中國章 導きなぜ日本を「中國」と稱するか ── 素行の識見の非凡底本 一七九頁
原文
中國章
訓読
中國章
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
次には「中國章」というのでありますが、これは何故に日本を「中國」と言うのであるかという意義を明かにしたのでありまして、前にも申しますように、支那が自ら「中國」と称して居たものでありますから、日本の漢学者もやはり同じように支那を「中國」と称し、自ら卑しんで日本を東方の未開の國である、即ち「東夷」であるなどと言って居た者さえあったのであります。
此の際に於て、素行が自ら率先して日本を「中國」と称すべきであるということを唱えたのであります。其の「中國」と言うのは一体どういう意味であるかと言えば、日本が國土の最も勝れた所であると共に、また道を以て治められて居る國であって、其の國体に於て世界に冠絶して居る。即ち世界万國を自ら中心となって導くべき本性を持った國であるという意味から、これを「中國」と謂わなければならぬという主張なのでありまして、此の事を神代以来のいろいろな事実に基いて証拠立てて居るのが、此の「中國章」というものであります。
今日になって見れば、日本が世界を指導すべき國であるというようなことは、日本國民の皆自覚して居る所でありますけれども、今より二百年以前に、即ちまだ支那を最も文化の盛んな國であるとして仰いで居った時代に於て、既に此の事を唱えたということは、実に素行の識見の非凡なことを顕わして居る訳であります。
解説
章の導入。『中朝事實』という書名の由来そのものが説明される。
小林の整理は明快である。①中国が自ら「中國」と称した ②日本の漢学者もそれに倣い、自国を「東夷」と卑しめた ③素行はそれを逆転させ、日本こそ「中國」だと唱えた。
そのうえで「中國」の中身を三つ挙げる――国土が優れている/道によって治められている/国体が世界に比類ない。地理と道徳の二重の意味を「中」の一字に読むのは、附録「或疑」十六・十七節と同じ構えである(『中朝事實』十五・或疑 十六節)。
読むときの注意。「日本が世界を指導すべき國であるということは、日本國民の皆自覚して居る所」という一句は、この講義が語られた時代(昭和初期)の空気をそのまま映している。素行の主張と、それを受け取る昭和の文脈とは、分けて読む必要がある。
他方で「まだ支那を最も文化の盛んな國として仰いでいた時代に、既にこれを唱えた」という評価そのものは、思想史の事実として妥当である。
中國章 一豐葦原千五百秋瑞穗の地 ── 天神の神勅と天瓊戈底本 一八〇〜一八一頁
原文
天神謂伊弉諾尊伊弉册尊曰。有豐葦原千五百秋瑞穗之地。宜汝往循之。迺賜天瓊戈。──瓊玉也。此云努。
一書曰。豐葦原千五百秋之瑞穗國者。大八洲未生以前。已有此名。而無形相。強字其形。爲天瓊矛者也。大八洲國者。即瓊矛之所成。其中心號曰大日本高見。名大日本者。由大日靈貴降靈。故有此名。
謹按。是謂本朝水土之始也。初旣有此稱。則其水土之美不論而可知之。蓋豐者庶富之言也。葦原者草昧之稱也。千五百者衆多之義也。秋瑞穗者百穀成熟之意也。天神之靈無不通。故知水土之沃壤人物之庶富。教化可以施焉。夫知其機之謂乎。二神從之。以遂其功。其所繁全在天神也。懿哉。本朝開闢之義。悉因神聖之靈。是乃實天授之。人與之也。故皇統有億兆之系。終與天壤無窮矣。
訓読
天神、伊弉諾尊、伊弉册尊に謂ひて曰く、豐葦原は千五百秋瑞穗の地にあり、宜しく汝往きて之を循すべしと。迺ち天瓊戈を賜ふ。(瓊は玉なり、此を努と云ふ)
一書に曰く、豐葦原千五百秋の瑞穗國は、大八洲未だ生れざる以前、已に此の名あり。而して形相無きなり。強ひて其の形を字して天瓊矛と爲すなり。大八洲國は即ち瓊矛の成る所にして、其の中心の號を大日本高見と曰ふ。大日本と名づくるは、大日靈貴の降靈に由るが故に此の名あるなり。
謹んで按ずるに、是れ本朝の水土の始なり。初め旣に此の稱あり。則ち其の水土の美は論ぜずして之を知るべし。蓋し豐は庶富の言なり。葦原は草昧の稱なり。千五百は衆多の義なり。秋瑞穗は百穀成熟の意なり。天神の靈通ぜざる無し。故に水土の沃壤、人物の庶富、教化の以て施すべきを知る。夫れ其の機を知るの謂か。二神之に從ひ、以て其の功を遂ぐ。其の繁る所全く天神に在るなり。懿なる哉、本朝開闢の義は、悉く神聖の靈に因る。是れ乃ち實に天之を授け、人之に與するなり。故に皇統は億兆の系にあり、終に天壤と與に窮まり無きなり。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
