嶋爲國中之柱、而陽神左旋、陰神右旋、分巡國柱、同會一面、時陰神先唱曰、憙哉、遇可美少男焉、陽神不悅曰、吾是男子、理當先唱、如何婦人反言先乎、事既不祥、宜改而旋、於是二神却更相遇、
訓読
伊弉諾尊・伊弉冊尊は磤馭慮嶋を以て國中の柱と爲して、陽神は左より旋り、陰神は右より旋る。國の柱を分かち巡りて同じく一つの面に會ひき。時に陰神先づ唱へて曰はく、憙哉、可美少男に遇ひぬと。陽神悅びずして曰はく、吾れは是れ男子なり。理當に先づ唱ふべし。如何ぞ婦人反りて言先つや。事既に不祥なり。宜しく改めて旋るべしと。ここに於いて二神却つて更に相遇ひたまふ。
現代語訳
伊弉諾尊・伊弉冊尊は磤馭慮嶋をもって国中の柱とされ、陽神は左からめぐり、陰神は右からめぐられた。国の柱を分かれてめぐり、同じ一面で出会われた。そのとき陰神が先に唱えて言われた。「ああ、よい男に出会ったこと」。陽神は喜ばずに言われた。「わたしは男である。道理からいえば先に唱えるべきである。どうして婦人のほうが先に言うのか。事はすでに縁起がわるい。あらためてめぐりなおすがよい」。そこで二神はひきかえして、あらためて出会われた。
解説
天先章でも引かれた場面だが、そこでは男女の礼の始まりとして読まれた。ここでは違う角度から読まれる――誤りを指摘し、やりなおさせるという一連の動きそのものが、教育の原型だというのである。同じ史料を章の主題に応じて読み分ける、中國章と皇統章でも見た素行の手つきがここでも働いている。
神教章 二是れ天神教學の義なり
原文
謹按、是天神教學之義也、陰陽唱和之道也、日左旋於此、月右旋於此、二十有九日有奇、而月日相會、以爲一月、月之不及日、常有十有二度有奇、是陰陽之道也、陰神先唱、而陽神以教之、改過、其教學之義甚明矣、
訓読
謹みて按ずるに、是れ天神教學の義なり。陰陽唱和の道なり。日はここに左に旋り、月はここに右に旋り、二十有九日有奇にして月日相會し、以て一月と爲す。月の日に及ばざること常に十有二度有奇あり、是れ陰陽の道なり。陰神先づ唱へて、陽神以てこれに教へ、過ちを改めたまふ。その教學の義甚だ明らかなる哉。
現代語訳
つつしんで考えてみるに、これが天神における教え学ぶことの意味である。陰と陽とが唱えあい和しあう道である。日はここで左にめぐり、月はここで右にめぐって、二十九日あまりで月と日とが出会い、それを一月とする。月が日に及ばないことは常に十二度あまりある。これが陰陽の道である。陰神が先に唱え、陽神がそれを教えて、誤りを改められた。その教え学ぶことの意味は、まことに明らかである。
解説
素行は日月の運行を持ち出して、二神の左旋・右旋がでたらめな作り話ではなく天体の運行に対応していると説く。そのうえで「陰神先づ唱へて、陽神以てこれに教へ、過ちを改めたまふ」――誤り、教え、改めるという三拍子を取り出す。教育とは正しさを一方的に授けることではなく、誤りが起きたときにそれを正す往復である、という理解がここにある。
神教章 三人倫の大綱は端に夫婦に造る
原文
天下之間、不外於陰陽、人倫之大綱、造端乎夫婦、陰陽和而萬物育、夫婦別而五典秩、萬化之本、一原於此、陽德合天、陰靜配地、而後神子生、可以承宗廟、夫二神正此禮、以教示萬邦之原、猶失選立之道、遭狹隘之罰、宮闈預政、外家擅權、正始之道、王化之基也、其所繫大哉、
訓読
天下の間は陰陽に外ならず。人倫の大綱は端を夫婦に造す。陰陽和して萬物育ち、夫婦別ありて五典秩ふ。萬化の本は一にこれをここに原づく。陽德は天に合し、陰靜は地に配し、而して後に神子生れまし、以て宗廟を承くべし。夫れ二神この禮を正して、以て萬邦の原を教示したまへども、猶ほ選立の道を失ひ、狹隘の罰に遭ふ。宮闈政に預り、外家權を擅にす。正始の道は、王化の基なり。その繫るところ大なる哉。
現代語訳
天下のあいだは陰陽の外に出るものではない。人倫の大綱は、その端を夫婦に発する。陰と陽とが和して万物が育ち、夫婦に別があって五つの典(父子・君臣・夫婦・長幼・朋友の倫)が整う。あらゆる変化のもとは、ひとえにここに発する。陽の徳は天に合し、陰の静けさは地に配して、そののちに神の子が生まれ、宗廟を継ぐことができる。そもそも二神はこの礼を正して、万邦のはじめを教え示された。それでもなお、後の世には跡継ぎを選び立てる道を失い、狭く偏った災いに遭うことがある。奥向きが政に口を出し、外戚が権をほしいままにする。始めを正す道は、王の徳化の土台である。そこにかかっているものは、なんと大きいことか。
解説
素行の教育論が夫婦から始まるのは『中庸』の「君子の道は端を夫婦に造す」による。しかし彼は理想を述べて終わらない。二神が礼を正したのに、なお後世は「宮闈政に預り、外家權を擅にす」――奥向きの介入と外戚の専横が起きた、と現実を突きつける。教えが示されていることと、それが守られることは別だという、本書に一貫する厳しさである。
神教章 四汝甚だ無道なり ── 素戔嗚尊と蛭兒
原文
二神勅素戔嗚尊曰、汝甚無道、不可以君臨宇宙、固當遠適之於根國矣、遂逐之、
一書曰、日月既生、次生蛭兒、此兒年滿三歳、脚猶不立、初二神巡柱之時、陰神先發喜言、既違陰陽之理、所以今生蛭兒、
訓読
二神素戔嗚尊に勅して曰はく、汝甚だ無道なり。以て宇宙に君として臨むべからず。固に當に遠く根國に適くべしとのたまひて、遂にこれを逐ひき。
一書に曰く、日月既に生れまして、次に蛭兒を生みたまふ。この兒年三歳に滿ちぬれども脚猶ほ立たざりき。初め二神柱を巡りたまふの時、陰神先づ喜ぶ言を發く。既に陰陽の理に違ふ。所以に今蛭兒を生む。
現代語訳
二神は素戔嗚尊に仰せられた。「そなたはたいへん道にはずれている。宇宙に君として臨ませるわけにはいかない。まことに遠く根國へ行くべきである」。そうしてついにこれを逐われた。
一書にはこうある。日と月とがすでに生まれて、次に蛭兒を生まれた。この子は三歳になっても脚がまだ立たなかった。はじめ二神が柱をめぐられたとき、陰神が先に喜びの言葉を発した。すでに陰陽の理にたがっている。だから今、蛭兒が生まれたのである。
解説
皇統章でも引かれた二つの記事が、ここでは教えの失敗例として並べられる。素戔嗚尊は逐われ、蛭兒は脚が立たなかった。一書はその原因を「はじめに陰陽の理にたがったから」と説明する。始めの一歩を誤ると、結果は後から出る――前節の「正始の道」がここで具体的な帰結として示されている。
神教章 五「以て宇宙に君臨すべからず」の九字
原文
謹按、二神嚴教學建立之謀、正諭教之法、如此、宇宙之洪、萬物之衆、人君不正、則政禮不中、人君惑而不得盡其性、人物不由所行、則品物夭折、災害並臻、人君無所措手足、無道不可以君臨宇宙之九字、萬世建太子之教戒也、
訓読
謹みて按ずるに、二神は教學建立の謀を嚴にし、諭教の法を正すこと此の如し。宇宙の洪いなる、萬物の衆き、人君正しからざるときは、政禮中らず。人君惑ひてその性を盡くすことを得ず。人物行くところに由らざれば、品物夭折し災害並び臻る。人君手足を措くところなし。無道にして以て宇宙に君臨すべからずの九字は、萬世太子を建つるの教戒なり。
現代語訳
つつしんで考えてみるに、二神が教え学ぶことを打ち立てる謀をきびしくし、諭し教える法を正されたことは、このとおりである。宇宙は広大で万物は数多い。君主が正しくなければ、政も礼も的を外れる。君主が惑ってその性を尽くすことができない。人と物とが行くべき道によらなければ、あらゆるものが若死にし、災害が次々に至る。君主は手足の置き場もなくなる。「無道にして以て宇宙に君臨すべからず」というこの九字は、万世にわたって太子を立てるにあたっての教えと戒めである。
解説
この一節が神教章の背骨である。素行は素戔嗚尊を逐った言葉のうち「不可以君臨宇宙」の九字を抜き出し、これを後継者を立てるときの基準として読む。血筋があっても無道なら君臨させない――二神はそう判断した。皇統章で「その知德、天地に愧ぢずして、而して後に神器の與授と謂ふべし」と述べたのと、まったく同じ論理がここにある。
神教章 六太子を建つるは宗廟社稷を重んずる所以
原文
蓋建太子者、所以重宗廟社稷、而天下之大義也、唯思子孫之愛寵、忘天下、謀天下之大寶、而失教諭、則非二神公天下之心也、以此戒之、猶有失嫡庶之分、爲簒奪之私、嗟、神之一言、至矣盡矣、從好惡之私者、亦在有道與無道而已、外朝聖賢世子建諭之原、千差萬別、是乃神教之實、而後世所由行之也、況違陰陽之理、以生蛭兒、是天神胎教之戒乎、
訓読
蓋し太子を建つることは、宗廟社稷を重んずる所以にして、天下の大義なり。唯だ子孫の愛寵を思ひて天下を忘れ、天下の大寶を謀りて教諭を失ふときは、則ち二神が天下を公にするの心にあらず。ここを以てこれを戒むれども、猶ほ嫡庶の分を失ひ、簒奪の私と爲すあり。嗟、神の一言、至れり盡くせり。好惡の私に從ふ者は、亦道ある與道なきとに在るのみ。外朝の聖賢世子建諭の原は、千差萬別なる、是れ乃ち神教の實にして、後世由りて行ふところなり。況んや陰陽の理に違ひて以て蛭兒を生むとは、是れ天神胎教の戒なるをや。
現代語訳
思うに太子を立てることは、宗廟と社稷を重んずるためであって、天下の大義である。ただ子や孫への愛着ばかりを思って天下を忘れ、天下の大いなる宝を私するようにはかって教え諭すことを怠るなら、それは二神が天下を公のものとされた心ではない。これによって戒めているのに、それでもなお嫡と庶の分を失い、簒奪という私を犯す者がある。ああ、神のこの一言は、至り尽くしている。好き嫌いの私情に従う者は、結局のところ道があるかないかの違いにすぎない。外朝の聖賢が世継ぎを立て諭してきたそのはじめが千差万別であるのも、これこそ神の教えの実であって、後の世が拠って行うところである。まして陰陽の理にたがったために蛭兒を生んだという伝えは、これこそ天神の胎教の戒めではないか。
解説
後継者を「愛寵」で選ぶことへの戒め。「天下を公にするの心」という語が、この章の倫理の中心にある。皇統を論じながら、素行は一貫して天下は私物ではないと言い続けている。末尾の「胎教の戒」も見逃せない。教育は生まれてから始まるのではなく、生まれる前の親のありようから始まる、という理解である。
神教章 七天安河邊の議 ── 天石窟のまえで
原文
天照大神入于天石窟、閉磐戸而幽居、故六合之內常闇、而不知晝夜之相代、于時八十萬神、會合於天安河邊、計其可禱之方、故思兼神深謀遠慮、遂集常世之長鳴鳥、使互長鳴、亦以手力雄神立於磐戸之側、中臣遠祖天兒屋命與忌部遠祖太玉命、掘天香山之五百箇眞坂樹、而上枝懸八坂瓊之五百箇御統、中枝懸八咫鏡、下枝懸青和幣・白和幣、相與致其祈禱、又猿女君遠祖天鈿女命、則手持茅纏之矟、立於天石窟戸之前、巧作俳優、
訓読
天照大神天石窟に入りまして、磐戸を閉ぢて幽居す。故に六合の內常闇にして、晝夜の相代るをも知らず。時に八十萬神、天安河邊に會合してその禱るべきの方を計ふ。故に思兼神深く謀り遠く慮りて、遂に常世の長鳴鳥を集めて互に長鳴きせしむ。亦手力雄神を以て磐戸の側に立てて、中臣の遠祖天兒屋命と忌部の遠祖太玉命と、天香山の五百箇眞坂樹を掘りて、上枝には八坂瓊の五百箇御統を懸け、中枝には八咫鏡を懸け、下枝には青和幣・白和幣を懸けて、相與にその祈禱を致す。又猿女君の遠祖天鈿女命は、則ち手に茅纏の矟を持ち、天石窟戸の前に立たして、巧に俳優を作す。
現代語訳
天照大神が天の石窟にお入りになり、磐戸を閉じて隠れられた。そのため天地四方のうちは常闇となり、昼と夜とが入れ替わることも分からなくなった。そのとき八十万の神々が天安河の河原に会合して、祈るべき方法をはかった。そこで思兼神が深く謀り遠く慮って、ついに常世の長鳴鳥を集めてたがいに長鳴きさせた。また手力雄神を磐戸のかたわらに立たせ、中臣の遠祖である天兒屋命と忌部の遠祖である太玉命とが、天香山の五百箇の眞坂樹を掘りとって、上の枝には八坂瓊の五百箇の御統を懸け、中の枝には八咫鏡を懸け、下の枝には青と白の和幣を懸けて、ともに祈禱をささげた。また猿女君の遠祖である天鈿女命は、手に茅を巻いた矛を持ち、天石窟戸の前に立って、巧みに舞い演じた。
解説
岩戸隠れの場面を、素行は神話としてではなく危機に際して人が集まり、はかり、それぞれの役を果たす場面として引く。八十万神が会合し、思兼神が策を立て、手力雄神が力を、天兒屋命・太玉命が祭祀を、天鈿女命が芸能を担当する。分業と協働がここにそろっている。次節の按語はこの構図から「思學」を取り出す。