天神が伊弉諾尊、伊弉册尊に、此の國を中心として、やがて世界の凡ての國を繁昌させて行かなければならぬという御趣意をお伝えになったものと考えられる。そこで其の伊弉諾・伊弉册尊に仰せられた御言葉に、豐葦原千五百秋瑞穗の國という所があって、あれは非常に栄えて地味も良く、また将来大いに発展すべき國であるから、お前は彼処に行って其の土地を治めて、其処に住む者を安定せしめなければならぬと斯う仰せられて、伊弉諾・伊弉册尊に天の瓊矛という矛を賜わったというのであります。
解説
中國章の第一段。『日本書紀』神代上の一節から始まる。
注目すべきは、素行が「豐葦原千五百秋瑞穗」の六字を一字ずつ解いていることである。豐=ゆたか(庶富)/葦原=まだ開けていない(草昧)/千五百=数が多い(衆多)/秋瑞穗=穀物が実る。
この解き方によって、国土の名がそのまま国土の美の証明になる。名から実を読むという、素行に一貫した方法である(賞罰章八節「名は實の著なり」)。
末尾の「天之を授け、人之に與するなり」――天が授け、人がそれに与った。国の成り立ちを天と人の合作として見る言い方で、天先章第六段の「天地に參す」と続いている。
中國章 一(承)名は形より先にあつた ── 理想の地を求めて底本 一八三頁
原文
一書曰。豐葦原千五百秋之瑞穗國者。大八洲未生以前。已有此名。而無形相。強字其形。爲天瓊矛者也。
訓読
一書に曰く、豐葦原千五百秋の瑞穗國は、大八洲未だ生れざる以前、已に此の名あり。而して形相無きなり。強ひて其の形を字して天瓊矛と爲すなり。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
また一書に曰うには、即ち或る言い伝えに依ると、「豐葦原千五百秋」というようなことは、「大八洲」――即ち日本の、現に吾々の住んで居る國土がまだ國として成り立たない前から、既に此の名があったのである。
土地も繁って居り、また人民も皆醇良であって、何の障りもないような所が理想の地である。勝れた徳のある方が斯ういう國を治められるならば、本当に謂わゆる王者の政治ということが行われる。斯ういうことが理想であったのである。此の理想が実現されて、此の現在吾々の住んで居る日本の國の政治となり、日本の國の文化となったのであると、斯ういう風に考えるのであります。
それで、其の土地の形をまだ見ないで、そういう理想の所を求めて其処に住むようにという意味で、天神が伊弉諾・伊弉册尊に矛をお与えになった。即ち其の理想を形に表わしたものが矛であるのでありまして、之に名づけて天の瓊矛と言うのである。斯ういう説も一方にはあるのであります。
解説
名が形より先にあった――国土がまだ無い時から「豐葦原千五百秋瑞穗國」という名だけがあった、という『日本書紀』一書の記述。
小林はこれを理想が先にあり、後から実現したと読む。名=理想、矛=その理想を形にしたもの。
この読み方は、次段の「玉で飾った矛=文武を併せ具える」へとつながり、国の建国理念という現代的な言い方に近い解釈になっていく。素行の原文にはここまでの含みはなく、講義者の敷衍である。
中國章 一(承)大日本日高見 ── 日の光に照らされてよく見える所底本 一八三頁
原文
大八洲國者。即瓊矛之所成。其中心號曰大日本高見。名大日本者。由大日靈貴降靈。故有此名。
訓読
大八洲國は即ち瓊矛の成る所にして、其の中心の號を大日本高見と曰ふ。大日本と名づくるは、大日靈貴の降靈に由るが故に此の名あるなり。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
そこで此の「大八洲國」――即ち現在吾々の住んで居る此の日本の國は、此の瓊矛というもので探って、そうして之を國として経営された所であるのだから、此処は「大日本日高見」という名が付けられるのである。
之を「大日本」と言うのは、即ち大日靈貴神の神霊がこれをお護りになるという意味である。それから「日高見」というのは、やはり日の光に照らされた所が明かによく見えるという意味で、言い換えれば、大日靈貴尊の神霊に依って護られて居る土地をよく観察して、そこで此の土地に此の國の土台をシッカリと定めるという意味に考えて宜しい訳であります。
解説
国号「大日本」の由来を、大日靈貴(天照大神)の名から説く。
「日高見」は『日本書紀』では東方の地名として現れる語だが、素行も小林も「日の光に照らされてよく見える所」という語義解釈を採る。