神教章 八是れ神代思學の義なり
原文
謹按、是神代思學之義也、初雖有二神共議、未及於群、凡學者、成于思、思者、藉于學、蓋思兼神者、神代思學窣聖之神乎、致其知慮也、然乃思與學者、內盡其知慮也、宜哉、天安河邊之議、得此道、而作俳優、
訓読
謹みて按ずるに、是れ神代思學の義なり。初め二神共に議るありと雖も、未だ群に及ばず。凡そ學は思に成り、思は學に藉る。蓋し思兼神は、神代思學窣聖の神か。その知慮を致すなり。然らば乃ち思ふことと學ぶこととは、內その知慮を盡くすなり。宜なる哉、天安河邊の議、この道を得たり。
現代語訳
つつしんで考えてみるに、これが神代における思い学ぶことの意味である。はじめは二神がともにはかることはあっても、まだ大勢に及ばなかった。そもそも学ぶことは考えることによって成り、考えることは学ぶことに拠る。思うに思兼神とは、神代における思學のすぐれた神であろうか。その知慮を尽くしたのである。とすれば、考えることと学ぶこととは、内においてその知慮を尽くすということである。もっともなことだ、天安河の河原の議は、この道を得ていたのである。
解説
「思兼」という神名から「思學」を引き出すのが素行の読み方である。天先章で國常立尊の「常」、天御中主尊の「中」を徳として読んだのと同じ手つきで、ここでは神名がそのまま学問論になる。そして「初め二神共に議るありと雖も、未だ群に及ばず」――二人の相談から八十万神の会議へ、という規模の拡大を、素行は学びの発展として捉えている。
神教章 九思はず學ばざれば、禽獸に異ならず
原文
夫人之生也、不思不學、則不異禽獸、不思學、以爲自足者、猶闇室求物、手足亦無所措、況欲修其道、則先有思之、思之者、學習自存、而慊之者亦有之、思之慊之、則有學問力行、有積累、近不可不正之、
訓読
夫れ人の生るるや、思はず學ばざるときは、禽獸に異ならず。思學せずして以て自ら足れりと爲す者は、猶ほ闇室に物を求むるがごとし。手足も亦措くところなけん。況んやその道を修せんと欲せば、則ち先づこれを思ふことあり。これを思ふことは、學習自ら存す。而してこれを慊らずとする者も亦これあり。これを思ひこれを慊らずとするときは、則ち學問力行あり、積累あり。近くこれを正さずんばあらず。
現代語訳
そもそも人が生まれてきて、考えず学ばないなら、鳥獣と変わらない。考えも学びもせずに、これで足りていると思う者は、暗い部屋のなかで物を探すようなものである。手足の置きどころさえないだろう。まして自分の道を修めようと思うなら、まずそれについて考えることがある。考えるということのうちには、学び習うことがおのずと含まれている。そしてそれに満足できないと思う者もある。考え、満足しないでいるならば、そこに学問と力行があり、積み重ねがある。手近なところからこれを正さないわけにはいかない。
解説
「闇室に物を求むるがごとし」――暗い部屋で手探りする像が鮮やかである。素行が言うのは、考えないことの害ではなく「これで足りている」と思うことの害である。そして満足しないこと(慊らず)が学問と力行を生む、と続ける。神代の神々の会議から説き起こして、読者一人ひとりの学びの姿勢に降りてくる運びになっている。
神教章 十鬼神に質し、天地に建てて悖らず
原文
此間有力行、有積累、有近質之於鬼神、或建之於天地而不悖、而後有說遠徵、以此樂之、是乃天行健、而懸象著明也、萬世之今、教學竟不厭、是乃天之行健、而懸象著明也、
訓読
この間力行あり積累あり、近くこれを鬼神に質すことあり、或はこれを天地に建てて悖らず。而して後に說きて遠く徵あり、これを以て樂しむ。是れ乃ち天の行き健なり、而して懸象著明なるなり。萬世の今、教學竟に厭かず。
現代語訳
そのあいだに力を尽くして行うことがあり、積み重ねがあり、手近なところで鬼神に問いただすことがあり、あるいはこれを天地に立てても道理にたがわない。そうしてのちに、説いて遠くまで証があり、それを楽しみとする。これこそ天の運行が健やかであるということであり、天にかかった象が明らかであるということである。万世を経た今も、教え学ぶことはついに飽きることがない。
解説
学びの到達点を、素行は『中庸』と『易』の言葉で描く。「鬼神に質して疑ひなく、天地に建てて悖らず」――独りよがりでないことの検証である。そして最後は「これを以て樂しむ」。学問は義務ではなく楽しみに帰着する。「天行健」の四字は、神器章第十節の「日に新たにして息まず」と響き合っている。
神教章 十一當に誰を遣はすべきぞ ── 高皇産靈尊、諸神に問ふ
原文
皇祖高皇産靈尊、欲以皇孫爲葦原中國之主、故高皇産靈尊召集八十諸神而問之曰、吾欲令撥平葦原中國之邪鬼、當遣誰者宜也、爾諸神勿隱所知、僉曰、天穗日命是神之傑也、可不試歟、於是俯順衆言、即以天穗日命往平之、然此神佞於大己貴神、比及三年、尚不報聞、故其子大背飯三熊之大人、亦順父、遂不報聞、此後高皇産靈尊更會諸神、問當遣之者、僉曰、天國玉之子天稚彦是壯士也、宜試之、於是高皇産靈尊賜天稚彦天鹿兒弓及天羽羽矢、以遣之、此神亦不忠誠、遂配經津主神武甕槌神、以平葦原中國、
一書曰、天稚彦不報命、故天照大神乃召思兼神、問其不來之狀、
訓読
皇祖高皇産靈尊は皇孫を以て葦原中國の主と爲さんと欲す。故に高皇産靈尊は八十諸神を召し集へてこれに問ひて曰はく、吾れ葦原中國の邪鬼を撥ひ平げしめんと欲ふ。當に誰を遣はすべきぞ。爾諸神知らんところを隱しましそと。僉曰さく、天穗日命はこれ神の傑れたるなり。試みたまはざるべきやと。ここに俯して衆言に順ひて、即ち天穗日命を以て往いてこれを平けしむ。然れどもこの神大己貴神に佞りて、三年に比るまで尚ほ報聞さず。故にその子大背飯三熊之大人も、亦父に順ひて、遂に報聞さず。この後高皇産靈尊は更に諸神を會めて當に遣はすべき者を問ひたまふ。僉曰さく、天國玉の子天稚彦はこれ壯士なり。宜しく試みたまへと。ここに高皇産靈尊は天稚彦に天鹿兒弓及び天羽羽矢を賜はりて以てこれを遣はす。この神も亦忠誠ならず。遂に經津主神・武甕槌神を配して、以て葦原中國を平げしむ。
一書に曰く、天稚彦報命さず。故に天照大神乃ち思兼神を召して、その來ざるの狀を問ひたまふ。
現代語訳
皇祖高皇産靈尊は皇孫を葦原中國の主とされようとした。そこで高皇産靈尊は八十の神々を召し集めて問われた。「わたしは葦原中國の邪しき神どもを払い平らげさせたい。誰を遣わすのがよいだろうか。そなたたち神々よ、知っていることを隠すな」。みなが申し上げた。「天穗日命こそ神のなかの傑物です。試されてはいかがでしょう」。そこで身を低くして衆議に従い、天穗日命を遣わして平定させられた。しかしこの神は大己貴神にへつらって、三年たってもなお復命しなかった。その子の大背飯三熊之大人も、父にならってついに復命しなかった。その後、高皇産靈尊はあらためて神々を集めて、遣わすべき者を問われた。みなが申し上げた。「天國玉の子である天稚彦は壮士です。試されるのがよろしい」。そこで高皇産靈尊は天稚彦に天鹿兒弓と天羽羽矢を賜って遣わされた。この神もまた忠誠ではなかった。ついに經津主神・武甕槌神を配して、葦原中國を平定させられた。
一書にはこうある。天稚彦は復命しなかった。そこで天照大神は思兼神を召して、その来ない事情を問われた。
解説
皇統章第八節にも引かれた場面だが、こちらは失敗の記録がより詳しい。天穗日命が失敗し、その子も失敗し、天稚彦も失敗して、三度目でようやく成った。素行はこの三度の失敗を削らない。問うても、正しい答えがすぐ返ってくるとは限らない――それでも問い続けるほかない、というのが次節の主旨になる。
神教章 十二是れ天神問學の義なり
原文
謹按、是天神問學之義也、人必有長有短、問以盡其情、各止其至善、則天下之美歸己、若護己護其短、而不問、則不盡其兩端、唯虛聞而已、好問之道大哉、夫以乾坤之靈、好問而遂得成大功、其審問也、聖主求諫納直言之義至矣、
訓読
謹みて按ずるに、是れ天神問學の義なり。人は必ず長あり短あり。問うて以てその情を盡くし、各その至善に止まるときは、天下の美これ己に歸す。若し己を護りその短を護りて、問はざるときは、則ちその兩端を盡くさざれば、唯だ虛聞のみ。問ふことを好むの道大なる哉。夫れ乾坤の靈を以て問ふことを好みて、遂に大功を成すことを得たり。その問ふことを審かにするや、聖主諫を求め直言を納るるの義至れり。
現代語訳
つつしんで考えてみるに、これが天神における問い学ぶことの意味である。人には必ず長所があり短所がある。問うてその実情を尽くし、それぞれがその至善にとどまるならば、天下の美点はおのずと自分に帰ってくる。もし自分を守り自分の短所をかばって問わないならば、物事の両極を尽くさないのだから、ただ空虚な聞きかじりにすぎない。問うことを好む道は、なんと大きいことか。そもそも天地の霊妙なはたらきをもってしてなお、問うことを好んでついに大功を成しえた。その問い方をこまやかにされたことは、聖なる君主が諫めを求め直言を受け入れる、その道の極みである。
解説
「己を護りその短を護りて問はざる」――問わない理由は無知ではなく、自分をかばう気持ちだ、と素行は突く。神ですら問うたのだから人はなおさら、という論法である。そして「問學」はただちに諫を求め直言を納れることへつながる。学問論が政治論に接続する、この章の転回点である。
神教章 十三言路何ぞ通ぜんや
原文
蓋人君位九重之深、立億兆之上、非特有萬鈞之勢、前有粃喉之鱗、後有鼎鑊之責、故人俯而拒諫、以嚴斧威猛臨人、則言路何通乎、抑蔽髦蕀之目、塞詖讒之耳、以慘激之色、而導其諫、非出者也、故待其言、燦深以彰之、
訓読
蓋し人君は九重の深きに位して、億兆の上に立つ。特だ萬鈞の勢あるのみにあらず、前に粃喉の鱗あり、後に鼎鑊の責あり。故に人に俯して諫を拒み、嚴斧威猛を以て人に臨むときは、則ち言路何ぞ通ぜんや。抑も髦蕀の目を蔽ひ、詖讒の耳を塞ぎ、慘激の色を以てその諫を導くは、出づる者にあらざるなり。故にその言を待ちて、燦として深く以てこれを彰はす。
現代語訳
思うに君主は九重の奥深くに位置して、億兆の民の上に立つ。ただ万鈞の勢いがあるというだけでなく、前には喉をふさぐ逆鱗があり、後ろには釜ゆでの刑という責めがある。だから人に対して身をかがめさせて諫めを拒み、厳しい斧と猛々しい威をもって人に臨むならば、言葉の道はどうして通じるだろうか。そもそも目をふさぐ乱れ草を茂らせ、耳をふさぐ偏った讒言を許し、けわしい顔色をしながらその諫めを引き出そうとしても、出てくるものではない。だからその言葉を待って、はっきりと深く受けとめて表すのである。
解説
諫言がなぜ届かないかを、素行は諫める側の恐怖から説明する。前には逆鱗、後ろには釜ゆで――言えば身が危ういのだから、「言え」と命じても出てくるはずがない。だから君主の側が顔色を和らげ、待つほかない。配所にあってこれを書いた素行の実感が、この一節には濃く出ている。
神教章 十四帝堯の吁咈、禹の昌言を拜す
原文
帝堯之吁咈若、好來天下之善、而明四目、達四聰、禹拜昌言、湯坐以待旦、周思兼三王、而經緯萬化、并可按也、
凡草昧之始、軍機之要、雖議君臣、思慮之失、擧措之閒、未嘗有過乎、天神既然、後世豈容易乎、其所示戒、又大也、
訓読
帝堯の吁咈するがごとく、天下の善を來すことを好みて、四目を明らかにし四聰を達す。禹は昌言を拜し、湯は坐して以て旦を待ち、周は三王を思ひ兼ねて、而して萬化を經緯す。并せ按ずべきなり。
凡そ草昧の始、軍機の要は、君臣に議ると雖も、思慮の失、擧措の閒、未だ嘗て過ちあらんずや。天神既に然り。後世豈容易ならんや。その戒を示すところ、又大なり。
現代語訳
帝堯が「ああ」「いや、ちがう」と応じたように、天下の善を集めることを好んで、四方に目を明らかにし四方に耳を通じさせた。禹はよい言葉に礼をもって応じ、湯は坐したまま夜明けを待ち、周公は夏・殷・周三代の王の道を兼ね思って、あらゆる変化を経緯した。あわせて考えるべきである。
そもそも未明の時代のはじめ、軍事の要は君臣で議するといっても、思慮の誤り、進退のあいだに、過ちがなかったためしがあろうか。天神ですらそうであった。後の世がどうして容易であろうか。そこに示された戒めは、また大きい。