この一段も、素行の方法――名から実を読む――の実例である。地名・国号を語源から解いて、そこに国の性格を読み取る。中國章の全体がこの方法で組み立てられている。
中國章 一(承)天の瓊矛 ── 文武併せ具ふ、恩威並び行はる底本 一八四頁
原文
迺賜天瓊戈。──瓊玉也。此云努。
訓読
迺ち天瓊戈を賜ふ。(瓊は玉なり、此を努と云ふ)
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
此の矛というものは一体武器でありますけれども、此の武器というものは國を定める標と考えられる。また其の矛が玉で飾ってあって美しいということは、即ち徳の勝れて居ることを表わすのであります。それですから、此の玉で飾ってある矛というのは、謂わゆる文武併せ具えて、徳と力とが共に具足して居ると、斯ういう風に考えて宜しい訳であります。これが先ず日本の國の建てられた時の理想でありまして、今後に於ても日本が発展するのには、此の理想の上に立って行かなければならないのであります。
一方に於ては武力を以て不正な者に刑罰を加え、一方に於ては徳を以て凡ての者を懐けて行くという、謂わゆる恩威並び行うということでありまして、初めて國が益々発展をするのであります。如何に徳を以て臨んでも、不正をして居る者を懲らさなければ、其の徳を全うすることは出来ないのであります。また武を以て人に臨んでも、ただ彼を力で抑えるというだけでは永く平和は保てないのでありますから、どうしても徳を以てするということと、武を以てするということの二つが一方に偏らないようにして、初めて本当に多くの者を指導して行くということが全うされる訳でありまして、此の意味が此の「天の瓊矛」ということに依って能く言い表わされて居るものと考えられるのであります。
解説
矛=武、玉=德。「天の瓊矛」という一語に文武の二つを読む。小林の講義でもっとも鮮やかな読み替えのひとつである。
そして「恩威並び行はる」――どちらか一方では足りない。これは素行に一貫した二本立ての論法そのもので、武德章三十三節「武備+文敎」、賞罰章の「賞+刑」と同型である(『中朝事實』十三・武德章 三十三節)。
「如何に德を以て臨んでも、不正をして居る者を懲らさなければ、其の德を全うすることは出来ない」――寛だけでは徳にならない、という賞罰章の主張がここに先取りされている。
中國章 一(結)名に依つて肇まりの方針を推し測る底本 一八四頁
原文
謹按。是謂本朝水土之始也。初旣有此稱。則其水土之美不論而可知之。
訓読
謹んで按ずるに、是れ本朝の水土の始なり。初め旣に此の稱あり。則ち其の水土の美は論ぜずして之を知るべし。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
更にこれに就いて素行が説を立てて言うには、此の伝説が、即ち日本の國が一体どんな土地であるか、どういうことを説明した一番初めである。初めに既に此の名がある。即ち「豐葦原千五百秋瑞穗國」というような名があり、また「大日本」というような名もあるのであるから、此の名に依って此の國の肇まった時の事情、此の國の肇まった時の大体の方針というものを推し測ることが出来る。また斯ういう風に考えられるのであります。
解説
第一段の按語の要。「初め旣に此の稱あり。則ち其の水土の美は論ぜずして之を知るべし」――名があるのだから、実は論ずるまでもない。
これは素行の方法であると同時に、この書の弱点でもある。名は付ける側の意図を映すが、実の証明にはならない。素行自身、附録「或疑」八節では「典籍は史氏その事を記すのみ」と、記録への過信を戒めていた。
ここでは逆に、名を根拠として立てている。名から実を読む方法をどこまで信用するかは、この章を読むあいだ持ち続けたい問いである。
中國章 一(承)豐・葦原・千五百・秋瑞穗 ── 一字づつ解く底本 一八五頁
原文
蓋豐者庶富之言也。葦原者草昧之稱也。千五百者衆多之義也。秋瑞穗者百穀成熟之意也。
訓読
蓋し豐は庶富の言なり。葦原は草昧の稱なり。千五百は衆多の義なり。秋瑞穗は百穀成熟の意なり。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
こういうような理想を実現すべく選ばれた土地であるから、此の日本の土地は気候も良し風土も良し、生活も裕かに出来る所であるということは、深く穿鑿しないでも自ら解る訳であります。