解説
中国古代の名君たちの逸話を並べて、諫言を受け入れる姿勢の模範とする。ここでも素行は漢籍を捨てていない。ただし並べたあとに置かれる一句が重い――「天神既に然り。後世豈容易ならんや」。神ですら三度失敗したのだから、後世の人間が誤らないはずがない。謙虚さの根拠を神話に求めるという、この章の一貫した論法である。
神教章 十五當に猶ほ吾を視るがごとくすべし
原文
天照大神手持寶鏡、授天忍穗耳尊、而祝之曰、吾兒視此寶鏡、當猶視吾、可與同床共殿、以爲齋鏡、
先人曰、往古之神勅也、
謹按、是往古之神勅也、當猶視吾之四字、乃天祖皇孫傳授之天教、而千萬世皇統謹守之顧命也、其言簡而其旨遠、雖堯舜禹之十六字、豈如之乎、
訓読
天照大神手に寶鏡を持ちたまひて、天忍穗耳尊に授けて祝ぎて曰はく、吾が兒この寶鏡を視まさんこと、當に猶ほ吾れを視るがごとくすべし。與に床を同じくし殿を共にして、以て齋鏡と爲すべしと。
先人曰く、往古の神勅なり。
謹みて按ずるに、是れ往古の神勅なり。當に猶ほ吾れを視るがごとくすべしの四字は、乃ち天祖皇孫傳授の天教にして、千萬世皇統謹守の顧命なり。その言簡にしてその旨遠し。堯・舜・禹の十六字と雖も、豈これに如かんや。
現代語訳
天照大神は手に宝鏡を持たれ、天忍穗耳尊に授けて祝して言われた。「わが子よ、この宝鏡を視るときは、まさにわたし自身を視るのと同じようにせよ。ともに床を同じくし殿を共にして、齋き祀る鏡とせよ」。
先人はいう、往古の神勅である、と。
つつしんで考えてみるに、これは往古の神勅である。「當に猶ほ吾れを視るがごとくすべし」というこの四字は、すなわち天祖から皇孫へ伝え授けられた天の教えであって、千万世にわたって皇統がつつしみ守るべき遺訓である。その言葉は簡潔でありながら、その旨とするところは遠い。堯・舜・禹が伝えた十六字といえども、どうしてこれに及ぼうか。
解説
本章のもう一つの山場である。素行は「當猶視吾」の四字を、朱子学が道統の核心とする『書經』大禹謨の十六字と並べ、しかも四字のほうが上だと言い切る。理由は「その言簡にしてその旨遠し」――短いほど深い、という漢学の価値基準をそのまま用いて、日本の神勅を上位に置いたのである。自序で「專ら外朝の經典を嗜み」と悔いた素行が、どう漢学を乗り越えようとしたかが、ここに凝縮している。
神教章 十六その人を愛すれば、猶ほその烏に及ぶ
原文
蓋人子不能恆永保其終、或克始而不存其終、則怠惰之氣不可張、慢於彼者、日遠而忘之、從欲而不愼也、祖其祖者、下其下、未有遺其祖、而親其民者也、後聖人以三年無改於父之道者爲孝、不亦知乎、思其人、則猶愛其樹、凡愛其人、則猶及其烏、況與其書乎、況與其寶鏡乎、況與日月合其光、與天地明其道乎、況大神乃是寶鏡之爲物、切修其道乎、日不磨者、向而觀其形也、
訓読
蓋し人子は恆に永くその終を保つこと能はず。或は始を克くしてその終を存せざるときは、則ち怠惰の氣張るべからず。彼に慢れる者は、日に遠くしてこれを忘れ、欲に從ひて愼まざればなり。その祖を祖とする者は、その下を下とす。未だその祖を遺れて、その民を親しむ者はあらざるなり。後の聖人は三年父の道を改むるなきを以て孝と爲す。亦知ならずや。その人を思ふときは、猶ほその樹を愛す。凡そその人を愛するときは、猶ほその烏に及ぶ。況んやその書をや。況んやその寶鏡をや。況んや日月とその光を合せ、天地とその道を明らかにするをや。況んや大神乃ちこれ寶鏡の物たるや、切にその道を修むるをや。日に磨かざる者は、向つてその形を觀るなり。
現代語訳
思うに人の子は、いつも最後まで守りとおすことができるとは限らない。あるいは始めをよくしても終わりを保てないなら、怠惰の気を張らせてはならない。かの人をあなどる者は、日を追って遠ざかりこれを忘れ、欲に従って慎まなくなるからである。その祖先を祖先として敬う者は、その下の者を下の者として遇する。祖先を忘れて民に親しむ者など、いたためしがない。後の聖人は「三年父の道を改めないことを孝とする」といった。まことに知というべきではないか。その人を思えば、その人の植えた樹をも愛おしむ。その人を愛すれば、その家の屋根の烏にまで及ぶ。まして書物においてはなおさら、まして宝鏡においてはなおさらである。まして日月と光を合わせ、天地と道を明らかにするものにおいてはなおさらである。まして大神そのものである宝鏡について、切実にその道を修めるならなおさらである。日々磨かない者は、ただ向かってその形を眺めているだけである。
解説
「その人を愛すれば、その屋上の烏に及ぶ」という古い言葉を階段のように用いて、樹 → 烏 → 書物 → 宝鏡と対象を昇らせてゆく。慕う心が及ぶ範囲はどこまでも広がる、という論である。しかし最後の一句が鋭い――「日に磨かざる者は、向かつてその形を觀るなり」。磨かない者にとって、鏡はただの物体でしかない。神器章第十節と完全に同じ主張が、ここでは教育の文脈で繰り返されている。
神教章 十七己を虛しくして以て物を容る
原文
蓋鏡之爲物也、採秋金之剛精、以加銀錫之淬磨、遂成光彩之明、虛己以容物、不迎未來、不將既往、掩之則滅、用之則見、明之而不愆、磨滅而又不縮、精練而悠久、無藏之、用之無私、日新而不息、大明也、出有時、入有節、日新而無息、大明矣、
訓読
蓋し鏡の物たるや、秋金の剛精を採りて、以て銀錫の淬磨を加へて、遂に光彩の明を成す。己を虛しくして以て物を容れ、未來を迎へず、既往を將らず。これを掩ふときは滅し、これを用ふるときは見はる。これを明らかにして愆たず、磨滅して又縮まらず、精練して悠久なり。これを藏すことなく、これを用ふるに私なし。日に新たにして息まず、大いに明らかなり。出づるに時あり、入るに節あり、日に新たにして息むなくして、大いに明らかなり。
現代語訳
思うに鏡という物は、秋の金の剛い精を採って、銀と錫による焼き入れと研磨を加え、ついに光り輝く明るさを成すものである。自分を虚しくして物を映し入れ、まだ来ないものを迎えにゆかず、過ぎ去ったものを送らない。これを覆えば消え、用いれば現れる。明らかにして誤らず、磨り減ってもまた縮まず、精練されて悠久である。これを隠すことなく、用いるのに私心がない。日ごとに新しくして止まず、大いに明らかである。出るのに時があり、入るのに節度があり、日ごとに新しくして止むことなく、大いに明らかである。
解説
鏡の性質を列挙した美しい一節で、『莊子』の「將らず迎へず」がそのまま使われている。素行は儒だけでなく道家の言葉も抵抗なく用いる。要点は「己を虛しくして以て物を容る」――自分を空にすることで、はじめて物を正しく映せる。これは第十二節の「己を護りその短を護りて問はず」の裏返しであり、鏡の比喩によって学びの姿勢が言いなおされている。
神教章 十八外朝の黄帝の神鏡、太宗の三鑑
原文
凡天下之鏡皆然、故以足爲人君之存養、學者之察省也、外朝黄帝作神鏡、武王作鏡之銘、太宗存三鑑之戒、玄宗以水心之鏡、而大神之寶鏡、豈屬三鑑之戒乎、聖主善愼、以護神勅、宗靈鏡之德、則神德日新、唯不違天威顏、見堯於食坐、洋洋乎如在而已、
訓読
凡そ天下の鏡皆然り。故に以て人君の存養、學者の察省を爲すに足れり。外朝の黄帝は神鏡を作り、武王は鏡の銘を作り、太宗は三鑑の戒を存し、玄宗は水心の鏡を以てす。而して大神の寶鏡は、豈三鑑の戒に屬せんや。聖主善く愼みて、以て神勅を護り、靈鏡の德を宗としたまはば、則ち神德日に新たなること、唯だ天威顏を違らず、堯を食坐に見、洋洋乎として在すが如しのみ。
現代語訳
そもそも天下の鏡はみなそうである。だからそれによって君主が心を養い、学ぶ者が自らを省みるのに十分である。外朝では黄帝が神鏡を作り、武王が鏡の銘を作り、太宗は三つの鑑の戒めを心にとどめ、玄宗は水心の鏡を用いた。しかし大神の宝鏡は、どうして三鑑の戒めと同列であろうか。聖なる君主がよくつつしんで神勅を守り、霊鏡の徳を第一とされるならば、神の徳が日ごとに新しくなることは、ただ天の威を前にして顔色をそむけず、羹のなかに堯を見、満ち満ちてそこにおられるかのように感じる、そのようなものである。
解説
中国の鏡にまつわる故事を四つ並べたうえで、「大神の寶鏡は、豈三鑑の戒に屬せんや」と一線を引く。太宗の三鑑は「参考にするための鏡」だが、天照大神の寶鏡は「大神そのもの」である――対象として眺めるのか、そこに在すものとして向き合うのか、という違いである。結びに『中庸』の「洋洋乎として在すが如し」を置くことで、学問が祭祀の感覚に接続される。
神教章 十九阿直岐と王仁 ── 典籍の渡来
原文
譽田天皇十五年秋八月壬戌朔、丁卯、百濟王遣阿直岐、貢良馬二疋、因以阿直岐令掌飼、故名其養馬之處、曰廐坂、阿直岐亦能讀經典、即爲太子菟道稚郎子之師、於是天皇問阿直岐曰、如勝汝博士亦有耶、對曰、有王仁者、是秀也、時遣上毛野君祖荒田別・巫別于百濟、仍徵王仁也、其阿直岐者、阿直岐史之始祖也、
十六年春二月、王仁來之、則爲太子菟道稚郎子之師、習諸典籍於王仁、莫不通達、故所謂王仁者、是書首等之始祖也、
訓読
譽田天皇の十五年秋八月壬戌の朔、丁卯、百濟王阿直岐を遣はして良馬二疋を貢る。因りて阿直岐を以て掌り飼はしむ。故にその馬を養ひし處を名づけて廐坂と曰ふ。阿直岐亦能く經典を讀めり。即ち太子菟道稚郎子の師としたまへり。ここに於いて天皇阿直岐に問ひて曰はく、如し汝に勝れる博士亦ありやと。對へて曰さく、王仁といふ者あり、是れ秀れたりと。時に上毛野君の祖荒田別・巫別を百濟に遣はして、仍りて王仁を徵さしむ。その阿直岐は阿直岐史の始祖なり。
十六年春二月、王仁來けり。則ち太子菟道稚郎子の師としたまひて、諸の典籍を王仁に習ひ、通達らずといふことなし。故に所謂王仁は、是れ書首等の始祖なり。
現代語訳
譽田天皇(応神天皇)十五年、秋八月壬戌の朔、丁卯の日、百済王が阿直岐を遣わして良馬二疋を貢った。そこで阿直岐にこれを飼うことを掌らせた。だからその馬を飼った所を名づけて廐坂という。阿直岐はまたよく経典を読むことができた。そこで太子菟道稚郎子の師とされた。ここで天皇は阿直岐に問われた。「もしそなたにまさる博士がほかにいるか」。答えて申し上げた。「王仁という者がおります。これがすぐれています」。そこで上毛野君の祖である荒田別・巫別を百済に遣わして、王仁を召させられた。かの阿直岐は阿直岐史の始祖である。
十六年春二月、王仁が来た。そこで太子菟道稚郎子の師とされ、諸々の典籍を王仁に習って、通達しないものはなかった。だからいわゆる王仁は、書首らの始祖である。
解説
ここから章の後半、外国の学問をどう受け取るかという主題に入る。素行はまず史料を淡々と引く。馬を貢った人がたまたま経典を読めたので師になり、さらにすぐれた者を招いた――という、いかにも実際的な渡来の経緯である。この飾らない書き方が、次節以降の議論の前提になる。
神教章 二十是れ中國が外國の經典を學ぶの始なり
原文
謹按、是中國學外國經典之始也、學者、修己治人之道也、夫天神之生知、無不通、無不誠、天祖之明敏、日愼一日、以得本、夫神武帝建洪基、綏靖帝至孝、安寧帝乾柴、垂仁帝爛而無飾、景行帝之雄謀、成務帝之競傷、皆是從乾靈之正德、以法人物之明敏、神功帝親征三韓、足法大神之明教也、是乃中州神聖之擧原、而萬世以法之也、逮仲哀帝、有住吉大神、賜軍國、自是三韓年年朝聘獻貢、寶物無不具、百濟王歡欣之餘、貢博士・女工等、故外國諸器貢於外朝、以服從武德、中州始知漢字、
訓読
謹みて按ずるに、是れ中國が外國の經典を學ぶの始なり。學は己を修め人を治むるの道なり。夫れ天神の生知なる、通ぜざるなく、誠ならざるなし。天祖の明敏は日に一日よりも愼みて以て本を得たり。夫れ神武帝は洪基を建て、綏靖帝は至孝にして、安寧帝は乾柴なる、垂仁帝は爛として飾ることなく、景行帝の雄謀なる、成務帝の競傷せる、皆是れ乾靈の正德に從ふ。神功帝親ら三韓を征ちたまふ。大神の明教を法るに足れり。是れ乃ち中州神聖の擧原にして、萬世以てこれを法るなり。仲哀帝に逮びて、住吉大神あり、軍國を賜ふ。これより三韓は年年朝聘獻貢して、寶物具はらずといふことなし。百濟王歡欣の餘、博士・女工等を貢る。故に外國の諸器を貢りて、以て武德に服從す。中州始めて漢字を知る。
現代語訳