それで此の言葉を説明して見れば、「豐」というのは「庶富」の義であって、即ち富み栄えて行くということを意味する。それから「葦原」というのは葦が沢山茂って居るというので、即ち「草昧」の義で、初めはそう開けてはなかったのである。まだ能く開けて居ないから其処を開いて、そうして其処に最も勝れた文化を建設しなければならぬということなのであります。それから「千五百」というのは数限りなくあるという意味で、人民もだんだん栄えて行き、事業もだんだん多く興るということを意味する訳であります。それから「秋瑞穗」というのは、秋になって米が熟して沢山穫れる、即ち有らゆる穀物が熟して、其処に住む者の生活も裕かになるという意味であります。
解説
素行の四つの字義解釈を、小林が一つずつ言い直す。
注目すべきは「葦原=草昧」の扱いである。まだ開けていない、というマイナスの語を、小林は「まだ能く開けて居ないから其処を開いて、そうして其処に最も勝れた文化を建設しなければならぬということ」と、課題の提示に読み替える。
天先章第一段でも「草昧屯蒙」は素朴なはじまりとして肯定的に扱われていた。附録「或疑」四節「草昧の始、禮の全備は、これを求むべからず」と同じ姿勢である。
中國章 一(承)哲人は機を知る ── 天神は先の先まで見透す底本 一八五頁
原文
天神之靈無不通。故知水土之沃壤人物之庶富。教化可以施焉。夫知其機之謂乎。
訓読
天神の靈通ぜざる無し。故に水土の沃壤、人物の庶富、教化の以て施すべきを知る。夫れ其の機を知るの謂か。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
それで「天神」――即ち一番初めの國常立尊という神様は、実に神秘な力を持っていらしって「通ぜざること無し」――先の先までも見透す所の力を具えていらっしゃるに相違ない。それであるから其の土地も非常に豐饒であり、また其処に人間が住めば人間の生活も益々栄えて行けるようになる。それで皆満足して居れば、更に教化を施して、人間の道をよく弁えさせ、父子の間も夫婦の間も君臣の間も欠くる所なく其の道が行われるようになるということを、予め御存じであったと考えられる。
即ち「機を知る」というのは此の事である。支那の言葉に「哲人は機を知る」ということがあって、勝れた人は物のまだ現われない前から、必ず斯うなるであろうということを予め看て取るのでありますが、神様の御力を以てすれば、無論機を知るということの出来ない筈はない。
解説
「機を知る」――物事がまだ現れないうちに、そうなると見て取ること。『易』繫辭下伝の「幾を知るは其れ神か」を踏まえる。
ここでも順序が「生活が足りて、然る後に教化」になっていることに注意したい。天先章第四段の「生きることが出来ないで道を学ぶなどという余裕のあろう訳はない」と同じである。
素行の原文は「教化可以施焉」の一句だけだが、小林はそこに父子・夫婦・君臣を補って、五倫の話につないでいる。
中國章 一(結)天之を授け人之に與す ── 神の力と人の力と相俟つ底本 一八六頁
原文
二神從之。以遂其功。其所繁全在天神也。懿哉。本朝開闢之義。悉因神聖之靈。是乃實天授之。人與之也。故皇統有億兆之系。終與天壤無窮矣。
訓読
二神之に從ひ、以て其の功を遂ぐ。其の繁る所全く天神に在るなり。懿なる哉、本朝開闢の義は、悉く神聖の靈に因る。是れ乃ち實に天之を授け、人之に與するなり。故に皇統は億兆の系にあり、終に天壤と與に窮まり無きなり。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
そこで此の天神の仰せに従って、伊弉諾・伊弉册尊の二柱の神様が「其の功を遂げ」――これを実行の上に現わして、此の日本の國を経営するという大きな事業をお始めになった訳であります。
それであるから、此の國が永く繁昌するという根本を言うと、天神――即ち一番初めの國常立尊の御徳に淵源するものと考えなければならぬのでありまして、実にこれは今日から考えて見ても貴いことであります。それであるから、日本の國がだんだん開けて行くということは、全く神様のお蔭である。神様の御力がズット発展して此の國の発展となったのであるということが信じられる。そうしてまた、此の神の御末であらせられる所の天皇が代々此の國をお治めになり、此の天皇の御徳に懐いて、チョウド子が親に懐くような心持で天皇の御事業をお輔け申した者が日本國民でありますから、即ち「天之を授け、人之に与する」と申して宜しいので、神の御力と人の力とが相俟って、此の國の発展というものを来す訳であります。