つつしんで考えてみるに、これが中國(日本)が外国の経典を学んだはじめである。学問とは、自分を修め人を治める道である。そもそも天神は生まれながらに知る方であって、通じないところがなく、誠でないところがない。天祖の明敏さは、日ごとに前の日よりもつつしんで根本を得られた。神武天皇は大いなる基を建て、綏靖天皇は至って孝であり、安寧天皇はかざりけがなく、垂仁天皇は輝いて飾ることなく、景行天皇の雄大な謀、成務天皇の励み傷むほどの心づかい、いずれも天の神の正しい徳に従ったものである。神功皇后はみずから三韓を征された。大神の明らかな教えにのっとるに十分である。これこそ中州の神聖なる事業のはじめであって、万世これにのっとるのである。仲哀天皇の代に至って住吉大神があり、軍国を賜った。これより三韓は年ごとに朝聘し貢献して、宝物は備わらないものがなかった。百済王は喜びのあまり博士や女工らを貢った。こうして外国の諸々の器物を貢り、武徳に服従した。中州ははじめて漢字を知ったのである。
解説
「學は己れを修め人を治むるの道なり」――学問の定義がここで置かれる。『大學』の修己治人がそのまま用いられている。そのうえで素行は、日本には漢字を知る前からすでに歴代天皇の徳行があった、と列挙する。漢字を知らなかった時代にも学(修己治人)はあったという主張であり、次節以降の「開闢より外朝は我れより優ならず」への布石になっている。なお三韓征討の記事は伝承に基づくもので、史実としては検証に堪えない。
神教章 二十一符節を合せたるがごとし
原文
應神帝聖武而聰達、欲博通外國之事、徵王仁、令讀典籍、太子師之、以能通達漢籍、
凡外朝之三皇五帝、禹・湯・文・武、周公・孔子之大聖、亦與中州往古之神聖其揆一也、故讀其書、則通於義、無所閒隔、其趣向猶如合符節、探賾櫽括、則足以補翼王化、
訓読
應神帝は聖武にして聰達なり。博く外國の事に通ぜんことを欲して、王仁を徵し典籍を讀ましめ、太子これを師として、以て能く漢籍に通達す。
凡そ外朝の三皇五帝、禹・湯・文・武、周公・孔子の大聖なる、亦中州往古の神聖とその揆を一にするなり。故にその書を讀むときは、義に通じて閒隔するところなく、その趣向は猶ほ符節を合はせたるがごとく、探賾櫽括するときは、以て王化を補翼するに足る。
現代語訳
応神天皇は聖にして武、聡明で通達しておられた。広く外国の事に通じようとして、王仁を召して典籍を読ませ、太子はこれを師として、よく漢籍に通達した。
そもそも外朝の三皇五帝、禹・湯・文王・武王、周公・孔子といった大聖も、中州(日本)の往古の神聖とその筋道を一つにしている。だからその書を読めば、意味において通じて隔たるところがなく、その向かうところはちょうど割符を合わせたようであり、奥深いところを探り、たわみを正すようにして読めば、王の徳化を助けるのに十分である。
解説
「その揆一なり」――『孟子』のこの一句が、素行の外国学問観の核心である。中国の聖人と日本の神聖とは、時代も土地も違うが道筋は同じ。だから漢籍を読めば「符節を合せたるがごとく」通じ合う。日本と中国を優劣ではなく並列で捉えるこの見方があるからこそ、次節の「開闢より外朝は我れより優ならず」も、排外ではなく対等の主張として読める。
神教章 二十二或疑ふ ── 我れは外朝に因りて用を廣くするか
原文
竊按、譽田帝已虛而徵百濟之博士、而後中國廣通外朝之典籍、知聖賢之言行、是乃往古大神之實也、或疑、王仁不通我、而文物皆是也、愚按、我因外朝廣其用歟、否、自開闢、外朝不優於我、神聖之德行明敏、無不備、雖不知漢籍、亦更無一介之闕、幸通外朝之事、取其所長、以用于天下之閒、從事而適之、不亦寬容乎、何唯外朝、群知并蓄、非所不可、護短校長、待用無遺、凡天下之萬、量之大也、
訓読
竊に按ずるに、譽田帝已を虛しくして百濟の博士を徵して後、中國廣く外朝の典籍に通じ、聖賢の言行を知る。是れ乃ち往古大神の實なり。或は疑ふ、王仁は我れに通ぜずして而も文物皆是れなり。愚按ずるに、我れは外朝に因りてその用を廣くするかと。否。開闢より、外朝は我れより優らず。神聖の德行明敏、備はらずといふことなし。漢籍を知らずと雖も、亦更に一介の闕くることなし。幸に外朝の事に通じ、その長ずるところを取りて、以て天下の閒に用ゆ。事に從ひてこれに適ふは、亦寬容ならずや。何ぞ唯だ外朝のみならんや。群に知り并せ蓄ふるは、不可なるところにあらず。短を護り長を校べ、用を待ちて遺すことなし。凡そ天下の萬、量の大なるなり。
現代語訳
ひそかに考えてみるに、応神天皇が自分を虚しくして百済の博士を召されてのち、中國(日本)は広く外朝の典籍に通じ、聖賢の言行を知った。これこそ往古の大神のみ心の実である。ある人は疑って言う。「王仁は我が国のことに通じていなかったのに、文物はみなここから来た。とすれば我が国は外朝によってその用を広げたのではないか」。わたしが考えるに、否である。開闢このかた、外朝が我が国にまさっていたことはない。神聖の徳行と明敏さは、備わらないものがなかった。漢籍を知らなかったといっても、それでも何ひとつ欠けるところはなかった。幸いに外朝の事に通じて、そのすぐれたところを取り、天下のあいだに用いる。事に応じてそれにかなうようにするのは、なんと寛容なことではないか。どうして外朝だけに限ろうか。多くを知り合わせ蓄えることは、いけないことではない。短いところは補い、長いところを比べ、用いるときのために遺さず取っておく。そもそも天下の万事は、その度量の大きさによるのである。
解説
本章の結論にあたる一節である。素行の答えは二段構えになっている。第一に「否、開闢より外朝は我れより優ならず」――漢籍が来る前から日本には修己治人の実があった。第二に、それでも外国の学問を取り入れるのは「亦寬容ならずや」――むしろ度量の大きさの証である、と。排外ではない。自序で漢籍崇拝を悔いた素行が否定したのは漢籍そのものではなく、「漢籍を読めるから優れている」という思い込みのほうだったことが、ここではっきりする。
神教章 二十三外朝と我れとその致を一にす
原文
況外朝與我一其致、而其歷世尤久、其封域太廣、其人物衆多、政事之損益、共足以覩之乎、是中州之所以冠于八紘也、後世期合絕、而不修邦交、井可考、
訓読