解説
「天之を授け、人之に與するなり」――この一句を、小林は神の力と人の力の合作と読む。天先章の「天地に參す」(人が天地の化育を助ける)と同じ構図である。
ここから小林の講義は「天皇と國民」の関係へと踏み込んでいく。素行の原文は「皇統有億兆之系」(皇統は無数の系につながる)としか言っていないが、小林は親子の情になぞらえて説く。
読むときの注意。次段(ck10)で小林は「他の國に見るような革命などということが断じてない」と述べる。素行の易姓革命批判を昭和の国体論の言葉で受け直したもので、当時の文脈を踏まえて読む必要がある。
中國章 一(結)天壤と與に窮りなく ── 盡し甲斐のあること底本 一八六頁
原文
故皇統有億兆之系。終與天壤無窮矣。
訓読
故に皇統は億兆の系にあり、終に天壤と與に窮まり無きなり。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
斯ういう訳であるから、天子様の御血統が何億年の後に至るまでもズットお続きになり、決して他の國に見るような革命などというような忌わしいことが断じてないということは、説明をしないでも固より明かなことである。即ち天壤と与に窮りなく、天地の在らん限り此の天皇の御代というものがお栄えになるということは、是れ等の事柄に徴して疑うべからざることであります。
それですから、此の國の為めに力を尽すということは、如何に骨が折れても尽し甲斐のあることである。即ち此の國の國民はこれを自分達の光栄とし、自分達の大いなる悦びとして、何処までもこれに力を用いなければならぬ訳であります。
解説
読むときの注意を要する一段。素行の「終に天壤と與に窮り無きなり」を、小林は易姓革命の否定として展開する。
易姓革命への批判は素行自身のものでもある(皇統章)。ただしそれは比較の議論――中国では王朝が代わったが日本では代わらなかった――であって、素行はそこから「だから優れている」と結論した。論としては、王朝交替の有無を優劣の基準に据えた点に無理がある。
小林はさらに「断じてない」「疑うべからざる」と断定を重ね、最後は國民の心構えの話に着地する。素行の歴史論が、昭和初期の国民教化の言葉に置き換わっていく過程がよく見える箇所である。
素行がここで言おうとしたのは、連続性そのものが日本の特色であるという一点であり、その観察と、そこから導かれる規範とは、分けて読むのがよい。
中國章 二磤馭盧島を國中の柱と爲す ── 大日本豐秋津洲底本 一八六〜一八七頁
原文
伊弉諾尊伊弉册尊。以磤馭盧島爲國中之柱。──柱此云美簸肯邏。──迺生大日本豐秋津洲。──日本此云耶麻騰。──豐秋津洲。始起大八洲國之號焉。──耶麻止。又野馬臺。又耶麻堆。皆同。
謹按。磤馭盧島者自凝之島。言獨立而不倚之稱也。二神立於天浮橋之上。以天之瓊矛。指下而探之。是獲滄溟。其矛鋒滴瀝之潮。凝成一島。則是也。國中者中國也。柱者建而不拔之稱。恒久而不變也。大者無相對。日者陽之精明。而不惑之稱。本者深根固蔕也。豐者盛大之稱。秋津者象其形也。大八洲者。其始生八洲也。所謂土者陰之精。八者陰之極數。而統八方之義也。蓋是本朝生成之初也。
訓読
伊弉諾尊、伊弉册尊、磤馭盧島を以て國中の柱と爲す。(柱は此を美簸肯邏と云ふ)迺ち大日本豐秋津洲を生む。(日本は此を耶麻騰と云ふ)豐秋津洲、始めて大八洲國の號起こる。
謹んで按ずるに、磤馭盧島は自ら凝るの島なり。言は獨立して倚らざるの稱なり。二神天の浮橋の上に立ちて、天の瓊矛を以て指し下して之を探る。是に滄溟を獲たり。其の矛鋒の滴瀝の潮凝りて一島と成る。則ち是れなり。國中は中國なり。柱は建つて而も拔けざるの稱、恒久にして變ぜざるなり。大は相對する無し。日は陽の精明にして惑はざるの稱。本は根を深くして蔕を固くするなり。豐は盛大の稱。秋津は其の形に象るなり。大八洲は、其の始め八洲を生めばなり。所謂土は陰の精にして、八は陰の極數にして、八方を統ぶるの義なり。蓋し是れ本朝生成の初なり。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
伊弉諾尊、伊弉册尊が夫婦の約束をお固めになりました時に、此の磤馭盧島という所にお降りになって、此の國の真ん中という所の柱を旋って、夫婦となるということを仰せられたということは前にも申してあるのでありますが、此の國の真ん中の柱ということは、其処に吾々が眼に見るような柱があったと解釈するには及ばないのであって、即ち國の中央の場所という意味に考えて宜しい。
解説
第二段。「國中」=「中國」という等式が、ここで素行自身の按語として明示される。中國章の中心にあたる一句である。
そして柱・大・日・本・豐・秋津・八の各字が、一つずつ解かれる。天先章の「常」「中」と同じく、名を分解して意味を取り出す方法である。
とくに「柱は建つて而も拔けざるの稱、恒久にして變ぜざるなり」――天先章の「常立」がここで柱に重ねられる。國常立尊の「立」と磤馭盧島の「柱」とが、同じ一つのこととして読まれている。
末尾の「八は陰の極數にして、八方を統ぶるの義」は、五行の枠組みを地名に適用したもの。附録「或疑」十六節と同じ操作である(『中朝事實』十五・或疑 十六節)。
中國章 二(承)國中の柱 ── 眼に見える柱ではない底本 一八八頁
原文
以磤馭盧島爲國中之柱。柱者建而不拔之稱。恒久而不變也。
訓読
磤馭盧島を以て國中の柱と爲す。柱は建つて而も拔けざるの稱、恒久にして變ぜざるなり。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
「柱」というのは後にも説明してありますように、動かない所という意味で、柱がシッカリして居れば家が動かないのでありますから、それと同じように、動かざる所のシッカリしたお考えを以て夫婦の約束をなさり、また夫婦力を協わせて此の國を経営するという御決心をなさったものと、斯う解釈すれば宜しいのであります。
それから、此の二柱の神様が「お生みになった」というのは、即ち國土を経営されて此処をよくお治めになったという意味に解すれば宜しいのでありますが、此処は実に土地が良くて、何時までも栄えて行くべき所であります。
解説
「眼に見えるような柱があったと解釈するには及ばない」――神話の具象を、意志と決心に読み替える。天先章第四段でも小林は「柱を巡る」を「中央に集まる」の意と取っていた。
そして「生む」=「経営して治める」。これも天先章第四段(大八洲を生む=秩序を立てる)の繰り返しである。生成を統治として読む――小林の講義に一貫した姿勢が、ここでも働いている。
中國章 二(承)磤馭盧=自ら凝る ── 自主獨立の國底本 一八九頁
原文
謹按。磤馭盧島者自凝之島。言獨立而不倚之稱也。
訓読
謹んで按ずるに、磤馭盧島は自ら凝るの島なり。言は獨立して倚らざるの稱なり。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
これに就いてまた素行が自分の考えを述べて申しますには、後に至ってこれを考えて見ると、「磤馭盧」というのは「自ら凝る」という意味であるから、「独立して倚らない」――即ち他の力を借りないで、自身の力でシッカリと立って居るという意味である。
日本の國は斯ういう國で、他の力を借りないで独立して行ける國である。土地は良いし、気候風土は勝れて居るし、物は沢山出来る。そうして其処に住む人間も皆頼もしいものであるから、本当に独立國たる所の資格を尽く具えて居るのでありまして、此の自ら立つことの出来る國であるということが、やがて外の國を平和ならしむる中心となる訳であります。自分で立つことの出来ない者が他を助けることの出来ない訳は無論ないのでありますから、此の自ら立つ國ということが実に尊いのであります。自分で立って、また自分で土地を繁昌させて行く。其の力が自ら外に伸びて、そうして外の國を指導し、外の國を懐けるということにもなる訳であります。
解説
「磤馭盧=自ら凝る=独立して倚らない」という語義解釈から、自主独立の主題が引き出される。素行の按語「獨立而不倚之稱也」を、小林が国家論に展開したものである。
眼目は「自分で立つことの出来ない者が他を助けることの出来ない訳は無論ない」という順序である。まず自立、それから他を助ける。化功章七節「治敎の道は、内より外に及ぶ」と同じ枠組みで、この講義に一貫している(『中朝事實』十四・化功章 七節)。
読むときの注意。「外の國を指導し、外の國を懐ける」という言い方は、昭和初期の対外的な文脈のなかでは別の響きを持ちうる。小林が「まず内を正す」という順序を崩していないことと合わせて、二重に読む必要がある。
中國章 二(承)天の浮橋に立ちて滄溟を探る ── 矛から滴つた潮底本 一八九頁
原文
二神立於天浮橋之上。以天之瓊矛。指下而探之。是獲滄溟。其矛鋒滴瀝之潮。凝成一島。則是也。
訓読
二神天の浮橋の上に立ちて、天の瓊矛を以て指し下して之を探る。是に滄溟を獲たり。其の矛鋒の滴瀝の潮凝りて一島と成る。則ち是れなり。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