況んや外朝と我れとその致を一にして、その歷世尤も久しく、その封域太だ廣く、その人物衆多く、政事の損益する、共に以てこれを覩るに足れるをや。是れ中州の八紘に冠たる所以なり。後世期合絕えて、邦交を修めざることも、井せ考ふべし。
現代語訳
まして外朝と我が国とはその向かうところを同じくしていて、しかもかの国は歴代の世がきわめて久しく、領域はたいへん広く、人物も数多く、政治の増減得失を、ともに見てとるのに十分である。これこそ中州が天下に冠たる理由である。後の世に交わりが絶えて国交を修めなくなったことも、あわせて考えるべきである。
解説
素行は大陸の長所を素直に列挙する――歴史が長い、領域が広い、人物が多い、政治の得失の実例が豊富である。それらは学ぶに値する。そして意外な一句が置かれる。「後世期合絕えて、邦交を修めざることも、井せ考ふべし」――国交が絶えたことを、素行は問題として指摘している。中國章で外朝の五失を数え上げた同じ人が、ここでは交わりの断絶を惜しんでいる。
神教章 二十四或疑ふ ── 王仁と難波津の詠
原文
或疑、王仁德高、且爲毛詩、故爲難波津之詠、遂成仁德帝之聖、愚按、王仁者通漢籍之博士也、此時人未通漢字、故造端於彼耳、後以阿知使主・王仁記官物之出納、則其職掌可知也、古今以爲難波帝之明主、時無遺賢、朝無譴事、王仁者、讒德寬仁之明主、貴食祿而賤目之徒、恥之至也、
訓読
或は疑ふ、王仁は德高くして且つ毛詩を爲む。故に難波津の詠を爲り、遂に仁德帝の聖と爲れりと。愚按ずるに、王仁は漢籍に通ずる博士なり。この時人未だ漢字に通ぜず、故に端を彼に造せしのみ。後阿知使主・王仁を以て官物の出納を記さしむるときは、則ちその職掌知るべきなり。古今以て難波帝の明主と爲す。時に遺賢なく、朝に譴事なし。王仁は德を讒り寬仁の明主にして、食祿を貴びて目を賤しむの徒は、恥の至りなり。
現代語訳
ある人は疑って言う。王仁は徳が高く、しかも『詩經』を修めた。だから難波津の詠を作り、ついに仁徳天皇の聖徳をなさしめたのだ、と。わたしが考えるに、王仁は漢籍に通じた博士である。この時はまだ人々が漢字に通じていなかったので、そのきっかけをかの人に作らせたにすぎない。後に阿知使主・王仁に官の物の出納を記録させたことからすれば、その職掌がどのようなものであったかは知れる。古今ともに難波の帝(仁徳天皇)を明主とする。当時は野に遺れた賢者もなく、朝廷に咎めるべき事もなかった。王仁を持ち上げて徳をそしり、寛仁の明主を軽んじ、俸禄を貴んで目の前を賤しむような輩は、恥の極みである。
解説
王仁への過大評価に釘を刺す一節。素行の反論は資料に即している――王仁は後に「官物の出納」を記録する職に就いた。ならばその職掌は文書の実務であって、天皇の聖徳を作り出したというのは持ち上げすぎだ、と。渡来の学者を尊ぶあまり自国の君主を軽んじる態度を、素行は「恥の至り」と切り捨てる。自序で自分を「嘐嘐として其の人物を慕ふ」と責めたのと同じ刃が、ここでは外に向けられている。
神教章 二十五學は效なり ── 火と水の喩
原文
愚按、學者、效也、效其不知不能也、近者聞而知之、遠者聞而知之、人之生自幼孩、至壯老、未嘗不由教學也、蓋人長於萬物者、以知也、故其爲小人、思而不通、其爲君子、皆學之所習也、夫火有可然之質、而不用薪柴加之以火、則不能長其威、水有可流之業、而不因卑下以疏導、則不能深其源、學之於人、或慥或蟄、則其害及人物、豈唯火乎、
故天神之生知、動而感、言而通、猶有思議謀之群、天孫之臨降、有神勅之戒、是非後世聖教之淵源乎、二神有以輔養、其修身治人之道、至矣盡矣、
訓読
愚按ずるに、學は效なり。その知らず能はざるを效ふなり。近き者は聞きてこれを知る。遠き者は聞きてこれを知る。人の生るるより幼孩より壯老に至るまで、未だ嘗て教學に由らずんばあらず。蓋し人の萬物に長たるは、知を以てなり。故にその小人たるは、思うて通ぜざればなり。その君子たるは、皆學の習ふところに因る。夫れ火は然ゆべきの質ありて、而も薪柴を用ひて加ふるに火を以てせざれば、則ちその威を長ずること能はず。水は流るべきの業ありて、而も卑下に因りて以て疏導せざれば、則ちその源を深くする能はず。學の人に於ける、或は慥し或は蟄すれば、則ちその害人物に及ぶ。豈唯だ火のみならんや。
故に天神の生知なる、動いて感じ、言うて通ずるも、猶ほ思議謀の群あり。天孫の臨降に、神勅の戒あり。是れ後世聖教の淵源にあらずや。二神以て輔養するあり。その身を修め人を治むるの道、至れり盡くせり。
現代語訳
わたしが考えるに、学とは効うことである。自分が知らず、できないことを見ならうのである。近い者は聞いてこれを知り、遠い者も聞いてこれを知る。人が生まれてから、幼子のころより壮年老年に至るまで、教え学ぶことに拠らなかったためしはない。思うに人が万物のなかで長たるのは、知によってである。だから小人であるのは、考えても通じないからであり、君子であるのは、みな学び習ったことによる。そもそも火には燃えうる性質があるが、薪や柴を用いて火を加えなければ、その威を伸ばすことができない。水には流れうるはたらきがあるが、低いほうへ導いて疏通させなければ、その源を深くすることができない。学が人においては、あるいは荒々しく、あるいは閉じこもってしまえば、その害は人にも物にも及ぶ。どうして火だけのことであろうか。
だから天神は生まれながらに知る方であって、動けば感じ、言えば通じるのに、それでもなお思いはかる神々の集まりがあった。天孫が降臨されるにあたっては、神勅の戒めがあった。これこそ後の世の聖なる教えの淵源ではないか。二神には輔け養うということがあった。その身を修め人を治める道は、至り尽くしている。
解説
章の結語である。「學は效なり」――学ぶとは、すぐれた者を見ならうこと。素行はこれを火と水の比喩で説く。火は燃える性質を持つが薪がなければ燃え広がらず、水は流れる性質を持つが導かれなければ源が深くならない。素質はあっても、外からの働きかけなしには育たない。そして最後に神代へ戻る――生知の神ですら「思議謀の群」を持ち、天孫降臨には神勅の戒めがあった。教えを受けることは、人であることの条件だという結論で、章は閉じられる。