そこで斯ういう所に伊弉諾・伊弉册尊の御二方がいらしって、そうして天の浮橋という、高い所にお立ちになって、天神よりして授けられた矛を以てこれを探って、「滄溟」というのは海でありますが、此の海の中から島を生み出されたというのであります。
此の矛から滴った潮が島となったというのは、詰り此の國の土を経営されて、其の経営された結果として、此の國がシッカリと基礎を固めたという風に考えれば宜しいのであります。
解説
『日本書紀』でもっともよく知られた場面――天の浮橋と矛から滴る潮。小林はこれも比喩として読む。矛=天神から授かった理想(前段の「文武併せ具える」)、潮が凝って島となる=経営の結果として国の基礎が固まった。
この講義の一貫した姿勢である。神話の具象を、統治と経営の言葉に翻訳する。天先章で「生む=秩序を立てる」「柱=中央の場所」と読んだのと同じ手つきで、ここでも「島の生成=基礎の確立」となる。
受け入れるかどうかは別として、神話をそのまま事実として押しつけないという姿勢は、附録「或疑」十五節で素行が「庸愚の舌頭を容るべからず」と細部の穿鑿を戒めたことと通じている。
中國章 二(承)大日本の意義 ── 根を深くして蔕を固くす底本 一九〇〜一九一頁
原文
大者無相對。日者陽之精明。而不惑之稱。本者深根固蔕也。──或曰。大日靈貴所靈降之地。故有此號。
訓読
大は相對する無し。日は陽の精明にして惑はざるの稱。本は根を深くして蔕を固くするなり。(或は曰く、大日靈貴の靈降する所の地、故に此の號あり)
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
それから「大日本」というのであるが、「大」というのは相対するものがない、世界で一番勝れて居るものという意味である。それから「日」というものは一体陽の気が集まったものでありまして、太陽が他の物を照らすから、他の物も自ら明かになるのである。太陽自身が照らす力を持って居るので、此の太陽に照らされて他の物は皆それぞれの姿を表わして行くのであります。日本も太陽の如くに、自分の國が中心となって世界の國々を指導して行くべき本性を持って居るのであると考えれば宜しいのであります。他から指図されて、他の意見に依って右に向いたり左に向いたりするような國も随分あるけれども、日本は決してそういう國ではない。自分でチャンと定まった理想を持って居て、これに依って他を導いて行くべき國であると考えなければならぬのであります。
それから「本」というのは本が定まって居ることで、即ち「根を深くして蔕を固くする」――「蔕」というのは果物のへたのことでありまして、此の蔕がシッカリして居ないと、其の実は直きに下に落ちてしまう。國も其の通りであって、國の土台がシッカリして居なければ永く栄えて行くことは出来ないのでありますから、「根を深くして蔕を固くする」というのは、國の基礎がシッカリして居て永久に動揺しないという意味になるのであります。
解説
国号「大日本」の三字を、大=比べるものがない/日=みずから照らす/本=根が深いと解く。
「根を深くして蔕を固くす」は『老子』五十九章の「深根固柢、長生久視の道なり」による。素行が老荘の語をこの文脈で用いているのは興味深い。
読むときの注意。「日本も太陽の如くに、自分の國が中心となって世界の國々を指導して行くべき本性を持って居る」――太陽の比喩から国の役割を導くこの一節は、素行の原文にはない小林の敷衍である。他に指図されないという自主独立の主張と、他を指導するという主張とは本来別のことで、ここでは前者から後者へ滑らかに移っている。昭和初期の講義であることを踏まえて読みたい。
中國章 二(承)豐と秋津 ── 蜻蛉の形に似たる島底本 一九一頁
原文
豐者盛大之稱。秋津者象其形也。──蜻蛉此曰秋津。
訓読
豐は盛大の稱。秋津は其の形に象るなり。(蜻蛉此を秋津と曰ふ)
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
何れにしても帰する所は同じになるのであります。
それから「豐」という言葉は盛大の意、また将来盛大になって行くという意味であります。それからまた「秋津」という言葉がありますが、「秋津」というのは蜻蛉のことで、此の島の形がチョウド蜻蛉の形に似て居るから、それで「秋津洲」と言うのであるということであります。これは日本の古い言葉に蜻蛉のことを「あきつ」と申しますので、神武天皇の詔が後に出て居りますが、此の神武天皇の詔の中にも、日本の國の形が蜻蛉に似て居るということを仰せられてあります。
解説
「秋津洲」の由来。『日本書紀』神武三十一年の記事――天皇が国見をして「あきつの臀呫の如し」(蜻蛉が交尾しているような形だ)と言われた――に基づく。素行は後の段でその詔を引く。
ここも名から実を読む方法である。ただし今回は形状の比喩にすぎず、国土の優越を導く根拠にはなっていない。素行の按語も「其の形に象るなり」と淡々としている。
中國章 二(承)大八洲の意義 ── 眼に見える所は小さいが、發展する力は無限底本 一九一頁
原文
大八洲者。其始生八洲也。
訓読
大八洲は、其の始め八洲を生めばなり。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
それから「大八洲」というのは、一番初めに八つの島が出来て、此の八つの島が本になってだんだんと神々の御徳が遠くにまで及んだが、其の根本は初めに経営された八つの島であるから、これを「大八洲」と言うのであります。
勿論此の八つの島は、そう大きいものではない。然るに何故「大八洲」と言うかということを考えれば、此の島が本になって広く外にまで力が及ぶので、眼に見える所は小さいけれども、其の発展する力は無限に大きい。此の大いなる発展力の根本であるから、「大八洲」という名が相当して居る訳であります。
解説
「眼に見える所は小さいけれども、其の発展する力は無限に大きい」――なぜ小さな八島を「大」と呼ぶのか、という問いへの答え。
天先章第五段の「一摘みのものを見ると何でもないようであるけれども、これが集って大地となると、其の働きは果てもなく行われる」と同じ形の議論である。小さいものの中に大きな可能性を見る――附録「或疑」五節の卵の比喩とも通じる(『中朝事實』十五・或疑 五節)。
中國章 二(結)八は陰の極數 ── 八方を統ぶる義、五畿七道底本 一九一〜一九二頁
原文
所謂土者陰之精。八者陰之極數。而統八方之義也。──後世分天下。爲五畿七道。乃合八洲之義。──蓋是本朝生成之初也。
訓読
所謂土は陰の精にして、八は陰の極數にして、八方を統ぶるの義なり。(後世天下を分ちて五畿七道と爲す。乃ち八洲の義に合す)蓋し是れ本朝生成の初なり。
現代語訳小林一郎 講述(現代表記)
元来土というものは、陰陽の中に於ては陰の性が集まったものである。天は陽であり、地は陰である。それで陰というのは陽を助けるものである。即ち天の働きを受けて、地というものが万物を生じ万物を養う所の作用をするのであります。
それから「八」というのは陰の数の一番大きいものである。陰というのは偶数の方である。数を挙げて言えば、一とか三とか五とか七とかいうのが奇数であって即ち陽を表わし、二とか四とか六とかいうのが偶数であって即ち陰を表わすのであります。此の偶数の極は十でありますけれども、十というのはまた一に戻る。それであるから、本当に偶数の性質を持って居る数としては八が一番上である。それで八が其の極ということになります。
それから此の「八」ということに就いてまた考えれば、八方を統一するという意味にもなるのであります。「八」と言えば東西南北と其の四隅でありますから、八方と言えば凡てを含む訳であります。
また後の世になって、五畿七道というものを定められた。五畿というのは天子様のお住居になる大和を中心とした、謂わゆる畿内地方であります。此の畿内地方と、それから全國を東海道とか東山道とか北陸道とかいうように七つに分けた。それで此の畿内と七道とを併せると八つになる。是れは其の初めに治められた八洲という意味にも合して居る。凡て此の「八」というのは洵に目出たい数でありまして、即ち凡てが此の中に具足することを現わすのであります。
解説
第二段の結び。八という数の説明に、易の陰陽数理と後世の行政区画(五畿七道)とが重ねられる。
素行の按語は簡潔で、「八は陰の極數にして、八方を統ぶるの義なり」+割注で五畿七道に触れるだけ。小林はそれを一つずつ開いて説く。
ここでも枠組みは漢籍(陰陽・奇偶)、素材は自国の古典という構造が働いている。天先章の結び(kt43)で小林自身が指摘したとおりである。
読むときの注意。「八方を統一する」を「東西南北から四隅までの有らゆる國を懐けて行く」と読む箇所(底本一九二頁)は、素行の原文にない拡張である。地理区分の説明が対外的な使命の話に転じており、講義が語られた時代の刻印がはっきり出ている。